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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

成長の階段を駆け上る

2019年04月02日 | 日記
テレビは新しい元号「令和」のことばかりである。それを思うとテレビやラジオのない時代にはふつうの人は元号など知らずに生きていたのかもしれない。借用書を書いたりするときには日付が必要だったはずだから、そういうときには顔を見せるのだろう。まあ、とにかく現在ほど騒がなかったことだろう。だいたい何にしてもテレビが騒ぎすぎるのである。何においてもそうであるが、肝腎なことには忖度しているように見える。
 今日は娘と二人の孫たちが東京に帰る日で、ようやく喧噪も終わる。明日からまた静かな夫婦二人の生活に戻る。
 長女の7歳の子は一月のときよりずいぶんと成長しているように見える。三歳下の弟は何事においても姉から習えるので相当得しているように見える。ちょうど自分がそうだった。三歳上の姉がいたから足し算や引き算でも、九九でも、漢字でも、姉が習うときに習っていたのだと思う。おそらくなんにも勉強しなくても小学3年生や4年生まではやっていけたはずだ。

 下の弟のほうはとにかく「車、電車」に詳しい。車に乗せて走っているとほとんどの車の名前とメーカーがわかり、特別な車もわかる。電車も同じだ。もう二つ得意がある。県の形をみるだけで県名がわかるのと、世界の国旗を見て国名が言えることだ。
 子供の頭はどうなっているのか。とにかく記憶の力は凄まじいのだろう。
 上の子は小学2年生になる。早生まれなので、どうなることかと思ったがだんだんと追い付いていくものだ。下の弟は幼稚園に入る。集団の中で鍛えられることが始まる。
 息子の娘はようやく小学一年生である。この子は早くから保育園に通っていたので、「ようやく」という副詞がついてしまう。成長の階段を駆け上っていくわけだ。
困難に直面することはわかっている。その耐え方、突破のしかたをいつか言っておきたい。
 この令日にヒノキ花粉が大量に飛び散って鼻がむず痒い。山林主に腹立たしい思いがする。

グンビーラ

2019年03月30日 | 日記
 朝ドラの「まんぷく」も失速することなく終わり、大成功で終わった。企業を起こしたものの話はおもしろい。「カーネーション」や「朝が来た」の主人公にはど根性があった。やり抜く力があった。ぼくも見習わなければ、とムチを打つぞ。

 デューク・エーセスの日本の唄第二集めは愛知県から始まる。そこから三重県、滋賀県、京都府と西へすすんでいく。九州より四国が先だ。金比羅宮のある香川県の歌は「グンビーラ大権現」という。ガンジス川のワニである。はるけくも東の国 日本に来て、四国は讃州 那珂の郡 コンピーラ大権現。永六輔の詞を口ずさんでいたら、あっ、そう言えば今日来る客は香川の高松、コンピーラ大権現様のいるところから来た若者たちである。礼儀正しい青年たちだった。翌日は鬼ゲ城にいくという。日本書記に書かれている「花の巖」は最古の神社となっているから、見ておいたほうがええよ、大巨岩の御神体やで、と言うと、はっきりした口調で「そうですか、ありがとうございます。行ってみます「と応じた。この神社は島根の出雲大社の管轄下にあり、興味深いところだ。金比羅さんは船乗りたちの守り神。「花の巖」はおそらく、鎮魂の碑。神武軍がやってきてこの有馬の村は支配下に置かれただろう。これは個人的な妄想である。
 前の日に香川を出てどこへ行ったのか聞くのを忘れた。なぜ「曽根」まできて泊まるのか、これも聞くのを忘れた。だが5人の大学生が春休みの間に、他所を見てまわるのだ。エネルギーはたっぷりある。尾鷲はやや冷えたから桜の満開は4月4日くらいになるだろう。ぼくにとってはこれが高校生の時期までの桜の咲く時期だった。学校の入学式や始業式に桜が咲いていたのを思いだす。
 大学生たちはドライブの各地で桜の様子を見ることだろう。

