Rの会~楽覚生~ 今ここの気づき

ゲシュタルト療法を用いて、自分自身を見つめ、今ここを丁寧に感じていくワークショップのお知らせです。

<2011年を振り返って>

2011-12-30 | 日記

この一年を振り返ろうとして、頭に浮かぶことはやはり、

東日本大震災と津波、そして、福島原発事故です。

震災と津波で、2万人近くの方が、

お亡くなり、または行方不明になっているということ、

改めてご冥福をお祈りいたします。

被害に遭われた方が、避難生活において、また復興の途中において、

暖かい環境の中で、やさしさに包まれたお正月が迎えられますように、

心より願っています。

福島原発事故について、私も事故後、本を読んで勉強していますが、

未だに内部を確認することもできず、

放射線が出続け、汚染水も増える状況であり、

空気も海も土地も、汚染されたままで、

これからも、植物も動物も人間も、影響を受け続けることでしょう。

これを<収束>という言葉で表してしまう意図に、

怖れを感じるのは私だけではないように思います。

何かできるわけではありませんが、

これからも勉強して、しっかりと見守っていきたいと思います。

 

この災害と事故の後、私個人の中で大きな変化が起こったように思います。

<生きている>ということを、強く意識するようになって、

物の見方が、より鮮明になったといったらいいのかもしれません。

今ここで大切なことは何かを、さらによく考えるようになり、

行動するにしても、選ぶ基準が簡単になったような、そんな感じもしています。

<今ここに自分が居る>ということが、

特別なこと、奇跡的なことのように思うようになりました。

 

ですから、前から好きだった<一期一会>という言葉が、

もっと大きな意味をもってきました。

今、ここで出会えば、それは、素晴らしいことです。

今ここで、その出会いを十分に感じ、気づき、愛おしく思うことができます。

人との出会いも、

自然との出会いも、

自分との出会いも、

 

今年も本当にありがとうございました。

今年出会った多くの方、一人ひとりに感謝の気持ちを送りたいと思います。

そして、このブログを読んでくださっている方にも、感謝の気持ちを送ります。

ありがとうございます。

 

みなさま、より良いお年をお迎えくださいますように。

そして、来年もまたよろしくお願いします。

俵 里英子


<交通事故の現場に居合わせて>

2011-12-26 | 日記

先日、大通りを歩いていたら、大きな衝撃音に続いて、カラカラと金属音!

びっくりして見ると、バイクが横倒しになったまま、くるくる回っています。

幸いなことに、周りの車は全てストップしました。

やっと回転の止まったバイクから降りた若い女性は、

私のいる歩道に自力で駆け寄ってくることができました。

「救急車を呼びましょうか」と、尋ねる私に、

「お願いします」としっかりした声で答えてくれました。

携帯電話から119番にかけるのは初めてで、操作にも手間取り、

なかなか整理して伝えられませんでした。

「通報している人のお名前は?」との問いに答えた後、

「わかりました。これから救急車が向かいます」と言われて、

やっと、ほっとした気持ちになりました。

私が119番にかけている間に、何人かが駆け寄り、

バイクを歩道に寄せたり、彼女に声をかけたり、持ち物を確認したり、

彼女を寝かして、暖かい洋服をかけたりしていました。

見ず知らずの人たちが、これだけ素早く暖かく協力できることは、

素晴らしいことだなあと、これは後から考えたことです。

 

彼女の脈を診ると、早くはあるが、しっかり打っていて、

体表面からの出血は見られず、

受け答えはしっかりして、頭は痛まず、足が痛いという事で、

「大怪我ではなさそうで、よかったなあ」と私自身が落ち着くことができました。

脇に寄せたタクシーから出てきた運転手さんが、

「横道から出てきた他のタクシーをよけようとして、私の車にぶつかり転倒した。」

と声高に話し、私に「110番にも電話してください」と言うので、

もう一度携電話で110番。「今119番にかけた者ですが、事故です。」

先ほどよりは落ち着いて話ができました。

 

ピーポー!ピーポー!!

