ファミリー メンタル クリニック

児童精神医学,サッカー,時にテレビや映画、Macのネタ。
要するにひとりごと・・・

相性のよしあし

2008年10月27日 | 児童精神医学
これは不幸な話だと思うが現在の日本では起こりうることだ。
ADHDの児童を誰が担任で対応するか。

ある教師たちの二言目には、だって去年は問題なかったのに今年は手に負えないんですとか、良く聞く。
そんな教師に限ってワープロで作成した詳細なドキュメントを医師に提出したりする。
何月何日何時何分にA君はB君とああだこうだ・・・・教師が自分で思った理由もそこには書かれている。A君から直接聞いた理由は書かれていないのだが。
ただ、そんな文章を読んでいるとムカムカしてくる自分がいる。
その子の問題行動のみに着目し、その子の全生活がADHDであるかのようだ。
どんなに約束をしても守らないとか・・良く出てくるフレーズだ。
その約束が授業中は椅子にきちんと座る。それが何の苦も無くできるときは医師の誤診だと思う。
(ゆーらゆーらとか 足を組んだりとか 当然禁止 小学校低学年の教室にある写真:正しい座り方そのものでないとダメなのだろう)
また約束もDo not・・・式の約束だ。
これをこうすると肯定的でなく あれはダメこれはダメ式。
この否定型が苦手だと分からないのだろうか。これは中学で昔習った「集合」の概念が理解できているかどうかのレベルだ。

廊下を走っちゃいけません。
これは子どもにとっては、寝そべっていけばよいのかと、ホップ・ステップ・ジャンプで行けば良いのかとか、そんな解釈となるのだが。
違う言い方をすると、表現の本質で、赤はダメですと同じだ。
赤はダメなら白は良い、青は良い、黄色は良い・・・・これが集合論だったはずだ。

数学の話はおいといて、
しかしそんな教師と別れ、去年は大変だったけど学年が上がり担任が変わり、去年のことが嘘のように落ち着きました。こういったことも親の口から良く聞く。担任を選択する権利が子どもに認められていたら、こんな教師はキャンセルしなさいとアドバイスしたくなることが多々ある。
またADHDの診断基準も変なところがあり、環境によって症状の変化があるのも当然のだ。

相性と言えば相性かもしれない。
しかし大人の1年と違い、子どもの1年は大きい。
教師は20年前下手したら40年前のことだから忘れてしまったのだろうか?
相性と片付けてはいけないから特別支援教育なのだろう。

でも「特別」扱いすることは出来ません。お宅のお子さんだけを・・・と全く意味の分からないことを言うのは大抵「相性」の悪い先生だったりする。
これって実は相性の問題でなく教師としてのスキルの問題ではないかと思う。

しかし、親御さんの前では 相性ってありますよね・・・・と苦笑いするしかないことがある。トホホ・・・・

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