肺がん末期の母

2011年1月末に肺がん末期と診断された母のことを綴っていこうと思います。

入院12日目

2011-02-21 04:08:45 | 入院
今日も朝TELなし。
いや、ないのが普通なんだけど^^;

病室に着くと白い点滴(痛み止めと骨の強化の薬)と、
ビタミン剤の点滴をしていた。
午前中はやはり眠かったようだが痛みはなく、
午後から少し痛み出した。

今日は便も沢山出した様だけど昼間は食べていなかった。

白い点滴でも痛みは止まらず、腹部に刺しっぱなしの点滴の
痛み止めを増やしてもらう。
それでも痛みが収まるまで1時間は掛かっただろうか。

今日は肺の水を抜くと聞いていたが
やる気配はない。

右肺の下部分から水がたまるのでたまりすぎると
肋骨が刺さるような感じで痛みが増すらしい。
それが痛くて辛そうだ。

放射線で治療したのは胸椎と骨盤の骨折している部分。
そこは痛みがなくなったようだ。

水の量を測るためレントゲンへ行く。
途中K先生に会ったので、一緒に2Fに行きがてら
眠気が酷いので薬を減らして欲しいとお願いする。
そろそろ飲む痛み止めに変えてもいいかな?と話もした。

夕方M先生とK先生の回診時
・水を抜くのは明日の午後
と聞かされてほっとしていると母が堰を切ったように
話し出す。

今の自分の体はどんな状態で
どんな病気で余命いつなのか。
この先の不安なことを訴えていた

先生「この病院に来て、初めて会ったときは
痛みが酷くて先で、病気のこと、この先のことが
考えられなかったんだね。
今は痛みがなくなって急に病気に対する不安が
生まれてきたのかな?」

なるほど・・・そうなんだ・・・。
私は全て聞いているけど、
母は痛みに集中して癌なのは分かっていても
ナゼこうなっているのか、この先なんて痛みで
考えられなかったのかな・・・。

ここ数日やたら当り散らすのはそうか
不安だからか・・・。

「心療内科の先生とは面談してる?」
といわれ、
「まだないです。お願いします」
とお願いをした。

私1人で母の悩みを受け止めるには私はまだ器が小さいし
私は娘だからこそ、言えないことがあるかもしれない。

最近は長く一緒に居すぎるせいか、
イライラも増えてやたら当たられるし@@

どーんっと受け止めるじぇーって
余裕ぶちかませばかますほど
鬱陶しいときってあるしね@@

うう・・・難しい・・・。

入院11日目

2011-02-20 03:48:36 | 入院
今日は娘のBDなので、旦那の実家で毎年恒例のBDパーティーをする。
母が心配だが、今日だけは早めに帰らせてね・・・。

入院11日目にしてやっと旦那もお見舞いへ。
今まで行きたくなかったとかじゃなく、
私から断っていたのだ。

母の店で知り合った私達。
母のことはよく知っている旦那
そんな旦那にはいつもの母を覚えていて欲しいから。
気が弱く優しい旦那だから。

ここ数日具合がよかったから今日は思い切って声をかけて
一緒にいくことに。

病室に着くと期待は外れていた。
午前中ずっと眠気があり、体が異様にだるいという。
痛みも午後になってくるとかなり訴えてくるように。
娘と旦那がいるのでなるべく気丈にふるまっている母だが
察して二人を早めに帰そうとすると母が娘にBDプレゼント買ってもらいなさいと
おこづかいを渡す。

これが最後のBDプレゼントかもしれないと
思うと涙が出てくる。

大阪のおじさんからTEL。
26日にこっちにくるそうだ。
大阪の人たちは母に会いたいと思ってくれてるので
全員で来るという。
少し仰々しいし、母に負担になっては困るなと思うが
好意を受け止めることにした。

母に話すと誰が言ったのかと怒り出す。
お兄さん(おじさん)に会ったら最期な気がするから
よして欲しかったと。

そうなって欲しくはないけど・・・
残される人からすれば死んだ後に教えてもらっても
後悔だけが募ってしまう。
仲が良い兄弟ならなおさら。
元気なうちに会えるならあって話をしたほうがいい
兄貴と二人で出した結論だった。

