自分の理想を求める理想自我の世界,漢字をひっくり返しただけではありませんが,自我理想についてのお話。最終回の阿久津先生をみていて,本来は理想自我から自我理想へと転換しているのかと思われた彼女が実は,理想自我の世界から自我理想の世界へと移る途上の様に思われました。
きっと自我理想に一歩近づいたのが和美ちゃんだったのでしょう。
第1話を見直すと,ドラマのオープニングシーンでは,目が覚めて私立校の制服がかかっている夢を見てました。
ホントは私立にいきたかった。お姉ちゃんと同じ学校に行きたかっただけでしょうね。まだそのころは。
それが,母親への確執から,受容,和解と思春期のテーマをクリアし,やはり阿久津先生の言うようにもっと世の中のことを勉強してみたいと,肩の力を抜いた形で自分の能力の中で最大限のことを行えるようになったのです。
最終回では阿久津先生がどう言おうがいい,良い先生でも悪い先生でもかまわない,もっと一緒に勉強したいだけだと言ってました。
それが理想自我から自我理想への転換です。
真矢がずっと言ってきたのは,量から質への変換と言い換えてもいいでしょう。
「勉強してどうするの。良い大学に入り,良い会社に入ったらそれでいいの?」
ここが量的な問題ではないのよ,世の中はと言っているのです。
でも阿久津先生は,残念ながら子どもたちを守るために教師としての自分の負い目があるのか(これはもし続編やスペシャル番組があれば明かされるのでしょうか)24時間寝る間も惜しんで動き回っていたのです。
理想自我から自我理想へと転換はその都度その都度必要とされ,螺旋状に進んでいくと言ってもいいでしょうか。
一歩前進後退を繰り返しながら形作られていくのでしょう。
あの阿久津先生にも神経症化された闇の部分が,このような24時間生徒のことを考え続けると言った無茶な行動になって現れてくるようです。
(これは例えば家族療法で治療はうまくいったのだけど,自分は離婚してしまうといった現実もあるわけですからね。世の中にはよくある話です。)
理想自我から自我理想へと移ることは違う言葉では,等身大の自分を認めるということでしょう。
そこがまだ阿久津先生が「私にはどんな先生が立派な先生か分からない」と言った少し弱気な面と関係しているのでしょうか。一方では「私は自分のしたことに誤りがあるとは思いません」と,強気なのが普段の彼女なのですが。(きっと続編があるとすると,真矢のこの24時間頑張る何者かにせき立てられているような行動は大きなテーマとなるのでしょう。蝶がキーワードですかね,テレビでまだ蝶の謎が解けてません)
その理屈で言えば,最終回で笑ってしまったけど,天童先生は今頃理想自我に目覚め始めたばかりで,量的な世界で「女王の衣装」から入っていったので,続編があるとするととんでもない失敗ばかりとなることは目に見えてますね。(成長のためには仕方のないことでしょう)
なんとなく今回のシリーズで結構大切なことを述べています。
新聞の原稿に使えそうです。(笑)
続編も検討しているらしいですね。
これを書いたあとに上のニュースを見つけました。ただし,続編で他のクラスの担任をドラマとして作るのは ごくせんと違い難しいのではないでしょうか。
同じようなプロットでは・・・だって阿久津先生が「いい人」で悪魔ではないことは分かった訳だし。
「その7 畏怖・尊敬」へ続く
きっと自我理想に一歩近づいたのが和美ちゃんだったのでしょう。
第1話を見直すと,ドラマのオープニングシーンでは,目が覚めて私立校の制服がかかっている夢を見てました。
ホントは私立にいきたかった。お姉ちゃんと同じ学校に行きたかっただけでしょうね。まだそのころは。
それが,母親への確執から,受容,和解と思春期のテーマをクリアし,やはり阿久津先生の言うようにもっと世の中のことを勉強してみたいと,肩の力を抜いた形で自分の能力の中で最大限のことを行えるようになったのです。
最終回では阿久津先生がどう言おうがいい,良い先生でも悪い先生でもかまわない,もっと一緒に勉強したいだけだと言ってました。
それが理想自我から自我理想への転換です。
真矢がずっと言ってきたのは,量から質への変換と言い換えてもいいでしょう。
「勉強してどうするの。良い大学に入り,良い会社に入ったらそれでいいの?」
ここが量的な問題ではないのよ,世の中はと言っているのです。
でも阿久津先生は,残念ながら子どもたちを守るために教師としての自分の負い目があるのか(これはもし続編やスペシャル番組があれば明かされるのでしょうか)24時間寝る間も惜しんで動き回っていたのです。
理想自我から自我理想へと転換はその都度その都度必要とされ,螺旋状に進んでいくと言ってもいいでしょうか。
一歩前進後退を繰り返しながら形作られていくのでしょう。
あの阿久津先生にも神経症化された闇の部分が,このような24時間生徒のことを考え続けると言った無茶な行動になって現れてくるようです。
(これは例えば家族療法で治療はうまくいったのだけど,自分は離婚してしまうといった現実もあるわけですからね。世の中にはよくある話です。)
理想自我から自我理想へと移ることは違う言葉では,等身大の自分を認めるということでしょう。
そこがまだ阿久津先生が「私にはどんな先生が立派な先生か分からない」と言った少し弱気な面と関係しているのでしょうか。一方では「私は自分のしたことに誤りがあるとは思いません」と,強気なのが普段の彼女なのですが。(きっと続編があるとすると,真矢のこの24時間頑張る何者かにせき立てられているような行動は大きなテーマとなるのでしょう。蝶がキーワードですかね,テレビでまだ蝶の謎が解けてません)
その理屈で言えば,最終回で笑ってしまったけど,天童先生は今頃理想自我に目覚め始めたばかりで,量的な世界で「女王の衣装」から入っていったので,続編があるとするととんでもない失敗ばかりとなることは目に見えてますね。(成長のためには仕方のないことでしょう)
なんとなく今回のシリーズで結構大切なことを述べています。
新聞の原稿に使えそうです。(笑)
続編も検討しているらしいですね。
これを書いたあとに上のニュースを見つけました。ただし,続編で他のクラスの担任をドラマとして作るのは ごくせんと違い難しいのではないでしょうか。
同じようなプロットでは・・・だって阿久津先生が「いい人」で悪魔ではないことは分かった訳だし。
「その7 畏怖・尊敬」へ続く