この音が、こんなに安心感を与えてくれるものだとは、、、、、!

夜間当直の時の気分がいまだに残っていて、この音には、

思わず体も心もキーンと緊張していたのです。

 

彼女が救急車に乗り、私は警官に通報者として話をして、その場を離れました。

家に帰りつくと、なんということでしょう。

むかむかして、胃のあたりが痛くて重いのです。

自分にとって事故の現場にいたことが、

こんなにストレスなのだということに、改めて気づいたのでした。

 

私はその場にいただけで、こんなにストレスなのだから、

彼女はどんなに大変な思いをしているのだろう、と彼女を想い、

少しでも怪我が小さくありますように、

そして、早く立ち直ることができますようにと祈りました。

                                                               里英子


<女神山ワークショップ その2>

2011-12-22 | ワークショップ

今回のジュディス・ボーンの、ワークショップのテーマは

<自分の人生をフルに(可能性を全開にして)生きる>です。

ワークショップでは、いろいろなエクササイズをして、

そこから自分で気づくことを大切にします。

ゲシュタルトセラピーと同じように、今ここの気づきを大切にして、

解釈も、分析も、説明もいらないのです。

ただそのまま起こっていることを受け止めていくこと、

そして受け入れてもらえる体験は、とても心が落ち着きます。

そうすると、自分を自分で認めることができるようになり、

生き生きと輝いていくのが、

自分だけでなく、参加者の皆さんを見ていると、わかります。

 

今回のエクササイズで、特に私がいろいろな気づきを得たのは、

自然の中にいることでした。

人とは話をしないという前提で、

最初の20分間、話でも歌でも、とにかく声を出し続けて、

自然の中にいること。

次の20分間は、何も声を出さずに、静かに、自然の中で、

オープンになること、自分といること、

何かとつながるという意図を持つこと。

何も心配しないで、何も期待しないで、という注意がつきました。

そういうエクササイズでした。

 

私自身の体験では、まず20分間声を出し続けられるだろうか?

という心配が出てきましたが、心配しないことという注意を思い出し、

心配するのはやめました。

そして、紅葉している林の中に、足を踏み入れたとたん、

なんの脈絡もなく、いろいろな言葉が口から出てきました。

樹木が聞いてくれたり、空が聞いてくれたり、

竹林が聞いてくれたりしました。

歌もー聞いたこともない自作の詩とメロディがついていました。

ずっと声を出し続けることが、とても気持ちよくなってきました。

 

そしてちょうど20分経ったとき、

私は林を抜けて、向こうの山の見える高い場所に来ていました。

そこからの景色は素晴らしく、20分間そこで佇んでいました。

遠くの山も川も、空も雲も、近くの畑の大根も、足元のスミレの花も、

今ここにあるそのままの姿で、そのまま私を受け入れてくれていました。

私の心も、それらをそのまま受け入れることができました。

なんと不思議な感覚でしょうか?

体も心も広がって、宇宙とつながったような気分でした。

 

         里英子


<女神山のワークショップに参加して>

2011-12-15 | ワークショップ

 

 

女神山ライフセンターのワークショップに参加しました。

フォーカライザーのジュディス・ボーンに、

是非とも会いたかったからです。

 

2009年9月、スコットランドのフィンドホーンでのワークショップに、

私が参加したとき、

彼女がフォーカライザーの一人だったのです。

 

今回は、2011年11月17日から20日の3泊4日のワークショップでした。

まず、女神山の自然の中にいられたことに感謝!

ちょうど木々が色づいて美しく、林を歩けば、

ふかふかの土の上に積み重なった落ち葉がカサカサと鳴ります。

澄み切った空と遠くの山も見られます。

思わず、フーーーと息を吐いて、深呼吸。

爽やかな空気が、胸いっぱいに広がります。

自分の体が、生き返ったようになって、喜んでいるのが分かります。

来てよかった!

