25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

深夜食堂第四部

2019年08月29日 | 映画

 一日の終わりにまだ何かしら心が収まらなくて一人、二人で深夜の店に寄る。新宿にあるその店は12時からだいたい朝の7時頃まで。さすが東京である。安倍夜郎の「深夜食堂」はビッグコミックオリジナルで今も続いているが、テレビでも第四部まで来ていて、これからも続きそうである。

 店の主人を演じる小林薫がよい。だいたいが深夜食堂の客の話である。昭和のような感じもすれば平成のような感じもする。たとえば今日観たのでは、ラブホテルの掃除をするおばあちゃんが豚バラ肉と白菜とえのきの一人鍋を食べにくるようになる。彼女の弟が死ぬ。死んだ弟には息子がいるが、破産し、働かずにいる。息子を育てることもなく消えてしまった子にとってはどうしようもない父親であるが、死んだという時だけ連絡が来る。火葬代も払えないのである。その甥っ子を伯母のおばあちゃんが傍からみても甘やかすほどの世話をする。世話しながら仕事をすることにやりがいを感じているようである。孤独だったのだろう。

 偶然深夜食堂の常連客である男が幼馴染みで、そのおばあちゃんは昔の憧れの的であった。宮下順子が演じている。甥っ子は通帳も、クレジットカードも伯母から盗んで逃げるのであるが、彼女はそれほどショックではない。甥はちょっとした悪事をやっているのもバレて刑務所に。その甥っ子に小学生の子供がいることがわかり、伯母は嬉しそうに二人で店に来る。「なんでも食べなよ」と子供に言うと、小林薫が「あるものならなんでも作るよ」と言う。すると子供は「肉!」と叫ぶ。「今になって子供を育てるなんてことぬになるなんてねえ・・・」と喜びながらぬる燗を一口飲む老けた宮下順子。また別の日、一人鍋はその小学生が、美味しい、美味しいと食べていた。こんな調子のドラマで、いわば「沁みる」ドラマなのだ。人間のちょっとした喜びや哀しみを描いているので、昭和とか平成とかという社会問題背景も気にならない。ぶたいは江戸時代でも中身は変わるものではない。つまりは人間と人間の関係性にしか話の焦点がないからだ。

 話は違うが、尾鷲にも「いろは」という深夜食堂があったが、最近、店を閉じ、他人に譲った。やっていた女主人に偶然スーパーで逢い、話を聞くと股関節の痛みで手術をしたらしい。「もう年だからと思って仕事を辞めたんやけど、股関節もウソのようよくなって、元気いっぱいやもんで、中川辺りで屋台の店でもやろかいな、なんて思うんさ」と声に出して笑って言っていた。



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