具合が余りよくないが横になってばかりだと夜また
眠れないだろうから散歩に行こうと看護師さんにいわれて
行くことに。
車椅子に乗ってどこへいけというのか。

緩和病棟を見て見たいというので、
4Fにある緩和病棟を見ることにした。
この病院には二つの緩和病棟がある。
1Fの離れにある緩和病棟と、一般の病棟に入っている4Fの緩和病棟の二つ。
1Fのところは中庭の離れにあるので、
前に見に行こうとしたら入れなかったので、4Fへ。

病室の間に中庭や、談話スペースがあった。
中庭に出て、中庭に面している病室を覗いてみた。
今居る個室より少し広いかな?
母はここだとこうして覗かれるからイヤだという。
いやいや、今貴方覗いてますから!w

PM4時、私は娘のところへいくために
母に「ごめんね、今日はBDやるからかえるよ?」
というと、
「ママが一人ぼっちになっちゃうよ~~、早くお兄ちゃん来てよ~~」って
電話してよっていう(笑

なんだか可愛いね。

病室を笑いながら「また明日ね」って出ようとすると

「ありがとうね」

そういう母。

ドキッとして出口からベッドに戻って
「ありがとうなんていわれると、最期になりそうでドキっとするから
 やめてね!wまたね!!」
というと笑っていた。

このところ、帰るとき私は必ず
「また明日ね。よく寝てね」
とか明日をつなげようと必死な感じ。

明日になったらどうなっているか分からない不安を11日に味わったから。
明日はまたボケ老人かもしれない・・・
寝たままかもしれない。
そんな不安がよぎってしまう。

エレベーターを降りると丁度兄貴とYが乗るところだった。

よかった。
これで1人じゃないね。
ほっとする。

夜実家から帰宅後母にTEL。
兄達は7時過ぎまで居てくれたようだ。

兄は母が病気してから変わった。
毎日病院にはこれないが、来れない時は
必ず私に「どうだった?」とメールが来て、
私が不安なときは電話も着たりする。
今日もBDで傍に居れないから4時には来て
ギリギリまでいてあげてねと言うと
それに近い形にしてくれた。

そうだよね。
こんな時こそ力を合わせてがんばらなきゃね。

入院10日目

2011-02-19 02:27:23 | 入院
朝母からのTEL。
今日は何かな~・・・ドキドキする。
「薄手のパジャマかってきてー!!」
はははw

娘と買い物にいき、娘の小遣いから一つ買って
私から一つ買う。

病室に入ると車椅子に座って毛糸で編み物をしていた。
あたまの上には髪の毛が邪魔だったからか
毛糸をただ撒きつけてヘアバンドにして(笑

今日はとても具合がよく、
朝から車椅子に座って色々やっているようだ。

私宛の手紙ももらった。

「Jちゃんへ
 いつもいつもありがとう感謝しております。
 お兄ちゃんは心の中で母のことを思っているのだと思います。
 後、Yと娘ちゃんのBDですね。
 27日頃に外泊(自宅に)したいね?
 今日は何かすがすがしいのかは分からないですが
 ペンを自分から取るのが初めてで、自分でも嬉しいです。」

多少支離滅裂ではあるけど(笑
すごく嬉しくなった。
大事にするね。

車椅子に乗ったまま昼ごはんを食べに行こうというので
11Fのパン屋へ。
ウインナーパン半分と、ホットミルク、白玉ぜんざいを注文して
少し食べて、散歩へ。

日光浴が気持ちいいね~~♪っと言いながら
とても嬉しそうな母。
入院してから初めてこんなに幸せそうな姿をみた。
中庭をたっぷり時間かけて散歩したがまだ足りないのか
4Fの中庭にも行きたいといって、エレベーターに乗るが
具合が悪くなり部屋に戻る。
ベッドに横になり痛みが増えてきたので
いつもの白い薬を投薬。

