肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

入院13日目*二度目の余命宣告

2011-02-22 04:21:59 | 入院
今日は母を慕ってくれて毎日のように
飲みに来てくれていたYママの一周忌。

Yママは糖尿病、腎不全、白血球が少なく血を出したら止まらない難病を抱えていて、
母の店の近くで小さな店を出していた。

在日韓国人のYママはとても美人で、気さくで酔うと癖が悪かったが良い人だった。
そんなYママは去年の今日なくなった。
自宅で発作を起こし、誰にも気付かれず数日たったとき、
母がおかしいと気付いてアパートへ行き、大家に頼んであけてもらったそうだ。

そんなYママの命日に、
肺がんと診断された母は逝くと言っていた。
告知から約1ヶ月。

病院に着くと丁度K先生がいたので
挨拶すると話しがあるといわれ別室へ。

昨日母が話した「自分の今の体の状況・病気」について
説明してもよいのかどうかという内容だった。

私が知りうる状況は昨日ノートに絵で書いて示したというと
見て分かっているとのこと。
ただ、ここからどこまで話していいのか悩んだらしい。

私としては、母に病気のことは包み隠さず伝えて大丈夫、
だけどやはり抗がん剤は無理なのか聞いてみた。

抗がん剤は最期の砦。
抗がん剤がだめなら死を待つしかないというのは
酷過ぎると伝えた。

先生曰く、
抗がん剤は日常生活をこなせる体力があることが条件で
始めて行く治療ということと、
副作用によって死に至る場合もあること
体力がない場合は命を削っていくだけだということを
話してくれた。

では、回復したらできるのですね?
と聞くと

このまま痛みを取り、緩和ケアしていくほうがいいと思われます。

といわれた。
つまりは、どうせ死ぬから辛い治療をする必要がないってことなの?

嘘でもいいから母には入院前の体力まで戻ったら
抗がん剤しましょうって言ってくださいとお願いしたが
それはやはり無理らしい。

余命に関しては
11日ごろにはかなり酷かった(週単位の進行)が
今は普通の1ヶ月単位になっているとのこと。
つまり入院のときに聞いたくらいかとたずねると

桜が咲く頃まで・・・
桜が咲くのを見れるかな・・・どうかな・・・?
という感じです。

と。
ロマンチックなこというんだなぁ・・・
と呑気に考える一方
後、1ヶ月くらいしかないのかと思ったら
ぶわっと涙が出た。

私が住んでいる地域では卒業式には桜は咲かない。
大抵入学式前後だ。

あぁ・・・そうか・・・
本当にそうなんだ・・・。

奇しくもこの病院は私が卒業した高校のすぐ傍に出来た。
私の母校はいつか出来るこの病院の看護婦学校か、
病棟になるために作られて、ベビーブームが過ぎたら高校は廃校になる
予定で建てられたと卒業後に聞いた。

校舎もおかしな作りだったんだよね。
1組から10組まで横長に一列なの。
1組から10組まで休み時間に行こうとすると
すごい時間かかって大変だったな。

その入学式のとき、母は腹膜炎になって入院中で
父が替わりに来てくれたっけ。
そこで出会った親友の旦那さんは今同じ肺がんで闘病中で・・・

あはは・・・。
なんだこの運命。
めんどくさいな。

そんなことを一瞬で考えていたとおもう。

その時先生にもう一個聞かれた。

食べ物や飲み物を口にすると食道ではなく肺に落ちてしまい
それが原因で肺炎になりやすくなっている。

肺炎になるということは、命をさらに縮めることになる。
それを踏まえて、食事制限をすべきかどうかとのことだった。

ここまで来て、食べ物すら飲み物すら制限して
1-2ヶ月の命を2ヶ月にするために??

ばかばかしい。

母には長生きして欲しい。
けど、飲み物すらとろみをつけたりして
不快感を与えるの?

ああああ・・・もう・・・・
悔しくて涙が出るが先生には
「制限しないでください。せめて食事くらいは自由に・・・」と伝えた。

病室につくと
「何してたの!遅いよヽ(`д´)ノ」とイライラしながらも
私が来るのを楽しみにしている母になんだか愛おしくなった。