肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

入院8日目

2011-02-16 01:53:15 | 入院
いつものように病院へ。
早いものでもう1週間を迎えた。

今日も意識がしっかりとしていて
ほっとする。
鮭を焼いて持っていくが、食欲がなく
1口2口、口にすると食道ではなく肺に入ってしまうのか
酷く咳き込む。
これでは食欲が落ちる一方・・・。

PM3時
「眠いからかえって」
としつこく言われ、一旦帰宅。
家に着くと丁度電話が鳴った。

店の従業員だった子達がお見舞いにきてくれて
院内のレストランへいってくるそうだ。
兄もその後合流したようで、様子を電話で
教えてくれた。

とても楽しいひと時を過ごせたようで、
始終笑顔で痛みもなかったようだった。

PM5:30に放射線科の先生と骨へ転移した痛みを
和らげる治療の話をするために再度病院へ。

駐車場について降りようとすると、母の元従業員Cさんと
今母の替わりに店をやってくれているKさんが隣の車で
タバコをすっていた(笑
こんなに広い駐車場で隣ですか^^

放射線科の先生から
・治療の意味
 放射線で癌を退治するのではなく、痛みを取る治療
・放射線の量・副作用について
などを聞く。

ストレッチャーに乗るだけでも痛い母は
眠剤で眠っている状態でシュミレーションを受けるはずだったが
10回分を一回にして、今日やってしまおうかとのこと。
眠っているうちに終えられるならそのほうがいいからお願いした。

準備がそこから始まり、
待っている間寝ている母の傍でじーっと顔を眺めた。
こんなにじーっと寝ている母を見るのは初めてかもしれない。
がーごーっといびきをかいているから色気はないね(笑

この放射線治療では2-3日後に効果が出てくるらしい。
金曜には痛みはなくなるだろうとのこと。
すごいね、放射線って・・・。

放射線は5分あてて終了。
7時には終わった。
まだ眠気が覚めない母を看護師さんと部屋まで
運ぶとCさんKさんが居て、
母の姿に二人は涙していた。

目が少し覚めた母は二人に喫茶店に行こうと起き上がろうとする。
折角来たからお茶でもしようといつもの母らしい考えだ。
気丈な母らしいね。

皆がいればシャンとしようとする。
うん、それでいいよ。
すごくママらしいじゃない?
何より効く薬なのかな?
皆と会うことは。


入院7日目

2011-02-15 01:45:37 | 入院
朝電話したら出てくれて少しほっとする。
今から放射線に行って来るという。

昼病院に着くと食事を前に横になって寝ている母。
午前中はほとんど寝ていたようだ。
食事はまずいから食べる気がしないという。

「明日はお弁当かってこようか?」
そういうと
「そーして」
と言う。

今日は意識がはっきりしている。

入院してから毎日母に絵ハガキを描いている私。
裏には手紙を書いている。
その絵葉書を一枚一枚見て涙を流していた。

「抗がん剤は無理」
先生からはっきりといわれた。
実験結果が出たのだ。
緩和病棟の先生と面会を勧められた。

3時頃兄貴がやってきた。
痛みが酷く兄と私に当たる母。
「おめぇがわりぃんだろ!
 こうなるまでタバコ吸ってた自分をのろえ!」
っと、タバコをすわない兄貴に怒られた。
私も愛煙家なので母と同じ気持ちになる。
吸いたいものはしょうがないっす(笑

手紙を書くのが大好きな母。
思春期だった頃、よく長い手紙をかきっこしたね。
そんな母は今手紙すら書く気力がない。
寂しいが、その分会話をしようと、なるべく長い時間を
病院で過ごすことにした。

兄と相談し、母の兄弟2人のうち、1人お兄さんには
知らせようということになり夜電話をする。
ショックを受けていたようだが近いうちにきてくれるそうだ。

入院6日目

2011-02-14 01:06:40 | 入院
朝9時頃、母からのTEL。
少し記憶が曖昧な様子で「病棟が変わったから」と。
本当に?ベッドが違う位置にあるからじゃないの?と聞くと
看護婦さんに「ここ何号室?」と聞いて同じと知る。
しっかりして~~(笑
今日もボケ老人かい?
と笑いながら聞くと笑っていた。

午後12:30
いつもより早めに病院へ。
今日はバレンタインだよ~~♪っと
言いながら病室へ入ると
「あぁ、そっか。店の子達はちゃんとチョコ買ったかなぁ」と
心配する母。

