
「週末に登場するお馬さん」が生活の一部として入り込んできたのは、
いつからだろう?小学校の頃、ハイセイコーを京都競馬場で見たことが
ある・・・という事実は、自分を取り巻く馬友の間では、仙人的な扱いを
受けるプレミアムな事実。考えてみれば、テンポイントもシンボリルドルフも、
オグリキャップもナリタブライアンも、目の前の紛れも無い事実として
競馬場でその凄いシーンを見てきた。
いつの間にか生活サイクルが競馬場を軸に回り始め、気がつけば
北海道の日高界隈まで足を伸ばして、引退していった面々にまで再会する
という「もうひとつの楽しみ」まで組み込むようになった。
「好きな馬は?」って聞かれても数え上げればキリが無い。でも、思い入れの
ある馬はほんのひと握り。彼らが走っていた時代と、その頃の自分の生活と
重なり合って、ひとつの想い出を築きあげていく・・・。そんな馬達との
貴重な想い出が、自分の人生の張り合いになっているのかもしれない。
------------------------------------
「まっくいーんパパさん」「エスパシオ」「まっ喰イン」・・・web上で
使ってきたハンドルネームの数々。初パソコンというか、ネットデビュー
したのが1997年秋。メジロマックイーンの初仔がデビューした年の秋と
重なり合う。中山競馬場の新馬戦に登場した牝馬2頭、1頭目がメジロシャープ、
グラスワンダーと同じレースに登場して3着、そしてもう1頭がその後、
マックイーン産駒初勝利をもたらすエイダイクイン。つい昨日の事のように
思うのに、もう10年近く前の話。愛するメジロマックイーンも、今年4月3日に
天に召され、どんどん「過去の名馬」の域に入っていってしまう。
メジロマックイーンの父はメジロティターン、その父がメジロアサマ。
考えてみれば、お父さんも、おじいさんも天皇賞を勝つシーンを見ている。
自分の競馬史全てにマックイーンの一族が携わってきた。マックイーンの
登場が広島から東京へ出てきた時期と重なり、彼の11勝全てが、東京で
自分がステップアップしていくプロセスに重なる。91年秋の天皇賞で、
1着から降着となった事件は、調子にのり始めた自分への戒めであったような
気もする。旧年齢7歳秋、秋の天皇賞直前のリタイア、そして引退。
幻の天皇賞3勝、7歳秋のGⅠ3連勝、充分手に届く位置にありながら
現役断念。それがメジロマックイーンのとてつもない凄さを形容して
いるのかもしれない。
種牡馬への転身以降は、金曜の出馬が確定したスポーツ新聞から、彼の
産駒を捜すことから週末は始まった。ここ数年、その頭数も少なくなり、
まもなく彼の娘の子供達を捜すようになるのだろうか?親子4代の天皇賞
制覇、マックイーンの牡馬の活躍馬が出てくれること。夢を繋ぎ、歴史を
繋ぐこと。残り少ない世代で何とか実現して欲しい・・・。
いつからだろう?小学校の頃、ハイセイコーを京都競馬場で見たことが
ある・・・という事実は、自分を取り巻く馬友の間では、仙人的な扱いを
受けるプレミアムな事実。考えてみれば、テンポイントもシンボリルドルフも、
オグリキャップもナリタブライアンも、目の前の紛れも無い事実として
競馬場でその凄いシーンを見てきた。
いつの間にか生活サイクルが競馬場を軸に回り始め、気がつけば
北海道の日高界隈まで足を伸ばして、引退していった面々にまで再会する
という「もうひとつの楽しみ」まで組み込むようになった。
「好きな馬は?」って聞かれても数え上げればキリが無い。でも、思い入れの
ある馬はほんのひと握り。彼らが走っていた時代と、その頃の自分の生活と
重なり合って、ひとつの想い出を築きあげていく・・・。そんな馬達との
貴重な想い出が、自分の人生の張り合いになっているのかもしれない。
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「まっくいーんパパさん」「エスパシオ」「まっ喰イン」・・・web上で
使ってきたハンドルネームの数々。初パソコンというか、ネットデビュー
したのが1997年秋。メジロマックイーンの初仔がデビューした年の秋と
重なり合う。中山競馬場の新馬戦に登場した牝馬2頭、1頭目がメジロシャープ、
グラスワンダーと同じレースに登場して3着、そしてもう1頭がその後、
マックイーン産駒初勝利をもたらすエイダイクイン。つい昨日の事のように
思うのに、もう10年近く前の話。愛するメジロマックイーンも、今年4月3日に
天に召され、どんどん「過去の名馬」の域に入っていってしまう。
メジロマックイーンの父はメジロティターン、その父がメジロアサマ。
考えてみれば、お父さんも、おじいさんも天皇賞を勝つシーンを見ている。
自分の競馬史全てにマックイーンの一族が携わってきた。マックイーンの
登場が広島から東京へ出てきた時期と重なり、彼の11勝全てが、東京で
自分がステップアップしていくプロセスに重なる。91年秋の天皇賞で、
1着から降着となった事件は、調子にのり始めた自分への戒めであったような
気もする。旧年齢7歳秋、秋の天皇賞直前のリタイア、そして引退。
幻の天皇賞3勝、7歳秋のGⅠ3連勝、充分手に届く位置にありながら
現役断念。それがメジロマックイーンのとてつもない凄さを形容して
いるのかもしれない。
種牡馬への転身以降は、金曜の出馬が確定したスポーツ新聞から、彼の
産駒を捜すことから週末は始まった。ここ数年、その頭数も少なくなり、
まもなく彼の娘の子供達を捜すようになるのだろうか?親子4代の天皇賞
制覇、マックイーンの牡馬の活躍馬が出てくれること。夢を繋ぎ、歴史を
繋ぐこと。残り少ない世代で何とか実現して欲しい・・・。
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