25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ハナレイ ベイ

2015年01月09日 | 文学 思想
 ハナレイ ベイで19歳の男の子が鮫にに右足をひきちぎられ、それでパニックになったのか、死因は溺死であった。このことを日本にいる母親が知らされ、ハワイ諸島のマウアイ島にまで遺体を確認にいく。現地の警察官は、「憎しみや恨みで青年は死んだないので」と言い、さらに「自然はときにそういうことをするんです。決してこの島のことを悪く思わないでください」とお願いをする。唯一ひとりの子供を失くした母親はそれから毎年、ハナレイ ベイで一日中サーフィンをやっている青年たちや海を眺めて3週間を暮らす習慣となった。

 彼女はピアニストである。どんな曲も聴けば弾けるという才能を高校生のときに自覚した。ピアノを独学で習い、そのうち高校のピアン教師が運指を教えてくれ、ジャズの和音なども教えてくれた。しかし彼女には自分で曲をつくることができなかった。忠実に演奏すること、すぐにコピーをすることは天才的だった。やがて彼女は大学に入り、小遣いを稼ぐのにピアノバーでアルバイトをした。有能なギターリストと結婚したが、女好きなその男とは離婚をした。彼女は根気がなく、勉強もせず、チャランポランに生きているがサーフィンだけは好きな我息子のことを愛してはいたが、人間的に好きになれなかった。
 育て方を間違ったのかもしれない、とも思うが、自分だって同じようなものだったとも思う。
 息子が死んでしまってから、彼女はピアノバーでピアノを弾いては、3週間ハナレイ ベイにいく。未来も過去もなく、ただその時の時間の流れの中で、海を見て、ピアノを弾いて暮らすのである。

 これは村上春樹の「東京奇譚集」に収められた小説の内容である。村上春樹の短編小説はとても優れている。「レキシントンの幽霊」も「回転木馬のデッドヒート」も、「神のこどもはみな踊る」も、ひとつひとつの短編をこれほど上手に書く作家を見たことがない。
 長編小説のくどさがなく、比喩の過剰さもない。淡々と浮かんでくることを無理せずに書いている気持ち良さがある。
 ぜひおすすめのものばかりだが、最近彼は「女のいない男たち」を刊行した。月刊「文藝春秋」で連載していた。登場人物が風呂で鼻歌を歌う「Yesterday」の彼風の訳がおもしろく、文藝春秋には全部掲載されていたのが、単行本になると「昨日はおとといの明日・・・・」 の行しか載せておらず、これは残念であった。著作権にひっかかるらしいと出版社側は思ったらしい。村上春樹も同意したのだろう。北海道の実名の町の名前も別のものになっていた。これも気を遣ったのだろう。
 書く事についてはややこしいことも多くなってきているものだ。