肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

入院11日目

2011-02-20 03:48:36 | 入院
今日は娘のBDなので、旦那の実家で毎年恒例のBDパーティーをする。
母が心配だが、今日だけは早めに帰らせてね・・・。

入院11日目にしてやっと旦那もお見舞いへ。
今まで行きたくなかったとかじゃなく、
私から断っていたのだ。

母の店で知り合った私達。
母のことはよく知っている旦那
そんな旦那にはいつもの母を覚えていて欲しいから。
気が弱く優しい旦那だから。

ここ数日具合がよかったから今日は思い切って声をかけて
一緒にいくことに。

病室に着くと期待は外れていた。
午前中ずっと眠気があり、体が異様にだるいという。
痛みも午後になってくるとかなり訴えてくるように。
娘と旦那がいるのでなるべく気丈にふるまっている母だが
察して二人を早めに帰そうとすると母が娘にBDプレゼント買ってもらいなさいと
おこづかいを渡す。

これが最後のBDプレゼントかもしれないと
思うと涙が出てくる。

大阪のおじさんからTEL。
26日にこっちにくるそうだ。
大阪の人たちは母に会いたいと思ってくれてるので
全員で来るという。
少し仰々しいし、母に負担になっては困るなと思うが
好意を受け止めることにした。

母に話すと誰が言ったのかと怒り出す。
お兄さん(おじさん)に会ったら最期な気がするから
よして欲しかったと。

そうなって欲しくはないけど・・・
残される人からすれば死んだ後に教えてもらっても
後悔だけが募ってしまう。
仲が良い兄弟ならなおさら。
元気なうちに会えるならあって話をしたほうがいい
兄貴と二人で出した結論だった。

具合が余りよくないが横になってばかりだと夜また
眠れないだろうから散歩に行こうと看護師さんにいわれて
行くことに。
車椅子に乗ってどこへいけというのか。

緩和病棟を見て見たいというので、
4Fにある緩和病棟を見ることにした。
この病院には二つの緩和病棟がある。
1Fの離れにある緩和病棟と、一般の病棟に入っている4Fの緩和病棟の二つ。
1Fのところは中庭の離れにあるので、
前に見に行こうとしたら入れなかったので、4Fへ。

病室の間に中庭や、談話スペースがあった。
中庭に出て、中庭に面している病室を覗いてみた。
今居る個室より少し広いかな?
母はここだとこうして覗かれるからイヤだという。
いやいや、今貴方覗いてますから!w

PM4時、私は娘のところへいくために
母に「ごめんね、今日はBDやるからかえるよ?」
というと、
「ママが一人ぼっちになっちゃうよ~~、早くお兄ちゃん来てよ~~」って
電話してよっていう(笑

なんだか可愛いね。

病室を笑いながら「また明日ね」って出ようとすると

「ありがとうね」

そういう母。

ドキッとして出口からベッドに戻って
「ありがとうなんていわれると、最期になりそうでドキっとするから
 やめてね!wまたね!!」
というと笑っていた。

このところ、帰るとき私は必ず
「また明日ね。よく寝てね」
とか明日をつなげようと必死な感じ。

明日になったらどうなっているか分からない不安を11日に味わったから。
明日はまたボケ老人かもしれない・・・
寝たままかもしれない。
そんな不安がよぎってしまう。

エレベーターを降りると丁度兄貴とYが乗るところだった。

よかった。
これで1人じゃないね。
ほっとする。

夜実家から帰宅後母にTEL。
兄達は7時過ぎまで居てくれたようだ。

兄は母が病気してから変わった。
毎日病院にはこれないが、来れない時は
必ず私に「どうだった?」とメールが来て、
私が不安なときは電話も着たりする。
今日もBDで傍に居れないから4時には来て
ギリギリまでいてあげてねと言うと
それに近い形にしてくれた。

そうだよね。
こんな時こそ力を合わせてがんばらなきゃね。