夜には、星がたくさんまたたいています。

こんなにたくさんの星を見たのは、本当に久しぶりです。

生きていてよかった!

 

このような自然の中で、ワークショップに参加できるなんて、嬉しい限りです。

しかも、今回は、私は一参加者なので、なんと気が楽なのでしょう。

のびのびと居て、一つ一つのことに驚き、喜び、楽しみました。

そして感謝の気持ちが湧いてきました。

 

ジュディスは、ニコニコと、ただそこにいるだけで、

そのままの存在がとても大切だということを、伝えてくれます。

なんと愛らしい人でしょう。

 

そして、ジュディスとだけではなく、

出会いの素晴らしさを、十分に確認できました。

2009年にフィンドホーンで会った友とも再会することができ、

懐かしく、そしてまた、新たなエネルギーをお互いに感じることもできました。

また初めて会う方とも、ワークの体験を通して、素敵な時間を共有できました。

特に、寺山心一翁さんと出会えたのには、びっくりしました。

というのも、私がフィンドホーンに行ったのは、彼の御陰だからです。

寺山さんとは、顔を合わせた時から、初めて会ったような気がせず、

お互いに気楽にお話し、熱が入り、盛り上がってしまいました。

共通の友人の事、体・がん・医学の話から、原発事故の話など、

多岐にわたって、本当によく勉強していて、

ご自分の感じ方、考え方、意識をしっかり持っていて、

エネルギーに満ち溢れています。

彼は、体全体から、光り輝いているように、私には見えました。

 

このワークショップでは、一人ひとりとの出会いを十分に楽しみました。

この出会いに、感謝です。

ありがとう。

 

ワークでの体験については、またお話します。

         里英子


<ライブの魅力>

2011-12-09 | 音楽

以前に一度、<ライブコンサートの醍醐味>という題で載せました。

その時触れた、石川静のヴァイオリンとクヴィータ・ビリンスカのピアノに、

カレル・フィアラのチェロが加わった、クーベリック・トリオの演奏を、

2011年11月3日にJTホールで聴きました。

曲は、ベートーヴェンの「街の歌」、ヨゼフ・スークのピアノ三重奏曲、

ドヴォルジャークの「ドウムキー」でした。

実は、石川静さんは、中学の同級生で、今も親しくしています。

そのような関係もあり、クーベリック・トリオの演奏は、

チェコの素敵なホールや、村の小さなホールなどでも聴きましたし、

日本でも教会や様々なホールで聴きました。

今回強く思ったのは、ライブとは、その時限りの演奏だということです。

当たり前といえば、当たり前のことですが、

毎回感じる感覚が異なるので、そのことをもう少しお伝えしたいと思います。

 

LIVE―― まさに<今・ここに生きていること>なのですね。

音に現わされていることはもちろんですが、

演奏者の動きや表情も伝える手段になっていて、

演奏する音楽を、今・ここで表現していると思いました。

今回は、静さんの体の動き、クヴィータさんの表情、カレルさんの仕草も、

音楽に合った動きをしていることに気づいて、楽しくなりました。

聴く方も、今・ここに一緒にいて、演奏を受け取り、感じることによって、

音楽を創ることに、関与しているように思います。

今回私が感じたのは、音が体全体から染み渡って、胸に深く響いてきて、

しかも心の奥では静かな感覚でした。

静さんは、演奏後、

「演奏する方も、毎回違うように弾いているからね」と語ってくれました。

聴く方も毎回、心の状態も違うし、いろいろな気づきもあって、異なるのですね。

ですから、ライブは、演奏する方と、聴く方の、

今ここでの、音を通しての出会いなのだなあ、

と改めて思ったことでした。

そこに、ライブの魅力があるのでしょう。

また、次のコンサートが楽しみになりました。

 

尚、12月11日(日)9:00AMからのNHK FMの「名演奏ライブラリー」で

スーク氏の追悼特集として、石川静さんの話と演奏を聴くことができるそうです。

 

       里英子