今日は昨日より薬の量が全然少ないらしい。
やっぱり放射線が効いているのかな?
すごいね、放射線って。

入院9日目

2011-02-18 02:14:10 | 入院
朝から母よりTEL。
鼻に入れている酸素のチューブを老眼鏡のチェーンと勘違いするらしく、
がちゃ目なので目をつぶる癖がついて困るという。
「目薬かってきて!!」
だと(笑
そんなに大きな病院にいるのに、目薬は持参かいっw
「痛みはどうなの?」
「まぁまぁいいね!!」とのこと。
放射線が効いてるのかな?
車椅子でフラフラしているらしい。

その後またすぐTEL。
今度は母の家から掛け布団と枕をもってこいと。
まったく面白い人だw

PM1時
病院に着くと、朝とは別人のように痛がる母。
調子にのって動き回ったからかな?

お昼も朝も食べれてないので、浣腸をしてもらう。
便の色は黄色がかってはいたが下痢ではなく少しゆるい感じで
量は結構出ていたので安心した。

点滴の白い痛み止めをするとその後4時間は元気になるので
その間にお風呂に入れてもらって、そのまま車椅子でお散歩。
1Fの中庭に出てぐるっとして外のトイレでせがまれて
タバコを1本あげた・・・('-';
流すボタンを間違えて、緊急用呼び出しボタンを押す母∑(´□`;)
大騒ぎになって、逃げ出した・・・( ´艸`)

もう二度とこんな恐ろしい思いはいやです。

その後11Fのレストランへ。
ハーフとろろ蕎麦とサーロインステーキを注文し、
歯が悪くても食べられるように小さく刻み
食べてみた。
入院してから一番食べているようにみえる。
よかった。

部屋に戻って6時、痛みが来たらしくぐずりだす。
腰に刺している痛み止めを増し、暫くすると落ち着いたのか
絵を描こうという。
左手を見ながらどちらが上手か競う。
味のある絵を描く母。
基礎はなってないが、大胆なタッチで
骨と皮だけになった自分の手を描いていた。
次はコップ!!っとせがまれ
仕方なくコップの絵を描くが、これはさすがに私のほうがうまいw
コップの取ってをわざと難しい方向において
描くとヘタでも上手く見えるよと教えると素直に
やっていた。

痛みがない時の母はまるで肺がんで死を待つだけの人には見えず。
肺炎で治りそうな人にみえる。
不思議だ・・・。

住んでいる町で兄貴と店を出したい。
これが最近の母の夢だ。
同じマンションに住んでいるMちゃんや私がたまに
手伝って、兄貴・甥っ子・母が食べていけるだけの
収入があればいいじゃんっと笑う。

その言葉に毎度驚かされる。
やっぱり仕事すきなのね。
いつかそうなったらいいなぁ
そしたら娘が高校生になったとき一緒に手伝ったりさ、してさ~~
楽しく過ごしたいね!


入院9日目

2011-02-17 02:06:57 | 2011年2月
娘は今日から義母が学校帰りから見てくれるので
安心して病院に行ける。

病室に行くと、ベッドでガサゴサしている母。
昨日の放射線をやったことに気付いていない。
「今日夕方から放射線の治療だよね?」
と聞いて来たので
「いやいや、もう昨日しちゃったんだよ?」
と言うと、嘘つきと思われた(笑

説明するとまったく信じられない様子で。
「痛みは早くて金曜にはなくなるって。」
何度と同じ説明を繰り返すが
最後には看護師さんに聞いて
「そうですよ~」といわれるまで信じてもらえない私って@@

PM3時頃からあまり痛いといわなくなってきた。

母は「気」を信じているので、
抗がん剤が無理なら気で治そうと思ったのか
私にやれという。

えええー・・・w
私信じてないのに?w

と思いつつも母がそれで治るならやってみるか!!
っと、気を込めて当ててみる。
「効いてきた!」
というから困ったもんだw

けどそうならいいね。
気の医院にも電話をして説明して病院に来てもらえることになった。
来週の水曜日。
頑張るという意思が見えたから
今日は素敵な日に思えた。
よかった。

病は気からだもんね、
がんばろうか!