Weekend Turf ~お馬歳時記~

週末の競馬場を見るために平日があり、1年52週は回っている・・・そんな「お馬づくし」のささやかな歳時記です。

【想い出は名馬と共に】アグネスデジタル~インパクト&サプライズ

2006-07-30 22:28:03 | 日曜恒例・想い出は名馬と共に・・・
 その登場は、あまりにも鮮やかな1シーンだった。
2000年京都で開催されたマイルチャンピオンシップ。
それまで交流ダート2勝のダート馬が、突如芝の表舞台に登場した。

 アグネスデジタル。

 そのサイボーグ的な馬名が、何となく魅力的で印象に残っていたから
13番人気でも、前日に単勝を1000円、後楽園の場外で買っていた。
 1番人気はこのレースに的を絞ったダイタクリーヴァ。主戦の高橋亮騎手が
直前のレースで落馬負傷、乗り替わりは何と安藤勝巳騎手(当時笠松所属)、
何となく優勝はこの馬で仕方ない・・・とさえ思われるムードが漂う。
 同じ栗毛の4歳(旧年齢)でも13番人気のアグネスデジタルはほとんど
忘れられた存在。

 レースは予想通りというか、予定通り直線半ばでダイタクリーヴァが
先頭に立つ。アンカツがゴールインの準備をはじめたその時、的場騎手を
背にアグネスデジタルが一気に抜き去った。誰も考えさえもしなかった結末に
騒然とする場内。何より自分の財布の中に11-13の的中馬連が
入っていることすら気がつかなかった。



 芝GⅠ獲得後、金杯⇒京王杯⇒安田記念と芝を3戦するも結果出ず、
秋は再び交流重賞専門に走り出した。船橋と盛岡で2連勝後、再び芝のGⅠ、
秋の天皇賞に出走する。

 ここで、アグネスデジタルは2つの大きな波紋を投げかける結果となる。

 1つは、当時の王者・テイエムオペラオーの勢いを完全に止めてしまったこと。
 万全を期すテイエムオペラオーが天皇賞4連覇を目指して直線で先頭に
飛び出す。その直後、またしても、大外からアグネスデジタルが
抜き去ってしまう。2勝目の芝GⅠをあっさりと獲得、マイル~中距離の
芝の現役№1ホースにのし上がった。

 2つ目は、アグネスデジタルの突然の出走で、天皇賞を目指していた
クロフネを除外に追い込んだこと。

 クロフネは天皇賞前日のダート戦武蔵野Sに回り、そこでとてつもない
破壊力を発揮、クロフネの眠っていた素質を引き出す役割を果たした。
怪物ダートホースとして新たなスポットを浴びる結果になったのは
ある意味、アグネスデジタルのおかげかもしれない。

 秋以降は、交流重賞2連勝からはじまり
天皇賞⇒香港C⇒翌年2002年のフェブラリーSと
芝&ダート、地方&中央&海外、オールマイティに活躍し5連勝を達成。
フェブラリーS後もドバイワールドC6着、香港のクイーンエリザベスC2着と
海外でも健闘、どんなレースが得意なのか全くわからないオールマイティな
活躍を続けた。

 2003年は春のかきつばた記念を4着後、安田記念を危なげなく
差し切って優勝。さすがにその後は精彩を欠き、2003年の有馬記念を最後に
引退して行ったが、インパクトとサプライズに満ちた競争成績で、楽しませて
くれた1頭だったと思う。

 未だにわからないこと。

 アグネスデジタルはクロフネより強いダートホースだったのだろうか?
それとも芝マイルのスペシャリストだったのだろうか?
地方交流レースも含めGⅠ6勝(ダート3勝芝3勝)、その幅の広さと
奥の深さは、テイエムオペラオー以上かもしれない。引退して3年近く経った
今も、強烈な印象は残っている。
 
 栗毛でやさしそうな馬が、デジタルモンスターに変身する
その瞬間のインパクトを・・・。

 彼の仔は、芝で買うべきか?ダートで狙うべきか?
まもなくそのことを悩む日がやってくる・・・。


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【想い出は競馬と共に④】 クロフネの“華”