1日のうちにはいろいろある

2019年03月29日 | 日記
 朝、母を病院に連れていき、母の様子を説明した。「なにか不安でもあるんでしょうかねえ」と医者はいう。内蔵などが悪い場合に突然に起こる場合もあるということで、血液検査。また2週間後に、ということで、今日はなんの処方箋もなかった。
 母をデイケアに送り、事務所で、yaplog 時代のブログの文を2005年4月でから9月まで移した。2014年まであるのでまだまだだが、ちょっとずつやっていけば必ず終わる。一度にexport できればいいのに。その手段がわからない。まとめて一度でやれれば時間も労力も節約できるのに。コンピューターの中でのことだからこんなことができないのは不思議なことであるが、設定した者、プログラムを作った者からは想定外のことなのかも知れない。
 本にしてまとめておこうと思っている。
 午後 潮は悪かったが、松本の磯にカメノテを採りに行った。いつもの磯は海の中にある。カメノテは波の飛沫がかかる程度の岩場の割れ目に群れている。それを根っこから掻き出すのだ。ぼくは雑草とりの道具を使う。取り方を教えるがこれはむずかしい。海の公園の桜はまだ蕾ばかりだ。満開は4月1日か2日くらいだろう。
 萩原健一が死んだと聞いた。同い年である。癌に対する「ウィルス療法」や「光免疫療法」の話を聞いたばかりだった。母より25歳も若いというのに、どうしたことか。生きる意欲を失わせるほど強力な癌だったということか。「課長さんの厄年」というドラマで板挟み役がじつに巧かった。それでファンとなった。まだまだこれからだというのに。残念なことだ。


 

孫ー娘ー自分・妻ー母

2019年03月28日 | 日記
 Goo Blog の形式が変わったので、少し戸惑っている。書いたものを自動保存していたつもりが、出て来ない。これには参る。ぼくのやり方にどこか間違いがあるのだろう。
 娘と孫たちが春休みで尾鷲に来ている。姉7才は弟4才によく気配りする絶えず二人は笑い合って、ちょこまかと動きまわっている。ぼくの労働を手伝ってもくれる。
 今日は池の水取りや、枯れ草の処理を手伝ってくれた。68ー7=61。
 孫娘とは61歳の歳の差がある。孫娘は確実に日本の破綻を経験する。それは戦後一度経験し、それ以後経験のないものだ。
 そういうことを考えてしまうことは止めて、今日は「夢古道の湯」に行ってのんびりした。悪いと思うが客が少ない方がのんびりできる。「夢古道の湯」では向井の漬物売られていて、ぼくは「からしな」を衝動買いしてしまった。美味しかったからよかった。

 前にぼくが料理した自称「地中海」を7歳娘はおぼえていて、その中の海老を食べたいという。そう言われる張り切って、海老→キャベツ→牛肉→もやし、という順で食べた。味付けはワインと
塩、胡椒である。ビールが美味しかった。

 明日は母親を病院に連れていく。次々と忘れていく世界は実は恐ろしいものではないか。母も慌て、おののき、恐れ、不安で一杯なのではないか、とおもってしまう。
 お医者さんと話をして、経験的な病状の推移を聞いてみたい。

 孫ー娘ー自分・妻ー母という系は百年ほどのものであるが、実際は延々と過去に、それから未来に繋がっていく。途絶えることがあるかもしれないが、それはかまわない。
 2035年齢ー2045年。このシンギュラリティーの時期を母もぼくも妻も経験することなく、娘と孫、孫の子供、ぼくにとってはひ孫が経験するのだろう。
 
 

