仙台街探(まちたん)プラス

仙台のグルメ・カフェ・イベント・etc.街の話題をウオーキングしながらご紹介。プラス岩手、山形、福島の街ネタも。

護衛艦「いせ」の一般公開で仙台港高松ふ頭へ

2024年07月14日 | イベント・ライブ・伝統芸能

護衛艦「いせ」の一般公開があるというので仙台港高松ふ頭にやってきました

自衛隊の基地、艦船の一般公開に臨むのは、幼少の頃以来、60年ぶりぐらいでしょうか、JR仙石線多賀城駅からシャトルバスが出ているので、少し早め8時過ぎにやってくると、こんな行列です

シャトルバスで10分、高松ふ頭に護衛艦「いせ」が接岸していました すでに多くの方が並んでいます

老若男女、家族連れも多数、カップル、年配者、コアなファンの方など様々です

間もなく乗艦です

護衛艦「いせ」は、ヘリコプター搭載護衛艦ですが、ヘリがないと艦内には大きな空間が広がり、大規模災害時には、救援物資輸送や傷病者の収容にも活躍します

今回の一般公開の目玉は、何と言っても昇降エレベーターに乗れることです、なかなか体験できる機会はありません

さあどんな感じでしょうか

ほとんどショックもなく、昇ります

いつのまにか甲板上に、やっぱり広いです

当然護衛艦ですから、武装していますが、機関砲と迎撃ミサイル、魚雷発射管位とか

甲板から前部昇降エレベーターが下がった状態です

哨戒ヘリが甲板上で展示されています

コアなファンは、熱心に機内を撮影しています

甲板後部から前方を撮影、当然ですが真っ平で広い

艦内の要所要所には、隊員の方が配置され、質問にもソフトに応えられていてだいぶイメージが変わります

どこでも人手不足、自衛隊も例外ではありません

太平洋フェリー「いしかり」でしょうか、苫小牧からやってきました

後部昇降エレベーターで艦内に下ります

後部エレベーターのほうが幅広ですので、大きく口を開けているように見えます

なかなか体験できない見学会でした

あっという間の2時間、同じ乗船口から降ります

接岸岸壁には、物販コーナーもあり、結構な人だかりです

東日本大震災での自衛隊の活躍、日本周辺の不安定な状況、そして世界各地での紛争と、自衛隊の立ち位置、期待が大きく変わろうとしています、仙台市の「戦災復興展」と重ねると、時代の変化をつくづく感じてしまいます

シャトルバスで多賀城駅に戻ると、朝の倍以上の見学者がならんでいて、その人気ぶりがわかります

一般公開は、15日(月)は9時~13時まで、多賀城駅南口からシャトルバスが運行されています

 

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なないろの里 隠れグルメ「あんだんち食堂」へ

2024年07月13日 | 一推しグルメ

六丁の目から所用で名取市閖上に向かう時間調整から早めのランチをすることに決め、ここ、なないろの里「あんだんち食堂」にやってきました

”あんだんち”とは、方言でいう”あなたの家”という意味ですが、ここ「アンダンチ」は、高齢者、障害者、児童、そして地域住民がつながる衣食住と学びの多世帯交流複合施設です、2018年にオープン、話題になりました

あんだんち食堂、アンダンチレジデンス(サービス付高齢者住宅)、保育園、アスノバ(障害者就労支援事業所)などで構成されています

「あんだんち食堂」、初めてやってきました、今日の給食?

いろいろメニューがありそうです

オープンして6年経過してますが、店内はきれいに清掃が行き届いています

窓越しに外の庭がきれいに見えます

柱の支えや薪ストーブの配置もGood!

外には涼しげなパラソルも

照明も明るい

入口付近には、こちらで使用している体にやさしいこだわりの調味料や食品が販売されています

メニューも豊富ですが、

こちらの寝かせ玄米せいろ膳にしました

せいろで蒸し焼きされた肉巻きと野菜、お米本来の味を引き出す玄米ごはんで、久方ぶりに体にいい美味しいランチでした、ほかにもいろいろメニューが並びます

 

玄米から野菜、醤油、味噌などの食材すべてに、あんだんち食堂のこだわりを感じます

食堂の2Fは保育園、園児たちの声が聞こえそうです

「あんだんち食堂」の強みは、施設内のすべてに食事を提供していることで、食への、材料へののこだわりを強く感じます、ユニークなのは、施設内で出されるものと同じ「アンダンチ給食」なるメニューがあることです ”食べて応援” 是非 なないろの里へ