今日は意識が大分しっかりしてそうだね。
よかった。

「今日は朝血を沢山抜かれたんだよ~・・・
 6本くらいかなぁ・・・」
と不安そうにいう母。

いやいや、血はそんなに抜かないでしょ~
また夢かな?と思って看護師さんに聞くと
肺に水がかなりたまっているのがレントゲンで分かったので
水を抜いたらしい。
本当は1000ml抜きたかったけど、痛がって同じ姿勢でいられないので
600mlだけ抜いたという。

600mlって・・・普通のペットボトルより少し多いんですが・・・?('-';

かなり重症なんじゃないの?と不安がぐるぐると頭に残るが
目の前にいる母は先週のボケ老人よりしっかりしているし。
大丈夫だよね。と不安を消し去る。

店の子達や兄、甥っ子へ手紙で
「最後のバレンタインになるけどー」と冗談半分本気半分で
手紙を書こうとするが、集中力がないようで短い手紙になった。

午後12:30
保険屋Sさんが私と二人だけで会いたいというので
正面玄関へ。
Sさんが母が気にしているからと調べなおしてくれて
わかったことを教えてくれた。
母の保険で死亡受取額から癌で余命宣告された場合は
先に死亡受取額の1/4までは下ろせるらしい。
つまり、治療して生存が長引いても生活には困らないということを
教えてくれた。
重粒子線などをすれば、保険適応外なのでそこから300万を
おろすこともできる。

つまり・・・
生きていていいのだ。

誰にも迷惑をかけず生きていけるのだ。

私や兄に迷惑をかけたくないといつも言っている母。
これなら迷惑なんて掛からないよ。
安心して長生きしてねと思って、ありがたいなと思ったら涙が出た。

母に話すと生きる希望がわいたようだった。
よかった。

主治医M先生とK先生、看護師さんと今後の治療について
話す時間になったので、私だけ別室へ。

CTを見ながら話しましょうというM先生は少し話しにくそうな様子。

1週間前のCTと、入院中のCTを並べながら説明が始まった。

それは素人の私が見てもはっきりと分かるほどの違いだった。

肺(右)半分以上を覆うような水。

この状態(体の調子)で点滴型の抗がん剤治療は無理とのこと。

・・・・。
だって、先週言ってたのに?
抗がん剤月曜から始めましょうって・・・。
なんで???
肺炎治まったらできるんじゃないの?

「錠剤の抗がん剤ならば始められますが・・・
 この抗がん剤が効くかどうかは今検査で
 取り出したがん細胞にかけて実験しておりますが・・・
 喫煙経験があるかたには効かないというデータがあるので
 希望は持たないで欲しい」
とのことだった。

明日その実験結果が分かるので、
そこで治療は無理か否かがはっきりするそうだ。

もし無理な場合は?

延命治療なしで、痛みを取り除き、
緩和ケア病棟へ移ることをお勧めします。

・・・。
緩和病棟で、痛みを取り除くモルヒネいっぱい打って
半分ボケ老人のようになって、死を待てと??
そんな馬鹿な話があるの?

先生に母へこの話をしていいか聞かれた。
この病院では患者の意思を一番に尊重され、
知る権利が重要視されている。
告知がモットーな病院。

余命だけは打ち明けず・・・
治療が出来ないのではなく、
今は体力がないから無理だけど
体力が戻ったら抗がん剤しましょうね、っと
希望を持たせてくれませんか?
と言うと
先生は
抗がん剤は無理に勧められるものではありませんから。
日常生活を送れる患者さんでも抗がん剤を使用して
死に近づく場合があります。
お母さんは下から延命はしないでほしいとおっしゃっておりましたし。
患者さんの意思を尊重します。
といわれた。

今の母は生きる希望を持ったのに、
なのにここでまた希望を切るの??
なんでこんなに残酷なの?
涙が止まらなかった。

病室に先生達と戻り、余命以外、ほぼ全てを母に告げた。
緩和病棟に行けば、今よりも自由があり
多少なら外出もできますよ。
と勧めている。
無知な母でもそれは
「もう治療する価値がないから、
 この病棟に居ては邪魔ですよ。
 あっちで死をまってね」
と聞こえたようだ。

「やっぱり治療は無理かー・・・」
そういう母は涙も流さず、自分の体の痛みや
変化に納得せざる得ないような感じにもみえた。

ショックだよね・・・。
ショックだよなー・・・・

なのに先生が去ったあと、
保険屋Sさんに笑いながら
「ほらね~~、このコの泣き声聞こえたっていったでしょ?」と
笑っている。

聞こえるわけないじゃん。
ナースステーションを挟んで遠くの部屋で話していたのに?
と聞くと
「なんだろうね~~、(指で宙を指しながら)
 ふ~~~っとね、こっちに聞こえたのよ」
って。

母は学がなく無知ではあるが
野生の勘、第六感がとても強い。
だからなのか?
親子だからか?

