肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

2010年12月。

2010-12-31 08:36:20 | 2010年12月。
母は32歳に父と別居をし、
息子と娘(私)を育てる為に
学がない母は水商売を始めた。

働きたいという理由で別居を始めた母は
がむしゃらに働き続けた。
小さな店からスタートし、一時期は8店舗にまで
大きくなった母の夜の店は、今でも5店舗を残し
その地では知らない人がいないほど有名だ。

母はこの仕事が大好きで、60歳になった
2010年は母の干支でもある寅なので、
1年ひたすら不景気を吹っ飛ばそうと頑張って
働いていた。

人の3倍は働く母だ。

年末になると店も活気付き、人が足りないので
母はまたその倍働いていた。

そんな時、咳が始まった。
私も丁度同じ時期に咳が始まった。
私達は花粉症も持っており、季節の変わり目
花粉の時期になると咳が2週間くらい続くことがある。
だからさほど気にしてはいなかった。

ただ、酷い咳になるとむせこみ、
血痰が出るのでお互いに不安はあったのだろうが・・・。

私は2週間過ぎると咳が収まり、
母も同じように納まったが、
母は背中わき腹に痛みがあり、
日を追うごとに痛みが増すため、
1月初旬にかかりつけの病院へ。

1/11にレントゲンを撮るが何もないといわれ、
血液検査で異常な数値を示すものがあったので
大腸がんか、胃癌の疑いがあるから(商売柄って言うのもあると思う)
便を二日間取って来る様に言われた。

店が忙しい為、少し遅れて持っていくと
放射線科かレントゲン技師の先生かが丁度その病院に
きていて、レントゲンを見て肺気腫と肺がんらしい腫瘍があると
教えてくれてMRI・CTと撮ってがんセンターへと紹介状をもらった。

電話でその報告を受ける。
かなり冷静な母。
私の方がうろたえた。
もし癌だとしても、今は癌は怖がる病気じゃない。
癌を克服した人も近くにいっぱいいる。
大丈夫。
そう母に言い聞かせるつもりが自分を暗示にかけていた。





はじめに。

2010-12-31 08:27:22 | はじめに
このブログは2011年の1月に肺がんと肺気腫が見つかり
現在入院中の母のことを書き綴る日記です。

母:60歳
2010年12月中旬より咳が2週間続く。

その後肺と胸の痛みを訴え2011年1月はじめに病院へ。

肋骨がかなり痛むのでレントゲンを撮るが
呼吸器内科のないところなので、
その時は判明せず、丁度病院に来ていたレントゲン技師の
先生が腫瘍らしきものを発見し、再度CT・MRIを撮る。

その時の見解は
「肺気腫があり、そのほか肺がんの腫瘍らしいものがあるのではないか。
 肺炎の疑いもある」とのこと。

母の住む地域には新しく県立がんセンターが数年前に出来ていたので
そこへ紹介状を出してくれた。

2日後、がんセンターへ初診。
その際に、血液検査、肺活量の検査、レントゲンを撮る。
先生に前の病院でのレントゲンCTなどの写真を見ながら
問診してもらうと
「7割がた癌でしょう。」とのこと。

このときはまだ癌ではないかもしれないと自分を励まし、
母を励ました。

昨今の医学では癌は不治の病ではない。
抗がん剤も良い物がどんどん開発されている。
母は強い人だから大丈夫。
そう信じてやまなかったのです。