2006-06-25 22:31:45 | 日曜恒例・想い出は名馬と共に・・・
 強い馬は何頭もいた。
 凄い馬も何頭もいた。

けれど・・・
 “華のある馬”ってほんの一握り。

でも、彼らはどんな凄い馬達より、いつまでもいつまでも心の中に残っている。

 クロフネ・・・・。

2000年の年の瀬に突如現れたマル外の芦毛馬。新馬-エリカ賞をパワーで
圧勝。アグネスタキオン、ジャングルポケットらとしのぎを削った歴史に残る
ラジオたんぱ杯は敗れたものの、クロフネの持つ不思議な魅力は
「ダービー外国産馬開放元年」にふさわしいマル外スターの登場となった。
同時に98年秋、府中の第3コーナーで散ったサイレンススズカ以来の
“華のある馬”としてしっかりと心に刻まれた。
 
 ダービーにクラッシック挑戦を絞ったクロフネは、毎日杯圧勝後
NHKマイルCも強烈な追い込みで優勝。いよいよ初代マル外出走馬として
日本ダービーに駒を進める。皐月賞馬アグネスタキオンの故障で柱不在となった
ダービーは、クロフネ襲来により、いつもとは違った盛り上がりをしたように
思う。

 97年のサニーブライアンの年以来、4年ぶりの「朝5時半到着⇒ダービー開門
ダッシュ」にチャレンジ。スタンド前での致命的な空きスペースの読み誤りと
体力低下による?ダッシュスピードの衰えで、スタンドのすき間にしか
スペース確保できず、背伸びをしながらのダービー観戦となった。
 小雨の中の「クロフネのダービー」は直線半ばまで。武騎手を鞍上にもがき
苦しむクロフネをジャングルポケットがあっさり交して優勝。クロフネは5着
という着順をとるのが精一杯だった。返し馬で見るクロフネの姿、最後の直線で
馬群に包まれる彼の姿、目の前の事実としてクロフネを確認できたことが
外国産馬開放元年のダービーの証人となったような気分になった。
 
 今でも、アグネスタキオンの年のダービーは「クロフネの出た・・・」から
記憶の糸が始まる。
 クロフネには負けても、秘められた凄さにワクワク感がが漂い、何か競馬の
歴史を変えてくれそうな不思議な期待感があった。
 
 秋を迎え、神戸新聞杯3着。そこから衝撃的なストーリーが始まる。
神戸新聞杯での敗戦で賞金を積上げられなかったため、予定していた天皇賞を
断念する結果に。クロフネを出走断念に追い込んだ同じマル外の
アグネスデジタルがテイエムオペラオーを破って優勝するところが
因縁めいたエピソード・・・。
 クロフネはダートに矛先を変え、天皇賞前日の武蔵野Sに登場する。
初ダートでの圧勝は「強い!」という賞賛を通り過ぎ「凄い・・・」というしか
言葉が無かった。衝撃的なダートデビューは、この先の「もっと凄い・・・」を
間違いなく想定させるものであり、次にターゲットを絞った
ジャパンカップダートでの走りに「とてつもなく凄い・・・」を期待した。
 11月の末、クロフネがデビューして約1年で迎えたダートのGⅠレースは、
前年覇者のウイングアローすら相手にはならなかった。
 向う正面から第3コーナーにかけて武騎手がスパートをかけると、あとは
独壇場。直線に入ると差は開く一方。

 「別の次元で1頭の馬が走っている・・・」

 まさにそんな光景を見ることになった。ウイングアローが呪縛を解かれたかの
ように、馬群を抜け出して追い込んできたときには遥か先でクロフネが
ゴールインしていた。7馬身差の優勝、本気で走っていたらもっと差が開いた?
98年金琥賞のサイレンススズカ、99年京王杯SCのグラスワンダー・・・
「凄い勝ち方の見本」を凌いでしまったレース。帰りの電車の中は、明日の
ジャパンカップより翌年春のドバイワールドカップの話題で盛り上がったように
思う。久々に登場した、それもとてつもないスターホースが、その先の大きな
楽しみを持たせてくれたことにうれしくてうれしくて、事ある毎にクロフネの
名前が自分の口からこぼれた。

