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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

歴史の真実②

2019-03-02 05:43:11 | 韓国・北朝鮮

日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で李氏朝鮮が
清の支配からの解放され、自主独立国家として歩みだすこと
になり、記念してつくられた「独立門」1896年11月定礎1897年
11月完成。左側の2本が迎恩門の柱礎。

大韓帝国皇帝太宗は1907年6月に行われる第2回万国平和会議に秘密裏に特使を派遣し、「ハーグ密使事件」を起こしますが、既に日本の権益を認めていた列強からは相手にされなかったそうで、この事件により、日本の意を受けた李完用などの勢力は、皇帝退位へと動き、皇太子純宗への譲位に追い込まれてしまいます。

伊藤博文は1907年7月、京城(ソウル)で新聞記者達の前で、「日本は韓国を合併する必要なし。韓国は自治を要す。」と演説していたそうです。そのような方針であったのに、その伊藤を1909年ハルピンで暗殺し、結果として韓国は「健全な自治は遂げ難い」国であると判断され、日本による朝鮮併合を促してしまったのが義兵運動家の安重根でした。

安重根は朝鮮語でもなく、日本語でもなく、ロシア語で「コレヤ! ウラー! コレヤ! ウラー! コレヤ! ウラー!(Корея! Ура! / 韓国万歳)」と大声で三唱して叫び、後に供述したところによると、朝鮮語ではなくロシア語を用いたのは「世界の人々に最もわかる言葉を選んだ」ためであったと述べています。

 伊藤暗殺事件翌年の1910年に日本による韓国併合となります。



コメント

安重根について、韓国では抗日闘争の英雄と評価しているようですが、日本では伊藤博文を暗殺した犯罪者という見方でしょうから、国の立場によって認識は大きく違います。
ただ、人間として考えた時、人を殺めることはあってはなりません。それが国家間の歴史を大きく揺るがしたとなれば許されざるを得ない大罪だと思います。
ケネディ暗殺の際にも感じましたが、暗殺ほど卑劣な行為はありませんね。
2018/8/4(土) 午前 9:09 泉城


> 石田泉城さん
おはようございます。コメントを頂きありがとうございます。テロリスト安重根の撃った銃弾が伊藤の致命傷になったかどうかは正確なところは不明なようですが、暗殺を意図したことは事実であったし動機はともあれ卑劣な行為であったと私も思います。
指導的枠割の人物を暗殺することで歴史の何かが変わったのかもしれないとも思います。卑劣な暗殺者を英雄視する隣国と我が国とは価値観を共有できないですね。
2018/8/4(土) 午前 9:31 kamakuraboy


1番上の「独立門」と「迎恩門」の写真は初めて目にしましたし、また、大韓帝国皇帝太宗の「ハーグ密使事件」と皇帝退位への動き、皇太子純宗への譲位のお話も初めて知りました。
また、日本による韓国併合のことも、そしてその結果、何がどうなったのかは分かりません。
わたしのところから車で1時間くらい行った宮城県栗原市に安重根の碑があります。
その碑は、安重根が伊藤博文を暗殺した後に処刑されまで刑務所で担当者だったという係の人が、後年、地元の人たちに呼び掛けて建てたもののようです。
ただ、その方も暗殺自体を肯定しているのではなく、安重根と接していくうちにこのような記念碑を建てようといった気持ちになったみたいなことが書いてあったような気がいたします。
2018/11/2(金) 午前 8:35 [ weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼) ]


> weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼)さん
こんにちは。コメントをありがとうございます。安重根の記念碑があるならば、その地に毎年多くの韓国人達が訪れているのでしょうか?実は彼らのことだから案外無関心だったりして、と思ったりします。

彼がどうして伊藤博文初代朝鮮総督府総監(かつては千円札の顔で、初代内閣総理大臣でもありましたね)を暗殺しようと思ったのか、その動機が何だったのかは正直なところ理解できないのですが、アジア全体の繁栄を願っていたのかもしれないとは思います。

日韓併合に反対していた伊藤博文が暗殺された翌年の日韓併合をもちろん反発した人々もいたでしょうが、それは少数派だったようで当時の大多数の韓国知識層にとっては日韓併合は必ずしも不本意なことではなく望んだことだったようです。

独力では近代化できず、他のアジアの国々同様欧米列強の植民地になるかもしれない弱い自国を、日清、日露戦争に勝利し、欧米列強に匹敵する大きな国力をもちつつあった日本によって併合されて、日本の力で近代化されることを彼らの方が望んでいたということです。
2018/11/2(金) 午前 11:24 kamakuraboy