「あんだんち食堂」のHPは  https://andanchi.jp/dining/

 

 

 

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仙台空襲から79年、戦災復興展に行ってきました

2024年07月12日 | 歴史散策

今の若い人たち、子供たちには、とても想像できないでしょうが、1945年7月10日、米軍による仙台空襲で約1400人の方がなくなり、市内中心部はほとんど焼け野原となりました。記憶と記録を後世に残すため、「仙台市戦災復興記念館」が建設されました

7月6日から14日まで「戦災復興展」が開催されています、しばらくぶりにやってきました

開催の挨拶に続き、「伊達政宗公のまちづくり~城下町仙台のヒミツ」と題し、ブラキムラでお馴染みの木村浩二さんの記念講演がありました

講演の主旨は、仙台の街は、①明治維新でそれまで藩政時代の名残を残しつつ、大きく変貌していく

②大正から昭和の初めにかけて経済の拡大と共に建設ブームが起こる

③戦後、仙台空襲後、新しい街づくりと再開発が進み、街が一変していくというものでした

常設展の展示物はまさしく、仙台空襲の記憶と3つの視点による街の変化でした

企画展では、井上きみどりさんの漫画パネル「戦争中の子どもの生活」は、すばらしいものでした。月2回の夕刊の掲載は、何気ない日常の細やかなの感情の移り変わりを漫画にし、いつも楽しみにしています。

常設展を見ていきます

明治の初め頃には、まだ城下町の雰囲気が残っていました

明治後年、大正に入ると、交通機関が発達してきます

昭和に入ると、ビル建設ラッシュですね

宮城県庁はなつかしい、まだ記憶の中にきっちりあります

いよいよ、仙台空襲の記録です、B29の爆弾は、ガソリンをジェル状にしたものが、詰められていましたので、日本の家屋はひとたまりもありません

市内中心部は一面焼け野原です

政宗が造った初期の仙台の街のエリアはほとんどが焼失してしまいます

カラー化された写真はやはり説得力があります

中学生は、授業の一環でしょうか、一生懸命メモを取っています、次代に記憶を引き継いでほしいものです

防空壕のジオラマです、かなり方が、避難した防空壕でなくなりました

市内にまだ数か所、防空壕が残っているそうです

戦後の混乱期です

2両編成の仙石線、屋根や窓はあふれ出た人で一杯です

戦後の復興計画で、また仙台が大きく変わりました

道路拡張で市内の大通りの基盤が形成されました

なつかしい仙台市電、1976年まで走っていました

地下の展示コーナーでは、月刊誌「りらく」に掲載された空襲経験者の証言シリーズが展示されています

また東北大学に残された戦争に関する資料も展示されていました

街歩きをしていると、近代的なビル群とマンションに囲まれた仙台にややもすると味気ない思いにとらわれてしまいますが、どの場所にも記録と記憶があり、いろいろ想像してみるとまた見方が変わります。期間中、様々なイベントが開催されていますので是非、足を運んでみてはどうでしょうか

仙台市戦災復興記念館のHPは  https://www.hm-sendai.jp/sisetu/sensai/

 

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藩政時代の記憶「木流堀」沿いを散策、水の流れはどこへ・・・?

2024年07月08日 | 歴史散策

藩政時代の記憶「木流堀(きながしぼり)」について、新聞や、月刊誌「りらく」などで取り上げられていて、歴史・遺構巡り好きには気になる場所です。「木流堀」は、仙台城下の家臣に支給する燃料用の木材を運ぶための水路として開削されました。名取川から広瀬川までの約6km、深さ1mほどの水路でしたが、現在は、農業用水路、大雨対策などの排水路の役目を担っています

日差しが強いので、山田インター近くの公共施設から自転車でスタートしました、往復約15kmゆっくり2時間半の行程です。ここは名取川、南部道路に近接する取水門です

すぐ近くに水路に下りられる場所があり、農作物の洗い場だったりするのでしょうか。また「木流堀」沿いになにか休憩場所となるカフェはないかと調べると、cafe「くれよん」がありました、スタートしたばかりですのでまた別の機会に寄ってみます