ラーメン

2019年03月27日 | 日記
 昔、尾鷲に「南京飯店」という中華料理屋があった。そこのラーメンが旨く、この店のラーメンがぼくのその後のラーメン人生の基準になった。どうしても比較してしまう。同じ味という店は一度もなく、その味を探し求めていると言っていいと思う。老夫婦がやっていたと思う。ぼくの娘も知っているから、長くやっていたのだ。中国からきた家族だと聞いていた。中国か日本のどこかに彼らが学んだスープの源の地なり店なりがあるはずだ。尾鷲には他に「北京園」やら「春日亭」とか「留園」という店があり、中国からきた人たちがやっていた。
 今やインスタントラーメンは本物のラーメンよりも旨くなっていると思うことが多い。今日も日清の新商品「麺NIPPON 博多」を食べた。博多ラーメンの美味しい店となんら変わることはない。
 本当に南京飯店の味を覚えているのだろうか、とも思う。
 今年の正月休み、娘が「美味館のラーメンのスープは南京飯店のに似ている」というので、早速食べてみた。そんな気もするが、どこか違う。最近ぼくはここの「五目ラーメン」のスープにいたく感心しまくっている。はまっているのだ。

 この店のご主人の奥さんは「波さん」と言って、いつもよくしてくれる。大連からやってきたらしい。母親が来るのだという。6ケ月ほど滞在するそうな。一度懇談しようということになっている。ぼくは「アリババ」に興味をもっている。アリババは貿易をやりやすくする物流倉庫を無料提供しようとしている。日本からひとつひとつ荷物を送らなくても、まとめて送って倉庫に行き、そこから客に渡るという。中国14億人はこれから消費者となってくる。巨大である。アメリカの2億2千万人の巨大マーケットと桁が違う。中国は歴史的に世界の中心だったときがあり、衰退したときもあった。今は一党独裁であり、それが成功している。自由、人権の問題がやがて顕在化するが、今のところ14億人を牽引している。

 えー、ラーメンからこんな話になったが、要するにラーメンは美味しく、難しく、微妙なものだということだ。 
  
 

京都こってり鶏白湯ラーメン

2019年03月24日 | 日記
 影響されやすいものだ。日清食品の新シリーズ「麺NIPPON」の「八王子ラーメン」が旨く、ネットでみていると、これが星四つである。ええっ? と思い同じシリーズの「京都こってり鶏白湯」を見ると五ツ星である。五ツ星。これは食わんとあかん、と思い、今日は大相撲の千秋楽もあることから、朝のうちに新宮の佐野に向かった。ここなら「新シリーズ」もあるだろうと思ってのことだ。昼前に到着し、さっそくスーパーのカップ麺のコーナーに行く。すると「八王子」「博多」「札幌」の三つがあるのだが、「横浜家系」「尾道」「京都」が棚にない。そこでがっかりしていたら、スーパーのスタッフがそばにいた。「なんで京都こってり鶏白人湯がないいん?」と訊くと、そういう新シリーズは知らなかったらしく、あわてていたが、すぐに「ちょっと聞いてきます。お待ちください」と言うなり走って行ってしまった。
 言ってみるものである。「京都こってり鶏白湯」は通常の棚ではなく、もっと目立つところのカップ麺の特別コーナーにあった。嬉しかった。来た甲斐があった。でもなぜ、スーパーのスタッフは通常の棚にも置いておかないのか不思議だった。まあ、いっぱい商品があることだから、一つ一つの商品にまで注意は及ばないことだろう。
 尾鷲、熊野、新宮あたりのスーパーをみる限り、カップ麺の世界は熾烈を極めているように思える。日清に対してどうとうレベルのものを安く仕掛けているようである。値下げ競争に入ったところは負けるという歴史の法則があるから、チキンラーメンの値段層から中間値の「麺職人」を持ち「ラ王」「行列のできるラーメン屋」をもつ日清の層の厚さには感心しまくるばかりである。

 さて、大相撲。栃ノ心は残念だった。怪我で幕下まで落ち、また這い上がってきた力士である。来場所大関に戻ることを望む。
 佐野の書店では新書売上一位の「日本軍兵士」(吉田裕著 中公新書)を買った。アジア・太平洋戦争が兵士の視線で書かれているということで読む気になった。

