Rの会~楽覚生~ 今ここの気づき

ゲシュタルト療法を用いて、自分自身を見つめ、今ここを丁寧に感じていくワークショップのお知らせです。

<2014年を振り返って>

2014-12-30 | ワークショップ

もう今年も後2日になってしまいました。

今年も、自然のエネルギーのすごさにたじろぐ年でした。

御嶽山の噴火、台風や豪雨による土砂崩れ、地震、大雪など。

人知を超えた自然に対して、怖れを感じ、謙虚さを持って生きていくことは、

先人の知恵だったように思います。

現代に生きる私も、今ここに生きていることに感謝する心を忘れないで、

先人の知恵を生かして、生きていきたいと思います。

 

私ごとでは、還暦のパーティをしたことが、今年の一番大きな出来事でした。

パーティの事はブログにも書きましたが、

参加してくれた人たちと、その後も話題にして余韻を楽しみながら笑いが絶えず、

素敵な友人に囲まれていることに、あらためて感謝の気持ちがわいてきます。

 

60歳となって感じたことは、一皮むけた感じとでも言いましょうか、

気負いや衒いといったものが薄れて、

自分がそのままで楽に生きて行けるような感覚です。

自分に対してとてもシンプルになった分、

周りに対しても、シンプルに対応する事が出来ているように思います。

自分の周りには、自分が信頼できる人だけが残っているからかもしれませんが(笑)。

したいことをする。したくないことはしない。

会いたい人と会う。会いたくない人とは会わない。

食べたいものを食べる。食べたくないものは食べない。

とてもシンプルですね。

もちろん、したいことをするときに、

気の進まないことをする必要が出てくることもあります。

本当にしたい事に沿っているなら、気の進まないことに対して、

どのように対処できるか、自分でどれだけできるのか、

他の人の助けをどれだけ頼めるのか、など、色々な可能性を考えていけばいいし、

もしかしたら、本当はしたくないので、気が進まないのかもしれません。

その時は、もう一度自分の中を見つめればいいでしょう。

また自分も、変化していくのです。

その様な自分と、今ここに付き合い続けていくことができるのは、自分だけですから、

いくつになっても、自分というものに、興味が尽きません。

またいろいろな発見がありそうで、来年も楽しみです。

 

<Rの会―楽覚生>ゲシュタルト・ワークショップ

月一回のオープンワークショップも、ヨーガのグループも、

また、癌とともに在る仲間の会も、続けてきました。

12月が恒例になった、香港のT氏のワークショップでも、

参加者の皆さんと、様々な気づきを得ました。

心臓に手を当てて、心臓に感謝の気持ちを伝える、

そういった時間をゆっくりと持つことができるのは、T氏のお陰です。

春には、ドリーム・アート・ワークショップをしました。

夢はゲシュタルトで、夢が自分に何かを教えてくれていると考えることで、

色々な気づきにいたります。

その夢をアートで表現することで、また新しい気づきにつながること、

一緒にワークをしていて、感激です。

来年は、春の合宿ドリーム・アート・ワークショップを行います。

今年の夏合宿は、長野県の水輪で行いました。

ブログにも書いたとおりに、面白い体験をいろいろしました。

来年の夏合宿は、東北で行う予定です。

今年も仙台、浜松、大阪などで、一年に1回~2回会うだけの方と、

それぞれに成長している姿に接することができ、嬉しく思いました。

それぞれの地域で企画してくださった方、また参加してくださった方、

どうもありがとうございました。

 

ヴァイオリンも続けています。

初めて、APAの合宿にも参加しました。

皆さんと合奏するのは、とても楽しいですね。

 

こうして振り返ってみると、

今年もたくさんの友人・知人に支えられてきたことがわかります。

本当にありがとうございました。

そしてこのブログを読んでくださっている方、ありがとうございます。

皆様、どうぞ、良いお年をお迎えください。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

俵里英子

 

          


<散り紅葉>

2014-12-15 | 旅行

11月30日~12月3日、久しぶりの京都です。

今年友人が京都に転勤となり、

久々におしゃべりして食事をしたいと、友達と二人で会いに行きました。

 

今回は<散り紅葉>という素敵な言葉を、教えてもらいました。

紅葉が地面に落ちて、色とりどりのじゅうたんのようになっている様子です。

(写真は、散り紅葉と枝についている黄色の紅葉)

 

頭上の木々には赤と黄色の紅葉があり、足の下には散り紅葉。

上と下からほんわかと明るい光が射しているように感じます。

 

一日目は、泉涌寺とその中の雲龍院を参拝しました。

写真は、泉涌寺の御座所の庭園です。

縁側に座ってお庭を眺めていると、雅な京都に来たなあと、つくづく思います。

雲龍院では、何とも云われぬ温かい心遣いを感じました。

玄関口に飾ってあるお花も、ついたての竜も、よく磨かれた木の廊下も、

皆が、温かく見守ってくれている感じです。

これが、京都流の歓迎のしかたなのでしょうか?

