そんなこんなで只今「サザエさんシンドローム」真っ最中。
どうも金曜からおいで頂いてる様で、さっさとお帰り願いたいのだがその気配なし。
どうやったら帰って貰えるんだろう?
こんな時はベクトルがマイナス方向にしか働かない。どんなに頑張ってもプラスへと移行する事がない。諦めの境地なのだ。
で考える事は案外とどうでも良い事?なのかも知れない。要は人それぞれでみんな違う考えだから。
同じ意見にはなるが、辿り着くまでの過程が違うよね。なんと言えば伝えられるか?毎回毎回、語録が貧困で悩んで上手く伝えられずにいる。
こう見えて?どう見えると言うか、どう見て貰えれてるかは分からぬが、わたしが人と違うと言う点において、猛省と言うか何と言うか・・・・人と違うと言う言い方がおかしいが、つまりは「世間一般」で言う「普通」じゃないから。
それに気付いた時から周りに合わせるべく様子伺いをしながら真似っこをしている。「そうか、こんな時はこんな感じか」と言う具合に。
教えを乞う生徒と言えばしっくりくる。
螺子1本外れてるくらいなら愛嬌なんだがねぇ~お手本がマズかった。
お手本がねぇ~「ガチャ失敗」と言うことなのさ。螺子が1本も残ってない状態を見て育つとそれが「世間一般の常識」となる。
それしか手本となる物がないんだから仕方がない。反面教師になるには遅すぎたのだ。
今更ながらに気付かされてどうしろと言う。気付かないよりマシじゃん、は何の慰めにもならぬ。だったら、気付かないまま「奇人変人」扱いされてた方がまだマシ。
「あの人ああいう人だから」と周りが自分に被害が及ばぬ様に立ち回ってくれるから。申し訳ないとは思うが、その事に気付いてないから謝る事も出来ない。
天然とは違う。
傍から見てるとよく分かる。他人の事を言えた義理ではない。
無いけども終いには「いいから喋るな。黙ってろ💢」と言わざる事多々あり。
なんでそんな曲解出来る訳?何処をどう切り取ると、自分に都合のいい話になる訳?教えて貰いたいものだ。
本当にね「お手本」とか「見本」は大切なのだと気付かされる日々。