美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

クラス通信 2006年4月18日

2006年04月17日 | クラス通信Ⅰ(C組高2~高3)


◆3年生となりました。今、「学ぶ」ということをもう一度考えてみよう。

学習をすることにより、二つのものを身に付けます。一つは、学習した内容の「知識や技能」。もう一つは、学習するという行為そのものにより得られる「人格成長」です。
「知識や技能」は、習得された場合、目に見える成果となって現れます。もう一つの「人格成長」は、何かを習得しようとする過程で自分自身が体験することでしか習得できないもので、他人からは見えません。
 たとえば、頑張ることで得られる「忍耐」や「感動」はその人自身を成長させるもので、何かを学んだ際の知識や技能習得の成果は別として、自分なりにがんばったということが力になって、次の機会に役に立つかもしれない能力になります。これは、自分が努力をするという経験を積んだ人にしか蓄積されない力で、知識のように決して他人に伝授されることはありません。また、なにかを学ぶ「喜び」そのものは体験で、いくら面白いからと人から説明をうけても、聞いた人が面白いと感じることは出来ません。
「効果的な学習」ということがよく言われます。これは短時間で少ない努力で学習できるような内容を連想しますが、これによって習得できるものは、ほとんどが上記の「知識や技能」で、本来人間の成長過程で大切にされなくてはならない後者の何かを学習するときに得るべきものがどこかに忘れ去られているような気がします。
社会においては、多くの知識や技能がものをいいます。社会で生き抜くとき、有利か不利かを考えると、大方は知識も技能も多くある方が有利に決まっています。しかし、学校や教師や保護者、あるいは学ぶ生徒本人がその効率よさを大切にするあまり、ゆっくりと身につく「人格成長に関わる変化」の部分を待てなくなるならば、これは大きな問題です。
学校で効率よく学べる類の内容は、全生涯に渡って必要とされる知識や技能全体ではありません。それよりも大切なことは、卒業してからも社会の変化に対応して、一人で深く的確に学習し続ける能力であり、努力し続ける能力です。
暗記したり、自分の手で書き写したり、辞書を引いたり、ノートにまとめてみたり…時間がかかって、面倒くさいことの中に一人一人の忍耐や努力、工夫や方法が生まれてきます。その実感、経験の積み重ねが、社会に出たときの大切な能力に結びついていくのではないでしょうか。
自分の学習姿勢が、単に目先の点数のためだけのものになっていないか・・・学ぶとは自分を鍛えることなのです。自分自身が変わることにつながるものなのです。厚みのある深い学びを目指していこう。
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