ファミリー メンタル クリニック

児童精神医学,サッカー,時にテレビや映画、Macのネタ。
要するにひとりごと・・・

子どものサイコセラピー 初心者は要注意

2010年09月17日 | 児童精神医学
このブログ、心理職の方や、教師も、10人ほどは読んでいるようだ。
心理療法、カウンセリング、セラピー・・・色んな呼び方があり、色んなスクールがある。


特に、児童のカウンセリング担当者で気になることがある。
要は、カウンセリングは治療であるという当たり前のこと。
治療というのは、副作用があるという基礎の基礎を踏まえてない方がいるようだ。
副作用というのは、薬物療法だけの世界ではない。

特に、治療効果も副作用も目に見えにくい、心理療法(以下、psychotherapy サイコセラピーとする)では、注意が必要だ。

子どもの治療をする者が陥りやすい点。
木を見て森を見ず式の過ちが多い。
子どものためといいながら、保護者が子どもに対して悪影響を及ぼしていると思いがちな点。
この親がこんな対応をしているから子どもは落ち着かないのだと、短絡的な解釈。
さらには、誰が言い出したのか、親の愛情不足で子どもが症状を出しているんです・・・と露骨に親にぶつける治療者もいる。

100歩譲ってそうだとしても、学校内で起きたことを親の対応が良くないので校内で問題が起きたのだと、原因を親のせいにすることは簡単だ。
でも、50歩譲って考えよう。
校内で起きたことは校内で解決すべきではないだろうか?当たり前すぎて、そんなこと考えないのかな?

60歩譲って考えよう。
親子関係が確かに問題だとして、親にそれをストレートに指摘して片付くのだろうか?
そこに、10年から20年にわたる親子の不安の歴史を考慮する必要は無いのだろうか?
親が、子どもの症状を他人のせいにすることは当然ありそうなことだと、予想しサイコセラピーを考えていくことはできないのだろうか?
お母さんが、ちゃんとやってくれいないと学校で見ていくことが出来ません・・・それが専門家たるカウンセラーがサイコセラピーの場で口にするセリフだろうか?

また、学校の中で起きていることで、自分の発言が、子どもとその家族、また教師に与える影響を考えているだろうか?

もしかして、邪推であれば良いのだが・・・・
自分のスクールの理論で、解釈すると、この事象は、このように治療すべきであると理論が先行していないだろうか?
自分のやり方でうまくいかないのを親のせいにしてないだろうか?
自分が絶対者となり、自分の言うことをきかない親に対して、勝ち負け、上下、主従・・・そんな逆転移の中で治療構造に自分が巻き込まれ、苦し紛れの解釈をしてはいないだろうか?
自分のやっていることのみが正しいと独善的となっていないだろうか?

その児童の親を敵対視し、治療はうまくいくのだろうか?
(一昔前の児童相談所は、虐待する親は「悪い」親、なので親子を速攻で引き離し、いかにあなたの親は悪い人であったと、そして我々児童相談所は正義の見方であるような口ぶりで、子どもを保護していた・・・すくなくともボクにはそう見えることがあった。ボクらは善悪を判断する側にはないはずだ。)
親子の力動関係を治療にどのように活かしていくかが、親子の関係性の中で治療をしていく技法であるはずだ。

仮に、自分のやり方でうまくいかないのなら、仕方ないと、受容して欲しい。副作用を振りまくことは避けることが出来る。

(自分は、サイコセラピーのプロではなく、フツーに精神科医として、当然考えることを述べただけです。)
優秀な治療者は最低限、有害な事柄を避けることの出来る者だ。

最新の画像もっと見る