<暑さ寒さも彼岸まで>とは、昔の人はよく言ったものですね。
朝夕は涼しくなっていましたが、日中の太陽は真夏と変わらない強さでしたが、
昨日の雨で一気に暑さが遠のき、今日は、まさに秋晴れという風情です。
最近読んだ内田百けんの随筆に、まさに今の時期のことが書かれていて、
心に残りましたので、少し長くなりますが引用します。
(注:「けん」の字は、間の日のところを月と書くのですが、
ここでは漢字が載らないので、ひらがなにしておきます。)
冬になってから夏の方がよかったと云うわけではないので、貧乏人や乞食には夏の方がいいにきまっている。焼け出された時からそのつもりで夏を迎え冬を過ごしてきたのだがしかし今年の夏は暑過ぎて呼吸が出来ない様であった。漸く土用も過ぎ暑さの峠を越した頃の時候の良さは思い出しても惜しかった様な気がする。明け方になると少し涼し過ぎて足が冷たくなるから毛布を引っ掛けて眠る。暫らくすると足の先がもやもやして来るので又毛布の外に足を出す。寒いと思って毛布を掛けると暑過ぎたり、暑いと思って足を出すと冷え込んだり、と云う風には考えない。冷たくなると足を入れればすぐに温まるし、温か過ぎるから足を出せば又涼しくなる。こんな好い時候は又とあるまい、有り難い事だと思った。
<内田百けん著 池内紀編 百けん随筆 「億劫帳」 講談社学芸文庫より>
東京の大空襲で焼け出されているときの事を書いているのですが、
大変な状況の中でも、なんだかひょうひょうとしていて、
こちらも頷きながら、口元がにやりと緩んできます。
夏目漱石の弟子であった内田百けんには、
「贋作 吾輩は猫である」「阿防日記」「のらや」など多くの著書があります。
自分や人間模様を鋭く細やかに観察しながら、
とぼけたような、間の抜けたような、ユーモアを感じさせる文章です。
私は彼の文章が好きで、時々めくって、笑いながら全身の力を抜いています。