 「その先の大きな楽しみ」は、1ヶ月間の夢で終わった・・・。

 歳末の東京大賞典を前に「クロフネ・屈腱炎、引退」のニュース。
大いなる楽しみは夢の途中と化し、クロフネは「過去の名馬」への歴史の中に
入ってしまった。

 たら・・、れば・・は好きではない。でも、クロフネに限っては何度も何度も
酒の席に登場した。
 今でもクロフネの名を耳にすると、何故かワクワクする。夢の続きは子供達に
託されたものの、世界のダートで走らせてあげたかったという思いは今も消えて
いない。
 昨年、彼の子供達が競馬場に帰ってきて、フサイチリシャールが早くも
GⅠ馬となり、初年度産駒で最もクロフネに似ているフラムドパシオンは
UAEダービーで3着にがんばった。
 今年も期待の2歳がまもなく姿を現す。今年のPOGのメンバーの中にも
彼の仔はしっかりインプットされている。「とてつもなく凄い・・・」を上回る
クロフネの仔が“華のある馬”として世界にチャレンジしてくれることを
楽しみに待ちたい。

 願わくば、ダートのGⅠレースで夢をかなえて欲しい。


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【想い出は名馬と共に③】アドマイヤコジーンが笑った?

2006-06-18 16:37:03 | 日曜恒例・想い出は名馬と共に・・・
 昨日の2006年度2歳戦初日。時間的に最初に発走する函館新馬戦は
今年話題のキングヘイローの仔ローレルゲレイロが優勝。
 時差で2番目に発走する福島の新馬戦はマイネペローラ、勝馬の父親は
アドマイヤコジーン。もちろん新種牡馬の産駒勝ち馬第1号となった。

 アドマイヤコジーン・・・・

 アドマイヤコジーンが長い長いトンネルを脱出し、安田記念で2勝目を
あげたのがつい昨日の事のように思い出される。

「奴の仔がもうデビューして、早くも勝ち星をあげた・・・」

 1998年、秋のデビュー時から、華のある芦毛馬だった。
新馬戦3着⇒1着後、東京スポーツ杯3歳S(G3)、朝日杯3歳S(G1)を
連覇。勝ち方の安定感と共に来年のクラッシック戦線の主軸になりうる器として
最優秀3歳牡馬(当時の馬齢)に選出された。しかし、勝負の春を待たずに
骨折休養。テイエムオペラオーがアドマイヤベガがターフを駆け回り、主役の座を
奪っていく。そして、その名も忘れかけた2000年7月に、1年半の休養を
経て函館で復活。しかしその後は昔の面影無く、約1年間凡走を繰り返す。
 2001年には阪急杯3着、福島民報杯2着があったものの、好位から
ズルズル下がるパターンの連続で、7月の函館スプリント惨敗後半年の再休養。

 しかし、ここからアドマイヤコジーンの第2幕が始まった。半年ぶりの
東京新聞杯を10番人気で圧勝、続く阪急杯を連勝。高松宮記念は
ショウナンカンプを捉まえられなかった(2着)ものの、7番人気に落ちた
安田記念を完璧なレースで復活した。


        <2002年安田記念>

 印象的だったのは、G1初優勝の鞍上後藤騎手が感泣状態でウイニングラン
した感動のシーン。
 片手で顔を押さえながらウイニングランする後藤騎手を背に、
当のアドマイヤコジーンは明らかに「笑っていた・・・」
 苦労の挙句ようやくトンネルを脱出した6歳馬の笑顔と
苦労の末、ようやく届いたG1ジョッキーの涙。
 それは6月の青空にふさわしい1シーンだった。


        <感泣のウイニングラン>

 その後も走り続け、スプリンターズS2着、香港マイル(G1)4着を
最後に引退していった。

 復活の2002年から4年目。この夏には彼の仔が続々登場する。
仕上がり早く、いい仔が多いという前評判もあり、2歳重賞にも顔を出してくる
メンバーがきっといるはず。
 出来れば、芦毛の仔がいいな~なんて思っているのは、
当時アドマイヤコジーンを応援し復活を我が事のように喜んだ連中の
共通の思いかもしれない。


 今年の2歳戦は、夏から熱くなりそうな気がする・・・・。



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【想い出は競馬と共に②】「○○コール」はアイネスフウジンから~