心遣い

2019年03月20日 | 日記

 料理屋の板長さんが、頃合いを見計らって、ちょいと、「何か美味しいもの」をサービスでだしてくれるときがある。

 大人になって働くなるようになってから、「弥栄」という寿司屋によく行った。まだ子供もいなくて、気楽なものだった。そこの大将の奥さんはぼくの同級生だった。手の遅い大将はニタッとした笑みを浮かべて、毛蟹を出してきた。注文もしていないのにである。毛蟹は紀州にいては食えない。学生の頃でも食えない。高いからだ。ぼくは毛蟹の美味しさを初めて知った。蟹は旨い。さまざまな蟹を食べたが、椰子ガニは食べたことがない。バリ島でフィージーで仕事をしていたという日本人男性が「椰子ガニほど旨い蟹はない」と何度も言っていたから、死ぬまでに一度は食べてみたいとおもう。

 続いて、今はもう引退した「剣」という活魚の料理屋で、ある日、店主がハゼの天婦羅をだしてきた。今日釣ってきたんだと、と言って出してきた。この美味しさにも驚いた。この店ではメイチ鯛や鬼エビの旨さを知ったのだった。

 東京のホテル内にある寿司屋で、サヨリを皮を串に巻いて出してくれたことがあった。また青物横丁の料理屋で「伊勢海老の味噌の塩辛をそっとだでしてくれたことがあった。このように板前さんはときどきサービスでめったに食えないものだしてくることがある。

 さて、この前の火曜日に、岡田さんとよくいく料理店に行った。いつものように、村上春樹の短編集のことなど話、酒を酌み交わしていたら、ひょいと、「これ食べて、サービスやで」と言って、さらにフグのような薄造りともみじおろしがある。しかしトラフグとは色が違う。「彼岸フグっていうて、友達が釣ったらしい。「へえ、聞いたことのない名前やな」「アカメフグとも言うらしいけどな、毒が強い。皮算もダメやで」

 身はやや桜色っぽく、コリコリしていて、やや甘味がある。ぼくとしては、もう少し薄く切った方がよかったのではないかとも思ったが、こころなかではやはりトラググのほうが旨いもではないかと思ったのだった。それでも初めて食べるその彼岸フグは十分美味しく、こういうサービスはあるものだと嬉しかった。

 薄造りはぼくのなかでは、クエ、トラフグ、コブ付きの荒磯で育った真鯛、シマアジ、ヒラメ、メイチ鯛、ハゲ、オコゼという順になる。さて彼岸フグをどこに入れるか、今考えている。そして板前さんの心遣いを何度も思い出す。

 

 

 

 


思わぬ事態

2019年03月20日 | 日記

 パソコンのスイッチが入らないという故障は、ぼくより詳しいい方によると、修理専門店ださないといけないらしく、修理代も結構かかるということだった。ついでにぼくのパソコンは7歳か8歳で、そろそろ寿命だという。今のパソコンは寿命が5年くらいだと聞いてびっくりした。スイッチがはいらないとすると、中のデータを取り出せるのか訊くと、データそのものが壊れていなかった分解すればできる、と言ってくれたので、まず、ホッとして、修理はあきらめるので、中のデータをとりだしてほしい、言って、取りだし代も訊いた。5000円。やってみてほしい、とお願いすることにした。昼ごろ電話が来てデータを取り出せるということで一安心した。データベース量が案外多いので、32ギガと16ギガのSDを持って行った。

 コンピュータを使うといっても精々、ワード、ブログ、メール、検索、音楽取り込み、写真保存くらいのもので、スマホやタブレットがあれば今のコンピュータが生き残ってくれれば、モニター画面とキーボードが取り外せるこちができて、タブレットのようにも使えるマイクロソフトのSurface を買おうと思っていた。これで買えなくなった。やはり画面の大きなパソコンは見やすく、キーボードも十分な大きさである。

