25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

若者たちのジレンマ

2015年01月02日 | 社会・経済・政治
正月番組でNHKが「若者たちのジレンマ」というテーマで10人ほどの発言者で円陣のテーブルを作り、それをまた若者たちが聴くというスタイルでおこなっていた。当然、NHKのディレクターやらの方針でやっているわけで、論客たちがそのレールに乗っている制約があるのは言うまでもない。人が発言しているときには横槍を入れないとか、否定的なヤジは飛ばさないとか、いろいろあるのだろう。
 それに「政治的発言」も抑制されているようであった。
 僕は、若者(ここではバブル期を知らない30代)に自分なりにこんなことを尋ねたいと思って、見ていたのだった。
 こんなこととは、
  1)国家とはどんなものであると考えているか
  2)国家と政府はどのように違うと考えているか
  3)憲法をどう思っているか
  4)国家と絡んで、尖閣列島をどう考えているか
  5)中国・韓国をどう考えているか
  6)日米同盟、集団的自衛権をどう考えるか
  7)家族とは何か
  8)教育制度

 これらのことについては、「朝まで生テレビ」などで扱われるのだが、喋るのは政治家や老年の学者とかで、若い論客の意見がない。
 それを判断するデータなどなくてもよいので、率直に今自分が考えていることを知りたかった。
  避けて通れない問題であるが、この企画ではNHK側は避けて通りたかったのかもしれない。結局、仙崎某という40歳の思想史学者が一番年上で、「勇気とは普通であることを続けること、喧嘩せず、ちょっとづつでも話をし、根気よく問題を解決してくこと」のような主旨の発言で締めくくられた。
 デジタルクリエーターという肩書きをつけていた猪子某は「若い人は全般的に生命力が少ないんじゃないかと思う」という主旨のことを言ったのは印象的であった。
 この生命力が少ないというのは、別に今の若者だけに限ったことではないが、その割合が多くなったという印象を持っているのだろう。現代の病理の最も象徴的であるのは、「うつ病」である。ペニシリンができるまでは結核であった。

 特に。「「おお、こんな意見もあるのか、というものもなく、こういうところにでる人というのは一応の成功者であり、考える立場を与えられた人たちである。」しかし、大衆というのはそんなひ弱な言葉を発しているものも含めて、大きな波となって押し寄せ、解体し、解体されることも望み、それでもひとりひとりたくましく、生き抜いていくものでもある。僕はそう思っている。
 もっと過激に言ってもいいのではないか、これでは高校生のほうが率直に言うのではないか、と思うこともしばしばであった。

 オレなんかも30の頃は何も言えなかったかもしれないなあ、と思うこともあったのは確かなことだが、カタカナ用語が多いのには違和感をもった。インテリの傾向ではある。