なら私の気持ちを察して
もう少し生きる気力を持って
頑張ろうよ!といいたいそれは言えなかった。

思いっきり怒鳴ってわめいて殴って
死にたくないよ!!
って言ってくれれば一緒に大泣きできるのにね。

自己満足でいいから
もう少し親孝行させてね。





入院5日目

2011-02-13 00:40:16 | 入院
病院内はいつも暖房が効いていて
かなり暑いので、薄手のパジャマとベストを買って病院へ。

病室に入ると、やはり夜眠れなかったようでボーっとしている。

意識は昨日よりはありそうに見えた。
色々店のことなど話すとたまにまともな意見が返って来る。

午前中看護師さんが気に食わないと怒ったり
食事の時間がおかしいと悪口たっぷり(笑

食事も変わらず少ししか食べておらず。
ミカンをたまに口にする。
水っぽいものがやはり食べたいのかな?

PM3時過ぎに兄とYがきた。
夕方になるとまともな会話が増えた気がする。

いう事を聞かない母なので、
いう事を聞く薬を入れられているのかもしれない(笑

病院には居たくないという。
夜家に帰って、家のベッドで熟睡して
朝病院に帰ってくるという。

肺炎なので、無理って何度も言うが
母もしつこい・・・w

そんなに人は家が恋しくなるのだろうか。
私なら病院で完全看護に安心するのにな。

入院したのがお産だけだからそう思うのかな。

兄達が帰った後、少し眠り、目が覚めると夢と現実の境目が
分からないのかおかしなことを言う。

どこまでボケているのやら。
ただ笑うと可愛く思えてくる。
赤ちゃんのようだ。

7時になり毎週楽しみにしている「さんまのカラクリがあるよ」というとTVをつけてみては寝ていたw

「娘が心配するから、もうかえっていいよ」
そういう母。
病院にいてもすることはないんだけど
なぜかつまらなくはない。
ただぼーっと、自己満足な看護をして(おこがましいけどw)
親孝行ごっこをしているだけだけど、
ほっとする。

明日は少しでも意識がはっきりとしているといいな。


入院4日目

2011-02-12 00:31:02 | 入院
病院に娘と二人で行く。

病室にいくと今度は色んな機械をつけてベッドに横たわりながら怒っている母。

昨日の夢うつつの状態ではないが・・・
半分・・・?いやほぼボケ老人のようだった。

看護師さんから
「レントゲンを撮ったら肺炎になっていたので、
 抗生物質を投与して、痛み止めが効きすぎて
 意識が飛ぶので、オプソだけにしたら痛みが取れず
 かなり痛がるので点滴型のモルヒネに変えました」
といわれた。

全て任せるしかないのでお任せしてみるが
意識がはっきりすると動きたがったりイライラするようだ。

会話はまともには出来ず。
たまに冗談を言えば笑ったりはしてくれた。
ただどこまで通じているのかは分からない^^;

家にかなり帰りたがっている。
自分が入院する前と比べておかしいのは分かっているみたいで
病院への不信感があるようだった。

夜はやはり眠れないようなので、
睡眠薬を点滴から投与するようだ。

明日は話せるのだろうか・・・。
入院4日目なのに・・・。
どんどん酷くなっている・・・。

意識がもどったとき
「どいつもこいつもいう事聞かないからイライラするっ」
と言う母に、どうもしてあげられないから
腕を差し出して
「いいよ。殴って。
 イライラ解消しようぜぃ」
と言うと
「いいよ、いらん(笑」
と言って笑っていた。

殴ってすっきりするなら殴っていいのにな。
看護師さんを殴るわけにはいかないからねw

口が上手に動かずところどころ言葉が聞き取れないのが辛い。

痛いけど話せる、入院前の母のが私的には嬉しいが・・・
夢うつつなボケ老人のような母のほうが幸せには見える。

正気に戻って「死にたい」と聞くと・・・
やっぱり辛い。