 おそらく、そろそろスマホもかな、と思う。動画とか、音楽とかこれからは注意して使おうなどと思う。

 とりあえずWIHIの設定をしてインターネットを使えるように、Google chrom から幾つかのgmail などのアプリをとりだし、デスクトップに置き、いよいよマイクロソフトのワード、エクセル、パワーポイントをダウンロードすることにしたら、アカウント作成でつまづいた。ID と暗証番号がうまくいかない。

 もういやになって今日は止め、明日することにした。 こういう思わぬ事態が起こるものだ。全く嫌になる。

 一方で家の裏の棚を見ていたら、思わぬ本が10冊でてきた。なにかと見ると、22年前にこのテキストの音声を作ったのだった。「臨床会話」で医師が指させば患者の状態がわかり、医師も説明できるという便利物だ。英語、フランス語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、韓国語、フィリピン語、タイ語、ベトナム語、ドイツ語の十冊である。

 仕事で失敗し、尾鷲を離れた初老男性からハガキがきて、病院の警備員をやっているということだった。それではと思い、この十冊を送ったのだった。半年ほどして、病院でとても喜ばれているということだった。彼はこれを持っていることが自慢そうに書いてあった。理屈っぽい人だったが、元気にやっているようで嬉しかったのをおぼえている。

 これをアプリ化するのもおもしろいことだろう。

 


たいしたもんだ

2019年03月15日 | 日記
ビールと紹興酒をたらふく飲んで、たらふく中華料理を食べて酔っ払った。それでも翌朝はすっきりしてもおで、普段岡田さんと、やけ酒はアカン、怒り酒、悲しい酒もイカン、そういうときは飲まないようにする、と話していた。機嫌のよい酒は翌朝の体調に大きく影響しない、とぼくは思う。では機嫌よく毎日飲んでいたらよいかというのはまた別でやはり徐々に肝機能は衰えることだろう。石原裕次郎や美空ひばりは酒で死んだような気がする。

 今日は事務所には行かず、二輪で保水性コンクリートを作り、モルタルコンクリートも作り、綿くずとセメントを水で練ったものと、綿くずとセメントをぼくが作った混和剤で練ったものを作り、念のため比較するためである。
 汗が出てきた。すると体調はさらによくなる。アルコールが発散していくような気がする。
 毎年のことであるが今年は特に木蓮の花が見事に咲いたが、いつものように春の嵐の突風で飛び散ってしまった。道路の散った花びらを都度拾うのは恒例である。
 藤のツルの行方を見ていると、どうやって伸びていく先を感じとっているのだろう、と不思議になる。誘導してやっていいものか、まだ調べもしないで戸惑っている。石楠花、芍薬も順調そうだ。木瓜は4本あるのだが、もうじき花が咲きそうな蕾がある。花の命は短い。木蓮は特にそうだ。あと庭にはハナミズキ、トサミズキ、クチナシ、レンギョウ、アジサイ、サルスベリ、マンサクがあり、山茶花は今年よく咲いた。次々と咲いては一年また待つ。庭で何かをやっていると、暇暇に植物の状態を観察することになる。花が咲くと嬉しいものだ。ちょっとした幸福感がある。
 
 話は違うが、NHKの朝のドラマ「まんぷく」はカップラーメンまで、残すところ「具材」と「蓋」と「カップへの麺の入れ方」までになった。この萬平、実在の百福さんは実にえらい。憲兵に捕まり拷問され、進駐軍に疑われ拘置所に入ったりしたが、めげずに、96歳まで生きた。これもえらい。カップヌードルの麺には栄養があることもよくわかった。この辺の因果関係はわからないが、塩分、脂質、糖分、たんぱく質だけでなくカルシウム、ビタミンB1、B2も入っている。へえと唸ってしまった。彼は毎日朝、開発した自社ラーメンを食べていたらしい。たいした人だ。