2006-06-11 21:00:53 | 日曜恒例・想い出は名馬と共に・・・
2006年5月29日、午後3時50分。メイショウサムソンが
たった今先頭でゴールインしたコースを戻ってくる。1コーナーのカーブに
さしかかり、小さな姿が少しずつ大きくなってきた時どこからともなく
「マ~モ~ル、マ~モ~ル!」の大合唱。
恥ずかしそうに石橋騎手が手をスタンドに向かって挙げる。
 いつも見る風景、府中のGⅠレースではレース後に必ず見られる恒例のシーン。
今年のウイニングランは、いつもより増して感動を誘う、すがすがしい一幕。
馬券結果の○も×も全て消え去ってしまいそうな気持ちの良いウイニングラン
だった。
 
 「ウイニングランの○○コールって、その起源はいつ、どこから?」

 帰りの電車の中でそんな話題をしている大学生達のグループがいたが、
「多分それは1990年の日本ダービーだよ」って会話に加わりそうになった。


 1990年5月27日15時30分発走の第9レース日本ダービー。
未だ破られていない府中競馬場の入場人員レコード、196,517名が
見守る中、アイネスフウジンが1周目のゴール板を通過していった。
 午後のレースから異様な混雑ぶりで、ぐずぐずしていた7Rは馬券の購入が
間に合わなくなる事態に。1レース棒に振ってその先のレースの馬券を購入する
なんていまどき考えられない話。馬券は窓口におばさんがいて、口頭で
あれとこれと・・・という時代だから仕方ないかもしれないけれど、当時は
昼ごはん食べたらすぐに馬券を買っておくというのが、習慣みたいなもの。
特に大きなレースは馬券を頼まれる事も多く、それらの購入が午後一番の
優先業務だったように思う。

 一番人気はメジロライアン、2番人気はハイセイコーの仔、皐月賞馬の
ハクタイセイ。若かりし頃の横山典弘と武豊がそれぞれに騎乗して、
なんとなく一騎打ちムードが高まる。3番人気の逃げ馬アイネスフウジンは
中野栄治騎手が騎乗、失礼ながら、岡部・柴田(政)・郷原・菅原・・・
関東リーディングを争う騎手からは勝ち星も劣る地味目のジョッキー。
その中野騎手が先導して1990年のダービーの馬群は向こう正面に向かう。
マルゼンスキーの仔ダイイチオイシが2コーナーで故障のため置いていかれ、
アイネスフウジンを追いかけていた先行集団が少しづつ遅れだす馬も出て、
先頭集団が第4コーナーを回る。ハギノカムイオーの産駒カムイフジが
アイネスフウジンに並びかけて一瞬突き抜けたようにも見える。ハクタイセイが
それについてアイネスフウジンに接近。しかし、アイネスフウジンの脚は衰えず、
さらに2番手以下を突き放す。
 メジロライアンがホワイトストーンと共にようやく追い込んで2番手に
上がってきたときは既に遅し、1馬身ちょっとの差を保ったまま、中野騎手の
アイネスフウジンは先頭でゴールインした。鮮やかな逃げ切り。1975年の
ダービー馬カブラヤオーのようにブッちぎって逃げ切ったのではなく、常に
2番手を直後に従え絶妙のペースでのハラハラする逃げ切り。

 観客19万を超すスタンドのどよめきは、向こう正面で方向をくるりと
方向転換したアイネスフウジンを確認すると大きな歓声に変わる。
 2コーナーから1コーナーへ、ゆっくりと勝利を噛みしめるように中野騎手が
戻ってくる。やがて1コーナーからゴール板に近づいてきたとき、
どこからともなく掛け声が起こる。

 「ナ~カ~ノ、ナ~カ~ノ・・・」
 
 次第にその『ナカノ・コール』は大きな輪となって観客席全体に広がる。
ゴール板を少し離れたところにいた僕の前あたりで恥ずかしそうに小さく手を
挙げる中野騎手。ウイナーズサークルへ向かうアイネスフウジンと中野騎手の
後姿が遠ざかる。その背中に「ナ~カ~ノ、ナ~カ~ノ・・・」が追いかける。
スタンドは5月の青空に向かって振りかざした白い筒状に丸めた競馬新聞が
『ナカノ・コール』と共に揺れている。右には緑の絨毯の上で小さく映る
アイネスフウジンと中野騎手、左は白い筒の群れが大合唱と共に波打つ・・・。
 
