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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

縄文時代は狩猟採集時代という誤った刷り込み

2019-03-20 21:47:42 | 日本人論
2018/5/29(火) 午後 1:19

以前にも書きましたが、縄文時代は狩猟採集の時代で、農耕の始まりは弥生時代からという概念は正確ではなく、「ある種の固定観念」的な刷り込みです。


小学校の社会の教科書から「縄文時代」の記述や、科学的な検証から1万6500年前のものであることがわかっている「縄文土器」を紹介する写真が消えていたことをご存知ですか。10年ぶりに2010年に復活したという経緯がそもそも何故だと思いますか。


いまだに「縄文時代は狩猟採集時代」という刷り込みの根の深さをあちこちで目にしますので、近年、そのよう紋切型の概念では説明できない様々な指摘があることを、再びここでご紹介させていただきます。


実際、当初は日本考古学協会は縄文農耕の存在に否定的で、縄文後晩期の農耕の存在さえ認めていなかったようですが、近年日本考古学協会からではなく、環境工学や地質学といった、考古学以外の分野の研究者たちによって、縄文時代の狩猟採集以外の生活活動が早期にさかのぼる可能性が徐々に裏付されつつあるようです。


水稲農耕が始まったのも、実際は縄文時代後期からであることも判っており、それ以前には、イネを稗、粟、きびと混作する陸稲の雑穀栽培が行われいたことも現在では徐々に明らかになっています。

引用:http://www.komenet.jp/bunkatorekishi01/112.html


以前に書いたこととほぼ同じことを書きますが、以下は次のサイトからの引用です。縄文時代に焼き畑や施肥などの農業技術が始まっていた可能性を指摘した研究についての話題です。

引用::https://www.joumon.jp/2016/03/28/jomon-agriculture/


長野県の武居幸重は1986年に「縄文のデザイン」の中で以下のように述べています。「縄文前期までは焼畑農耕を生活の基盤としていた。いったん火をかけ焼畑をつくると数年で収穫が激減する。そこを放棄して次々と新しい土地を焼いて畑をつくり、30年から40年後に初めの土地に戻るというサイクルで集落周辺を作りまわっていたのである。中期には入ると施肥を行って同じ土地を繰り返し耕作するという有機農法に切り替えたと私は考えている。しかしこの切り替えは一切の畑がそうなったというのではなく、食料確保の主体部分が切り換えられたという意味であって、補助部分としては相変わらず焼畑はつくられたいたであろう」


佐瀬隆(北方ファイリスト研究室)は、縄文社会は火山灰に腐食植物を含んだ黒土(黒ボク土壌)、台地地形上に立地する傾向を持っており、黒ボク土壌は縄文人の生業活動による二次林を生成した跡であるという結論を出しておられるようです。


また、枝村敏郎(神戸大学名誉教授)や熊谷樹一郎(摂南大学 理工学部教授 都市環境工学)も縄文遺跡の立地性向について、縄文遺跡は黒ボク土壌地帯、台地地形に分布する傾向を持ち、縄文文化=ナラ林園説が必ずしも正しいわけではなく、黒ボク土のある土地に縄文遺跡が分布していることを明らかにしています。


山野井徹(元山形大学名誉教授、東北大学総合学術博物館研究員)は、地質学的な見地から、黒ボク土が微粒炭を高密度に含んでいることを指摘している。その微粒炭は、人為的な焼畑が継続的かつ繰り返し行われたことによって作られ、縄文時代を通じてそのような大規模な野焼きや山焼きが集落周辺で常に行われていたことを示していると指摘。


これらの研究が示しているのは、集落周辺の土地に焼畑に十分利用できる土地環境が継続的かつ持続的に展開していたという可能性である。野焼きや山焼きによってもたられた灰や炭は酸性土壌をアルカリ性に改良するだけでなく、カリウムと石灰分を含む肥料としても機能していたことは間違いないだろう。


縄文時代とは世界に類を見ない豊かな狩猟採集の時代だったのではなく、様々な農耕技術を駆使した時代だった可能性が徐々に濃厚になってきています。果たして、日本の考古学会は、この他分野からの問いかけに答えることが出来るのでしょうか。


注:
二次林:伐採や火災によって失われた後に、自然にもしくは少し人為的に再生した森林。

焼畑農業:現代知られている日本の焼畑農業では、稗、粟、そば、大豆、小豆を中心に麦、里芋、大根なども加えた雑穀栽培型が一般的。焼畑の造成はキオロシと呼ばれる樹木の伐採作業から始められる。耕作地を更地にしたあと、しばらく乾燥させ火を入れる。その後に播種するが、1年目はそば、2年目は粟、といったように輪作されることが多い。耕作期間は3~5年でその後植林し、15~20年間放置して地力を回復させる。(WIKI)


縄文時代の時代区分縄文時代の時代区分(日本考古学小辞典より)
草創期
B.C. 10,000~7,000年
早 期
B.C. 7,000~4,000年
前 期
B.C. 4,000~3,000年
中 期 
B.C. 3,000~2,000年
後 期 
B.C. 2,000~1,000年
晩 期
B.C. 1,000~200年



コメント

考古学協会は認めませんが、縄文時代の稲作については常識化されつつありますね。

私も縄文の稲作については以前から問題意識があり、2010年の「東海の古代」で発表しています。古代の稲作に関心を持って見える方々の間では縄文の稲作は認知されていますが、古代史の権威は認めていませんね。
2018/9/25(火) 午後 8:27 泉城


> 石田泉城さん
こんばんは。私も昨日から泉城さんのブログで「稲作の始まり」に関して読ませて頂いておりました。とても詳細に「稲作と二倍年歴」のことを書いていらっしゃって、大変面白いです。泉城さんのように、あらゆることに緻密で、知的好奇心旺盛な方はめったにいらっしゃらないし、本当にすごい方だと思います。

日本の歴史を緻密に泉城さんが、客観性のある文献や科学的に検証された事実を基に解析して下さっているので、これらをいずれ、まとめて下さることを期待しております。
2018/9/25(火) 午後 8:47 kamakuraboy

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