自分のことってわからない

2019年03月11日 | 日記
 左下肢がややよくなったと思ったら、今日の朝は右下肢が痛い。もともと右下肢も悪かったが、左下肢の方が痛さで勝ったので、左がよくなってくると、もともと痛かった右の痛みが前に出てきたのではないか。左をかばったことでさらに悪くなったのではないか、と考える。岡田さんが電話をくれ、操法をライン動画で送ってくれたのは肉離れの痛みを和らげ、治していくというものだった。3回ほどふくらはぎの肉離れを起こしたらしい。
 それを教えてもらって、左下肢はずいぶんと楽になった。すると右下肢の痛みが起こったのであわてて、右下肢の手当てをした。自然形態法という操法については彼からよく聞いていた。
 ぼくがうつむきに寝て、細君がぼくの膝に手を当てて、もう一方の手でふくらはぎを足首方面に掻くように擦る。10回くらい。次にふくらはぎの痛いところをぎゅっと両手で包む。以上を繰り返すだけである。なぜよくなるのかわからないが、とにかく朝の痛みがとれて、歩けるようになった。
 身体はこのように衰えながらも物事は進んでいる。今日は午後から若いプログラマーと話し合った。25歳というにはぼくにとって若すぎる年齢だが、若いからこそもつ知識や感性というものがある。自分の娘や息子より若い。世界は可能性に充ちていることだろう。ぼくはアイディアをぶつけるだけである。かれは率直に、できる、できない、う~んできるだろうけど時間がかかる、と答える。
 ぼくは若い頃よりは慎重であり、いけいけどんどんとならず、じっくり考えているつもりだ。はて、じっくりとはどの程度のものか、自分にはわからない。

ひきこもる

2019年03月10日 | 日記
 両足が動かなくなってから、つっぱりはあるものの多少は緩和したと思っていた。するとその日の真夜中の2時半頃、左足のアキレス腱からふくらはぎの下辺りが痛くて目が醒めた。トイレに行っておこうと左足から立とうとしても痛くて立てない。普通に歩くと痛い。かばって歩くことになる。すると右足、臀部がつっぱる。やばい、と思う。

 昨日は一日中温湿布をし、ロキソニンを一錠飲んだ。右脚側もややこわばっている。
 今日は日曜日、明日病院に行ってみようか。間欠性跛行は血管が原因なら動脈硬化によるものだと考えられて心臓外科らしい。脊柱菅狭窄症なら神経が疑われて整形外科だとネットを検索すると書いてある。
 昨日よりずいぶんよくなっている。しかし明日になればなにもかも忘れたように治ってしまうとは思えない。

 アマゾンで、デュークエイセスの「日本のうた」50曲を2枚のCDに収めたものが売っていた。値段はバラバラだったのに驚いたが、購入したら、次の日には配達されたのだった。思い出したい曲がいくつかあった。山口県の「あの橋を渡ったら」静岡県の「茶茶茶」岐阜県の「マンボ鵜」東京都の「君の故郷」などを懐かしく聞いていて、いずみたくという作曲家の歌は昔「歌声喫茶で歌っていたような雰囲気の曲である、と思った。永六輔には作詞家として言っておきたいことは言うぞ、という意志を感じる。日本の民謡、ハワイアン、ボサノバ、マンボ、チャチャチャ、演歌、合唱など世界の音楽も取り入れた気合いの入ったプロジェクトだった。五年かかったということだ。これを応援してくれた東芝EMIに感謝していた。
 カラオケにはこの50曲の中から
3曲しかないのが残念である。
 今日からは大相撲である。えっ? もうあれから二ヶ月? 早すぎるのではないか、怪我も力士は治せないんじゃないか、と思った。

