25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ビーチボーイズ

2015年06月27日 | 音楽
「The Beach boys」という1961年に結成されたバンドの歌と曲を初めて興味をもって聴いた。サーフィンロックと言えばいいのか、まあ、ロックンロールなのだろうけど、ハーモニーをつけて歌うグループサウンドである。「The Beatles」が1960年の発足だから1年後ということになる。ビーチボーイズはカリフォルニアを拠点として活動した。これまで売れに売れていたビーチボーイズの作曲・作詞はほぼブライアン・ウィルソンが行っていた。そのビーチボーイズが「 Pet Sounds」というアルバムを発表したのが1966年。ビートルズを刺戟したらしい。逆にブラインもビートルズを意識したのかもしれない。

 ビーチボーイズのハーモニーは独特で、以後、世界では彼らに影響を受けたグループが続々とでてきた。ファルセットが美しく、張り上げて歌うようなロックではない。軽いノリのものが初期の頃の歌だった。ところが「Pet Sounds」で大きく変わった。深く複雑になった。当初アメリカではそれほどヒットしなかったが、ヨーロッパで大ヒットし、ポールマッカートニーがブラインを訪ねたことがあったらしい。ブライアンは統合失調症だったらしく、ポールがわざわざブライアンの自宅に来たときもロッカーの中に隠れていたというエピソードがある。ブライアンはコンサート、作曲とやたら忙しく、やがて、コンサートにはでず、スタジオでプロヂュースと作曲だけを手がけるようになるが、スタジオミュージシャンのテクニックによって、自分ではできないベースラインができるようになり、曲の深みと幅も増していったが、精神にも異常をきたしていた。
 その後、20年ほどは精神的な病と格闘し、また復活を遂げる。2009年には米ビルボード誌のジャズ・アルバム・チャートで1位を獲得した。まだ新曲を作っている。今はソロ活動をやっているらしいが、年齢は73歳である。

 戦後、音楽はイギリス、アメリカを中心として大きく変わった。ビートルズやビーチボーイズ、ローリングストーンズなどが音楽を変えていった。ジャズにも影響を受けながら、全く違うジャンルとして確立されていった。
 ジャズはスウィング、ビーポップ、モダン、フリーとこれもまた変遷していった。
 1961年と言えば、僕はまだ11歳だった。1960年登場のビートルズも知らなかった。ヒットパレードでは外国の歌が翻訳されて流行していたが、まだ日本でのグループサウンズは登場していなかった。中学生の2年生か3年生ぐらいの頃、同級生のA君がいつも平凡パンチももって廊下を歩いていた。ビートルズが日本に来たのは1966年だから、僕はもう高校生になったいたが、すでにもう馴染めなかった。この頃は日本の下手な、どうしようもないグループサンズが真っ盛りであった。1972には矢沢永吉の「キャロル」がでてきて、1973年には山下達郎がでてきた。そしていよいよ我がサザンオールスターズが出てきたのは1978年である。竹内まりあも1978年である。この歌手が最もビーチボーイズっぽい。

 日本でロックが醸成されるまで10年以上かかったことになる。ジャズは戦前から入ってきていたが、地方の果てほうにいる僕なんかは、「ロッテ歌のアルバム」や「ヒットパレード」で聞くぐらいのものだった。
 高校3年生の時にはビートルズを真似するバンドも同級生たちが始めていた。やはりどこにでもこういうことに敏感に反応する人というのはいるのだ。

 この前「ベンチャーズ」コピーをやって楽しんでいるHさんとあったが、楽器演奏に歌をのせるという発想はなかったようだ。それだけ難しいのかもしれないが、その頃から50年以上が経った今、ハーモニーが流行っている。
 なにかが変わるというのはその先駆けの時代から長い、長い時間を要するものだと思う。


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