25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

銀行の役割が終わりかかっている

2016年12月15日 | 社会・経済・政治

 ほとんど地方銀行の役割が終わりそうな雰囲気がある。安い利息、融資に怖じ気づく、といって借りてもらいたい大企業が地方にあるわけではない。手数料での収益、国債の買い入れ利息、あと何だろう。為替でもやっているのだろうか。

 債権回収会社が社会には用意されている。焦げ付けた銀からの借金はやがて債権回収会社に売られていく。相場は借金額の5%だと聞いたことがある。かりに1000万円の負債ならば、50万円で債権回収会社に渡ることになる。すると、もぢも100万円でその債権を元の借り主に売ったとしたら、50万円儲けることになる。

 先進国たるゆえんであると、こういう場合に思う。つまり、憲法の生存権にじたすら近づいているともいえるし、破産で帳消しから、再生法と、人は借金で死なずともいいようにシステム化されている。

 メガバンク3社を除いて、どうやって銀行は利益を出していくのだろうなどと思っていたら、日本人の貯金額は1400兆円っていっていたのが、1500兆円となり、1600兆円になろうとしている。

 ところが安い金利で銀行に預けて置くだけのお金が血液のごとく巡らない。やっぱり人は節約に努めているのである。消費せよ、と呼び掛けられても、頑として、節約するのである。

 石油の減産が決まった。石油の値上がりがなら始まるのだろう。石油は多くの製品に影響するから、値上げがまた始まるのだろう。それで賃金も上がればいいと思うが、輸入企業のほうが多い日本では、賃金が上げにくい。輸出企業は為替差益で儲けるだけで、国内販売はエコカーへの政府支援を続けるように、国内消費の節約の壁に阻まれ、販売数が伸びない。

 話し方は違うが、安倍首相の外交というのは、お金儲けをあげにいくことばかりである。どこかの国を訪れる。その先物で、いつもなにがしかのものを上げて帰ってくる。その度にぼくは思う。よくお金があるなあ。そのうらずけも、国民の節約したお金である。

 借金をしてまで、訪問する国にお土産屋をもっていく。これを家庭に置き換えるとずっと分かりやすく、そしてずっと滑稽な満額である。本当はないのに、あるふりして無理をしているように思えてならない。

 なにものために借金をするのか。その借金が将来のためへの投資であるということなら、いいのではないか、おいう意見があることも知っている。経済成長し、インフレになりさえすれば、借金の価値も減っていくではないか、という意見も知っている。

 国債の多くは国内で資金調達ぢているということも知っている。

 アベノミクスは肝心の賃金値上げへのエンジンになっていない、というのは大方の感想ではないか。

 世界のパラダイムが静かに目に見えないように変わり始めている。

 銀行は無人化になるのも必至だろう。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