 僕の立っている位置から見える左右に二分した風景は、もはや競馬場ではなく、
今まで見たことの無いゾクゾクしてくるシーンだった。
 一緒にいた友人はこれが初の生ダービー。魂が抜けた抜け殻のような状態で
そのシーンを呆然と見守っていた。(彼はこれがきっかけで以後、ダービー
だけはどんなことがあっても府中に来ている・・・)当日のシーンは夕方の
ニュースでもレースよりウイニングランの『ナカノ・コール』が取り上げられ
結構話題になったと思う。

 以降オグリキャップラストランの「オグリコール」、ナリタブライアンの
ダービーでの「南井コール」など、感動的なゴールシーンのあとは定番となった。

 でもそのルーツは1990年の日本ダービー、快晴の府中競馬場で起こった
19万人の『ナカノ・コール』の大合唱がルーツとなる・・・・。


 今年の『マモル・コール』はそれに近かったような気がするのは、あの時、
スタンドに居た者なら誰もがそう感じているのかもしれない。



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【想い出は名馬と共に①】メジロマックイーン<其の1>

2006-06-04 23:53:43 | 日曜恒例・想い出は名馬と共に・・・
 「週末に登場するお馬さん」が生活の一部として入り込んできたのは、
いつからだろう?小学校の頃、ハイセイコーを京都競馬場で見たことが
ある・・・という事実は、自分を取り巻く馬友の間では、仙人的な扱いを
受けるプレミアムな事実。考えてみれば、テンポイントもシンボリルドルフも、
オグリキャップもナリタブライアンも、目の前の紛れも無い事実として
競馬場でその凄いシーンを見てきた。
 いつの間にか生活サイクルが競馬場を軸に回り始め、気がつけば
北海道の日高界隈まで足を伸ばして、引退していった面々にまで再会する
という「もうひとつの楽しみ」まで組み込むようになった。
 「好きな馬は?」って聞かれても数え上げればキリが無い。でも、思い入れの
ある馬はほんのひと握り。彼らが走っていた時代と、その頃の自分の生活と
重なり合って、ひとつの想い出を築きあげていく・・・。そんな馬達との
貴重な想い出が、自分の人生の張り合いになっているのかもしれない。

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 「まっくいーんパパさん」「エスパシオ」「まっ喰イン」・・・web上で
使ってきたハンドルネームの数々。初パソコンというか、ネットデビュー
したのが1997年秋。メジロマックイーンの初仔がデビューした年の秋と
重なり合う。中山競馬場の新馬戦に登場した牝馬2頭、1頭目がメジロシャープ、
グラスワンダーと同じレースに登場して3着、そしてもう1頭がその後、
マックイーン産駒初勝利をもたらすエイダイクイン。つい昨日の事のように
思うのに、もう10年近く前の話。愛するメジロマックイーンも、今年4月3日に
天に召され、どんどん「過去の名馬」の域に入っていってしまう。

 メジロマックイーンの父はメジロティターン、その父がメジロアサマ。
考えてみれば、お父さんも、おじいさんも天皇賞を勝つシーンを見ている。
自分の競馬史全てにマックイーンの一族が携わってきた。マックイーンの
登場が広島から東京へ出てきた時期と重なり、彼の11勝全てが、東京で
自分がステップアップしていくプロセスに重なる。91年秋の天皇賞で、
1着から降着となった事件は、調子にのり始めた自分への戒めであったような
気もする。旧年齢7歳秋、秋の天皇賞直前のリタイア、そして引退。
幻の天皇賞3勝、7歳秋のGⅠ3連勝、充分手に届く位置にありながら
現役断念。それがメジロマックイーンのとてつもない凄さを形容して
いるのかもしれない。
 
 種牡馬への転身以降は、金曜の出馬が確定したスポーツ新聞から、彼の
産駒を捜すことから週末は始まった。ここ数年、その頭数も少なくなり、
まもなく彼の娘の子供達を捜すようになるのだろうか?親子4代の天皇賞
制覇、マックイーンの牡馬の活躍馬が出てくれること。夢を繋ぎ、歴史を
繋ぐこと。残り少ない世代で何とか実現して欲しい・・・。
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