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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

歴史の真実⑥

2019-03-02 06:22:26 | 韓国・北朝鮮
19世紀の李氏李氏朝鮮のソウル 土木工学や建築学、その他自然科学などは発達せず、ほぼ中世のままであった 碁を打つ両班。彼らは儒学問答に明け暮れていた 染色文化がなく、王以外は両班も民衆も白衣 さて、歴史のおさらいです。山川出版の詳説世界史によれば、日清戦争での清の敗北をきっかけに、欧米列強は清朝領土での鉄道敷設・鉱山採掘なので利権獲得競争に乗り出します。 シベリア鉄道の建設を . . . 本文を読む

今も昔も変わらぬ蝙蝠外交の国

2019-03-02 06:19:49 | 韓国・北朝鮮
2018年1月22日にヤフーブログに投稿した記事より さて、また話題は再び「大韓帝国」末期ですが、日露戦争終結直前に当時の大韓帝国・皇帝高宗がロシア皇帝に送った親書が公開され、高宗が日本を強く非難していたことが分かったと、韓国の中央日報(2015年8月12日付け)が報じていました。 高宗がロシア皇帝ニコライ2世に送った親書の日付は、1905年8月22日、日露が朝鮮半島などの覇権をめぐって戦って . . . 本文を読む

歴史の真実⑤

2019-03-02 06:14:02 | 韓国・北朝鮮
1910年日韓併合後に京城(現ソウル)につくられた朝鮮総督府 1995年に金泳三政権時に爆破解体された 伊藤暗殺事件の(致命傷を与えた)本当の狙撃者がそこにいなかったならば、つまり、安重根以外の真に暗殺を企てた組織がなく彼単独でその場面にいたのであれば、暗殺は未遂で終わっていたのかもしれません。ちょうどマークリッパート駐韓アメリカ大使が朴槿恵政権時に暴漢に襲撃され重傷を負ったものの、命は奪わ . . . 本文を読む

歴史の真実④

2019-03-02 06:03:05 | 韓国・北朝鮮
ハルピン駅 安重根の撃った弾が伊藤博文の致命傷になったかどうか。つまり真の暗殺者は駅の2階の食堂の窓からフランス騎馬隊のカービン銃を用いた狙撃者だったのではないかという説があるようです。 ロシア側の証言では、安重根は最初の2発はしゃがんで撃ち、3発目は左手を右肘に添えて冷静に狙って撃ったとされていますが、伊藤と同行した室田義文貴族院議員の証言からは、伊藤の傷は右肩から左下に体内に残った弾が致 . . . 本文を読む

歴史の真実③

2019-03-02 05:57:28 | 韓国・北朝鮮
イザベラ・バード(1831~1904)大英帝国の旅行家、紀行作家、英国地理学会特別会員に選出された。 1894年から1897年4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ、"Korea and her Neighbours"(「朝鮮紀行」)を書いている。併合前のソウルに関して「この世で一番不潔な街」と書いている。国際情勢に翻弄される李氏朝鮮の不穏な政情、伝統的封建的社会、文化など、バードがじかに見聞きした朝 . . . 本文を読む

歴史の真実②

2019-03-02 05:43:11 | 韓国・北朝鮮
日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で李氏朝鮮が清の支配からの解放され、自主独立国家として歩みだすことになり、記念してつくられた「独立門」1896年11月定礎1897年11月完成。左側の2本が迎恩門の柱礎。大韓帝国皇帝太宗は1907年6月に行われる第2回万国平和会議に秘密裏に特使を派遣し、「ハーグ密使事件」を起こしますが、既に日本の権益を認めていた列強からは相手にされなかったそうで、この事 . . . 本文を読む

歴史の真実①

2019-03-02 05:34:05 | 韓国・北朝鮮
宗主国である清の皇帝の使者を三跪九叩頭の礼で迎えるためにつくられた迎恩門。 漢城の西大門にある敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。 日清戦争後、清からの独立後の1896年に柱だけ残して撤去され、代わりに京城に 独立門が建てられた。 さて、近代史のおさらいです。東京出版の歴史教科書によれば、朝鮮半島南部一帯で蜂起した甲午農民戦争(別名東学党の乱1894年)に対し、朝鮮政府が . . . 本文を読む