歩けなかった

2019年03月08日 | 日記
 今日は保健所による民ぱく宿の点検の日で、急いで掃除をしようと、階段を急ぎ足で歩き、玄関んまでいくと、突然脚が動かなくなった。両脚である。予兆はあった。小臀筋と中臀筋がなんとなく突っ張った。それは午前中のことで、本格的には午後に起こった。大腿四頭筋肉がつってしまい、ふくらはぎもつってしまって、歩けない。ひどい痛みではないが、無理に歩こうとすると痛い。なにもせずに休めばそのうち筋肉の硬直も収まり、緩むような気がする。しかしながらちょっとくらいは動かせるので、我慢して片付けなどをしたが、掃除機はかけられなかった。
 そのうちに保健所の女性がやってきて、届け出した間取りや衛生上のこと、火災系のこと点検し、ご近所への騒音には用心していただくように、と助言された。
 ぼくは「あなたに民ぱくの法律について話したら、その意見は県の食品安全課、または観光庁にまで届くのか「と訊いた。「届きません」とはっきり答えた。
 ぼくはこの民ぱく法は大都市用のものだと思う。地方は空き家も多いのだから、民ぱく法で括らず、地方自治体の条例で決めればいいと思う。あるいは民ぱく田舎版バージョンを作るべきだ、と言った。その女性職員は、「確かにそうです。都市型のものだと思います」
ぼくは「管理業者になると空き家を何軒も民ぱくにできるというのも解せません。空き家を利用したいのは地方にも多いのです。尾鷲の不動産業者で、民ぱく管理業者として登録しているところはありません。これも地方無視の法律です」「管理業者資格については私に知識がありませんのでなんとも言えません」
 ソファに座って話していると、少々筋肉も緩んできたような気がする。保健所の賢い職員は妊娠六ヶ月らしく、ぼくの息子より2つ年下である。平成の次の元号生まれの子となる。そんな話もちょっとして彼女は帰って行った。
 脚はゆっくりとなら歩けるようなった。
 こうなるのはなぜか、知らなければならない。また起きるはずだ。どうやら筋肉は「急ぐな」「急いて緊張させるな」と言っているようであるが、脱水の症状かも知れない。ぼくは肝臓の疲れかもしれない、とも疑う。素人が疑ってもしかたがないので、病院で訊いてみるしかないか、と残念な思いがする。昨日はマッコリをガブガブ飲んでしまった。水を飲むのを忘れた。そして下痢ももした。飲み過ぎのたたりなのかなあ、としょげている。こういうしょげることが積もってきている。イヤなこった。
 

楽しみ

2019年03月07日 | 日記
今年の木蓮は今日が満開で、それは例年になく見事な咲き方であった。「ハナミズキ」のような「モクレン」の歌を知らないのが悔しい。きっとあるはずだと思う。一昨年の剪定の効果ではないか。今度シルバーセンターへ行って聞いてみようと思う。今年は山茶花も見事だったので、さい先のよい春のスタートだった。次には桃が咲き、木瓜が咲くはずである。
 実験の小さな透明コップの二つでクロッカスの花が咲いた。他の二つも芽はでているのでいけると思う。
 今日は、黒松とジャスミンと柳の苗を買ってきて、鉢に移した。ひとつは保水層+シルク砂、もうひとつは保水層+殺菌した極小粒の砂。最後は保水層+培養土。これに液肥を入れた。
 透明コップは4種に分けて、シーベリーの種を各コップに5粒ほどまいた。今日以降一ヶ月は水やりを避ける。それでどうなるかが実験である。
 これでしばらく様子をみる。雨がふりそうな場合は事前に屋根をつける。日光が直接当たるように位置を確認する。
 前回、保水層を作り、表層には綿くずで作った人工土でやってみた。見事に失敗した。クロッカスの花を咲かせたのは、保水層+人工土ではなく、保水層+シルク砂であり、保水層+砂であった。
 この結果を見て、保水層をもっと保水力があるようにし、表層を人工土は使わず、3種のもので試してみる。砂漠の砂川を使えるのが一番いいのだから。
 保水層はゼオライトでも試す。
 さてどうなるか。楽しみである。
 


振り返れば22年

2019年02月25日 | 日記
1995年。ウィンドウズ95発売の頃と現在とではコンピュータプログラミングの技術はどの程度上がっているのか。ぼくは全く知らない。知っているのはスマホやタブレットを操作することくらいで、プログラミング技術の進展については皆目情報も知識もない。
 なぜこのようなことを言い出すかと言えば、タブレットで通信教育をしているところが日本にはあって、そこのタブレットで英語の学習を見てみた。またスマホのアプリで語学練習のアプリがいっぱいあるので、いくつか使ってみた。
 すると、ぼくが22年前に発想して作り上げた機能はもってなく、せいぜいリピートをするくらいで、戻るのも10秒前とか十秒後だとかという動き方しかできない。