このタイトルの⑦に書いておりますが、具体的には「一進会は1909年12月4日、『合邦声明』を出し、伊藤の後の第2代韓国統監である曽根荒助と、韓国首相であった李完用(イ・ワンヨン)に対し『日韓合邦』の請願を提出。1910年6月3日「併合後の韓国に対する施政方針」が帝国議会で閣議決定し、8月22日寺内正毅第3代総監と李完用韓国首相により調印され、韓国は日本に併合となった。」つまり、「日帝強占」どころか実は韓国最大の政治団体「一進会」などが願い出ての併合だった。

もちろん、心情的には母国が亡くなってしまうことは悲しいことだとわかりますが。そうした当時の複雑な差し迫った状況の中で韓国側からの請願によって、むしろ望んで併合されたという事実こそが現在の韓国の人々にとって不本意な部分なのかもしれません。
認めたくないからこそ「日帝強占時代」などという現実とは真逆のイメージを作り出して歴史の実相から目をそらし、自己欺瞞しているように思えます。
2018/11/2(金) 午前 11:25 kamakuraboy


> weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼)さん
すみません、文章が冗漫だったのでコメントを差し替えまして、そちらから頂いたコメントと順序が逆になってしまいましたね。

安重根の双書というのは、韓国の方々にとり大変貴重なものだと思います。それを大事に保管なさっておられるのなら、いつか、当時の日本と韓国との関係を理解していただくきっかけとして韓国政府か韓国の国立博物館に寄贈なさるのもよいことかもしれませんね。但し、その条件として、併合の経緯をきちんと一般の韓国の人々に伝えて頂くことなどを条件に。


「安重根記念碑」は宮城県栗原市の地元の人々にとっても複雑な思いのある記念碑のようですね。日本の初代内閣総理大臣を暗殺した「テロリスト」を記念するのか、などのような意見からでしょうか。
2018/11/2(金) 午前 11:42 kamakuraboy


> 安重根の双書というのは、韓国の方々にとり大変貴重なものだと思います。
→ 「氏」と使ったことで誤解を生んでしまったようです。
「氏」は安重根ではなくて、浜口雄幸さんのことです。
つまり、浜口雄幸さんからいただいた伊藤博文のしたためた双書っていうことなのです。

kamakuraboyさまにご説明いただきましたそのほかのコメントは凡愚のわたしにはすぐには理解できません。
2018/11/2(金) 午後 3:18 [ weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼) ]


> weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼)さん
ああ失礼しました。記念碑とだぶってしまって。安重根という人物も亡くなるまでの間に獄中で、論語などからとった「遺筆」を残し、(暗殺前に12名で断指したとされる「断指同盟」の一人であったことを示す)左手薬指が短い本人とわかる手形が押されているそうです。

この話が頭にあって、勘違いしてしまいました。
2018/11/2(金) 午後 4:00 kamakuraboy


kamakuraboyさんの2つのコメントから、考えていくよすがとなりそうな点を抜粋すると以下のようになるかなって思います。
独力では近代化できず、他のアジアの国々同様欧米列強の植民地になるかもしれない弱い自国を、日清、日露戦争に勝利し、欧米列強に匹敵する大きな国力をもちつつあった日本によって併合されて、日本の力で近代化されることを彼らの方が望んでいたということです。
1910年6月3日「併合後の韓国に対する施政方針」が帝国議会で閣議決定し、8月22日寺内正毅第3代総監と李完用韓国首相により調印され、韓国は日本に併合となった。」つまり、「日帝強占」どころか実は韓国最大の政治団体「一進会」などが願い出ての併合だった。
心情的には母国が亡くなってしまうことは悲しいことだとわかりますが。そうした当時の複雑な差し迫った状況の中で韓国側からの請願によって、むしろ望んで併合されたという事実
こういうことなんですね。

P.S 1個・削除させていただきました。
2018/11/2(金) 午後 9:14 [ weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼) ]


> weeping_reddish_ogre(泣いた赤鬼)さん
こんばんは。日本と韓国の間の歴史について実際にはもっと複雑な背景があったことも実は後からわかってきておりますが、それでも、要は決して一方的な強占や侵略ではなく、政治的な判断によって国と国との間で承認し合ったことだった、いわば合法的なものであって、ドイツのポーランド侵攻などとは全くちがうということです。

韓国の方々の中にも当時の経緯をちゃんと理解しておられて、自分たちの祖父母の世代の方々に当時のことを聞いてみられる人々もいるようで、そういう人たちは実は親日的だし、自国の歴史歪曲をむしろ恥じておられます。

韓国の一般の人々に反日はそれでも自国が分断国家となった原因が日本の身代わりになったのだからと思っているむきもあるようです。でも本当の原因はそこにあるのではないと私は思っております。そのあたりのことも、拙ブログのもう少し先の方の記事の中で書いておりますので、よかったらお時間のあるときに覗いてみてください。

泣いた赤鬼さんがが日本のことをもっと知るための何らかのきっかけになれれば嬉しいです。
2018/11/2(金) 午後 9:45  kamakuraboy


2018年1月19日ヤフーブログに投稿した記事より

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