「成就院」も古くからあるお寺です

水路の先に、大年寺山テレビ塔が見えます

明治以降、木材運搬から農業用水として、そして戦後には治水対策として改修が進められ、名取川からの水は、この笊川と合流し、ふたたび名取川にもどります

「木流堀」の水の流れはどうなっているのか、広瀬川へとは逆向き、新笊川に向かっています

どこかに水の流れの分岐点があるはず・・・。

「多賀神社」の裏手、西多賀2丁目付近の小川は、青がメインで新笊川方面、黄色が微かに広瀬川方面に流れています、この付近が分岐点のようですね、都市化が進む市内中心部の「木流堀」沿い、広瀬川にそそぐ水量を減らすことが重要でした

「多賀神社」、参拝する機会がなかったのでちょうどいい機会です

仙台市内でもっとも古い神社とされています

仙台市の保存樹木「シラカシ」の大木がランドマークでしょうか

さらに堀を進むと

西多賀1丁目付近で、R286を越えます

この先、泉崎2丁目付近で案内板①が設置されています、排ガスでだいぶ汚れていますが

この付近で八木山方面からと、さらにこの先の東北工大長町キャンパス入口とで、小川が2本、木流堀に流れ込んでいます、結構な水量ですので河川改修は必要だったんですね

二口街道沿いを進みます、2つ目の案内板②です

堀は鹿野1丁目付近で、R286を越え、広瀬川へと・・

河原町のツインタワーマンションが見えてきました

仙台南高校沿いに広瀬川へと進みます

案内板③三つ目、設置年がそれぞれ違うのが面白いですね

山形に向かう二口街道の案内図があります、たしか長町駅前が二口街道のスタートだったと記憶していますが・・・

この案内図を見て納得、大きな街道には、入口は何本もあって不思議ではありません

広瀬川との合流地点、ここにも案内板④が設置、計4か所目です、①と④が同じ内容でした

広瀬川への注ぎ口では、水鳥、大きな鯉の群れがいて、そしてその先にツインタワーマンション。「木流堀」は、燃料となった材木を流す役目から、都市化と治水対策、自然環境の保全と役割は大きく変わりました。歩くと結構な距離ですが、自転車だと半日でOK、皆さんも是非その水の流れ、歴史の流れを辿ってみて下さい。

 

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蔵王町遠刈田温泉七日原 隠れグルメ 山菜料理「山荷葉(さんかよう)」へ

2024年07月07日 | 一推しグルメ

96歳の義母のボケ防止ドライブ&ランチカフェで、白石の川原子地区の市道「あじさい」ロードをドライブしました。鎌先温泉付近から川原子ダム、蔵王キツネ村付近まで、約8kmの道筋に、色とりどりの紫陽花が連なります。車から降りなくとも楽しめるので、義母は大喜びです。

県道51号線、国道457号線に出て仙台市内に戻ろうとするとき、遠刈田温泉の入り口の手前で、山菜料理「山荷葉(さんかよう)」のサイン、看板を見つけ事前情報なしでやってきました

飾らない女将さんが出てきて、予約でいっぱいでしたが、3人分OKとなり、ラッキーでした。山荷葉(さんかよう)とはどんな花かまったくわかりませんでしたが、雨などに濡れると透明になり、ひと時の出会いで幸せを感じられる可憐な花ですね。お店のコンセプトにぴったり。

※お店の案内はがきです

店内も和モダン、もともと大工さんがこだわって作った家だそうで、改装は床を板張りにしたぐらいとか

シンプルでゆったりできる空間です

椅子とテーブルが4卓ほど、それぞれ客の人数構成に対応OK

縁側も余裕のスペースです

和室は続き間になるので空間が広がります

メニューです

義母を連れていたので大奮発、山荷葉膳をお願いしました

小鉢です

ワラビ一本漬け、女将さんの秘密の場所で群生されているようです

山菜てんぷらです

メインの山菜丼

親子丼

このあとにデザート、珈琲などのドリンク付です

テーブルごとに花が一輪

壁にもボタニカルアートが飾ってあり、

山形在住の杉崎夫妻の作品を紹介する書籍とボタニカルアートのカレンダー、テーブルマット、便箋などほしいものばかりです

庭も広々

和風にこだわらないのがいいですね

庭先から母屋を見ます

庭の先は、林になっていてハンモックもあったり自然に囲まれています

鶏を放し飼いされていて、これもまた、ほのぼのします

今年1月にオープンした知る人ぞ知る、たまたま偶然入った「山荷葉」、新聞、テレビなどの取材は控えていますとのこと、とっておきのお店にリストアップしました

「山荷葉」 蔵王町遠刈田温泉七日原

TEL090-1397-0340  

予約したほうが安心です

 

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