 本当のところこの語学の世界はどうなっているのか、もっと知りたいと思い、今日は25歳のプログラマーと会うことになった。例えばそのプログラマーの技術で、これができるか、あれができるかと聞いてみたい。またアプリという世界はどのようになっているのか、その機能部品などはどう取引されるのか、アプリそのものの流通経路はどうなっているのかなども知っていれば教えてもらいたい。

 今、振り返って、事務所にあるウチの出版社で作った教材とSDが多数ある、「日本文化Q&A」「臨床医が使う英語」「トイック英単語3000」とか児童向けから大人向けまでいろいろである。ぼくはこれを世に出そうとした。するとこのSDをかける機器開発をしたソニーの機器が一枚のCDで16時間かかるはずだったものが8時間ほどで止まってしまうという異常が出た。それはソニーの責任でするものだったが、ぼくはソニーにはしごを外され、ソニーは一万台の機器をぼくらの教材と売ることなく、この事業から撤退してしまった。
 たいへんな量の在庫が残った。処分代が150万円したことをおぼえている。そのいくつかがまだ事務所にあるので、それを今日若いプログラマーに見せる予定である。
 当時は16時間の音声が入るフォーマットのCDをコピーする技術もなく、2000万円ほどしてかいはつしたのをおぼえている。

 早すぎたのだ。そして今頃が一番いいのだ、と思うようになっている。ベネッセに提案書を送ったがウンともスンともまだ言って来ない。

 まあ勝手に送ったものだから待っているよりしかたがないのだが、別にベネッセでなくてもよい。世界には巨大な語学出版社が多数ある。



 

春になれば

2019年02月24日 | 日記
 もう氷点下になる日もないだろうと思い、金魚の水槽を被っていた段ボール紙を取り除いた。また一回り金魚が大きくなっていた。今年はもっと大きい水槽を買ってやろうと思っている。
 庭で金魚やメダカを見ては、保水性のある塊を作る実験をしている。
 砂漠の緑化技術で多くの火とがやっている方法は、飛行機で種苗をまくか苗木を植えるか、崖斜面んは泥土に種を入れて投げ入れるか、そんな方法が主流である。
 ぼくと同じ発想をとるやり方でやっている日本の企業が実験している。それは、砂漠の砂の中に、紙オムツの材料となる高吸水性ポリマーを投入するのである。雨が降れば、水を吸収し、じょじょに蒸散するという考えである。保水性のあるものを砂に埋め込むという考え方は同じである。こえは相当な威力がある。100倍ー10000倍の吸収能力がある。一度吸い込んだものを吐き出すにを繰り返してどのくらいもつのか、最後はどうなるのか、ゴミになるのか、こういう問題が残されていることだろう。
 ぼくの場合は中国で大量に出る綿屑を使うというものである。綿はゼオライトよりも吸着、吸水性に優れている。ゼオライトと綿くずに一滴の精油を落とすと、綿の方が精油の香りが長く持つ。水の蒸発も綿くずの方が遅い。
 いろいろと考えた末に、植物を植えてまでの実験はその道の専門家や農家の人にやってもらったほうがよいと判断し、とにかくぼくは綿くずから保水力のある塊を作ればよいのだと考えるようになっている。
 時々頭が混乱してくる。塩化カリウムより、炭酸カリウムのほうがいいのではないか。液体時にはアルカリ性だったももが固まり、そのご保水した水が蒸発し、その蒸発水はアルカリ性なのかと疑問が出てくると、人に訊いたり、ネットで調べたりする。化学やら地質学やらの知識がないので、頭の中はオロオロしている。
 そろそろ春になってきたので、またぞろ始めている。春になれば本格的にやるつもりだ。