25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

これからの1年、これからの10年

2015年01月03日 | 社会・経済・政治
 2015年はどうなるか。当面18ヶ月はよほど何か外的な要因がなければ株価も円安も進むのだろう。政府が国民の貯蓄を、予算という形でジャブジャブと地方などにも使うからだ。お金がある人は磁石のようにお金がお金を呼ぶ。お金がない人は物価高でよけい苦しくなる。おそらくこの1年半はこういう状態だろう。
 日本人にはもう買うものはほとんどない。ほとんどのものを持っている。安い給料で結婚もできない男性が多いから。少子化対策と絡めて、女性の労働力、社会進出を促して、夫婦共働きでやっていけよ、という政府の政策も効果がでてくるかもしれない。春闘でどこまでベースアップ要求がとおるか、そして中小企業や零細企業もそれにならえるか、がら今年の大きな山場だろう。大企業はベースアップも視野にいれているそうだから、ここで、格差がもっと広がるか、どうかの岐れ道になる。

 ところで、みなさん、交通事故というのは起こすほう(加害者)よりも起こされるほう(被害者)の方が分が悪くなっていることはよくよく認識したほうがよいと思う。加害者側は巨大な保険会社に任せてしまえばよいからだ。後遺障害等級がでるまで相当な日数がかかり、被害者側に立替金が発生し、立替金にも「払える、払えない」のやりとりをせねばならず、国の自賠責保険の等級認定の機関には医師や天下り役人や、しかも保険会社からの天下りもいるということだから、知識に乏しい一般個人などは赤子をひねるようにいいようにされてしまう恐れがある。

 社会には利を姑息に吸い取る団体と得るべき利を吸い取られてしまう哀れな個人というものがある。もちろん弁護士という職業がある。弱者をも手助けしてくれる。しかし弁護士はあくまで代理人であって、主張すべきは本人である。この弁護士だって、団体を持ち、弁護士が増えすぎるのを反対もし、個々人の弁護士もいろいろである。相談料にもお金がかかり、弁護士費用もかかる。
 一方加害者側は保険にさえ入っておれば事故時に謝るだけで、あとは「保険会社に任せていますから」と言えばいいだけだ。

 社会に参加していくとうのは選挙ばかりではない。様々な社会の中に巣を作っている矛盾と闘うこともそのひとつであり、自分の場所からとことん掘り下げていくと疑問が見え出し、それを解決していくと新しい発見になりこともある。仕事というのはおしなべてそのようなものである。それが社会的活動でもある。

 この考えは僕が40年前からもっている考え方だ。さて、今度はさらに先の10年。僕は堀って掘って掘りまくる。10年掘れば見えてくるものがあるのだ。
 そのあとで、財政破綻がくる。これも言っておかなければならない。その予防と防御もしなければならないと思っている。どんなことがあっても、個人でたくましく生きたい。