私の心もほんわかと温かくなりました。

写真は、蓮華の間の4つの窓です。

この位置から見ると、左から、椿、灯篭、紅葉、松とそれぞれが見えます。

なかなか、しゃれた工夫です。

 

運慶、湛慶の親子作と言われる、世界一大きな木造の、

丈六釈迦如来も拝ませてもらいました。

泉涌寺の中の戒光寺です。

ちょうど、御開帳ということで、中に入らせてもらい、

衣装の美しくこまやかな模様も、じっくりと拝見できました。

 

二日目は、紅葉が美しいと聞いていた光明寺を参拝しました。

あいにくの雨模様でしたが、聞きしに勝る、その素晴らしさ。

総門から入ってすぐの階段の段差が小さくて、とても美しい道、

そこに、紅葉が散り敷かれているのです。

帰りの紅葉参道は、緩やかな坂道となっていて、こちらはこちらで風情の違う美しさ。

写真はこの紅葉参道です。

 

3日目は、南禅寺の金地院と、紅葉の永観堂を拝観し、

哲学の道をゆったりと歩きました。

金地院では、ちょうど特別拝観の日に当たり、

長谷川等伯の襖絵『猿猴捉月図』を間近で見ることができました。

手長猿が手を伸ばして水に映った月を取ろうとしているところで、

ほのぼのとした優しい猿の顔や体のラインを見ているだけで、

こちらも穏やかな心持ちがしてきます。

 

今回の泊まりは、京都の一般のお家をお宿にしたという十四春(としはる)。

とても落ち着く旅館です。

前にも何回か泊まったことがあり、そのおかみさんの、余計な口出しはせずに、

痒いところに手の届くおもてなしが、私はとても好きです。

お部屋からは、坪庭が見えて、ちょうどサザンカがきれいに咲いていました。

お食事は付けないでもらい、京都のお店の食べ歩きです。

最初の晩は、薬研掘末広町のお店で、京懐石。

2日目の晩は、松粂という仕出し屋さんの京懐石。

3日目は、妙心寺退蔵院で、精進料理をいただきました。

どれもそれぞれに工夫があって、本当に美味しく頂きました。

ここで詳しく紹介できないのが残念ですけれど。

お酒も飲みながら、3人での会話は楽しく、笑いがたえませんでした。

 

友人がこんな素敵な京都に住んでいる間に一緒にあちこち回りたいと、

早速お宿に次の予約をいれました。

 

里英子


<マララさんのノーベル平和賞受賞演説>

2014-12-11 | 日記

パキスタンのマララ・ユスフザイさんに感激した話は、

一年以上前にこのブログにも書きました。

そのマララさんが、今年のノーベル平和賞を受賞したことを、

私もとても嬉しく思います。

12月10日、ノルウェーのオスロでノーベル平和賞授賞式が行われた事、

新聞で知りました。

ノーベル平和賞は、インドのカイラシュ・サティヤルテさんと共に、

子供の教育と平和に貢献したことでの受賞です。

おめでとうございます。

 

マララさんの受賞演説の要旨を日本語訳で読んで、

私は嗚咽を抑えることができませんでした。

彼女の願いに共感し、応援したい気持ちでいっぱいです。

でも彼女が言うように

『どうして強いと言われる国々は戦争を生み出す力がとてもあるのに、

平和をもたらすにはとても非力なの?』

彼女が行動する時だというように、私たち大人も行動する必要があるでしょう。

平和への道を進むために。

このごろの私たちのまわりはなんだか重苦しい空気に包まれています。

戦前の空気に似ているという人も多くいます。

特定秘密保護法が、あまり議論もされないうちに、

同じ12月10日に施行になってしまいました。

何が秘密かもはっきりしないまま、

どのように運用されるかもよくわからないうちに、

さらにはきちんとした監視体制もないままです。

また、集団的自衛権の問題があります。

いま日本では、衆院選挙があります。

積極的に議員になって欲しい人がいなくても、

今のこの空気の流れには、はっきりと、「違う」と表明する必要があるでしょう。

戦争できるようになるのではなく、

対話を持って平和をもたらしていく必要があるでしょう。

日本は今平和ですが、

これは先人の尊い犠牲に寄っていることを忘れてはならないでしょう。

この平和を維持し、また世界中が平和になるように願っています。

そして、マララさんの言う通り、

今は、願うときではなく、そのために行動するときなのかもしれません。

このブログを書こうと思ったのは、私のその初めの一歩です。

これを読んでくださった人も、どうぞ、平和のための行動をしてくださいますように。

里英子