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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

政権と政権の喧嘩

2019年08月23日 | 社会・経済・政治

  テレビは日本と韓国のことでワンワン言っている。いわば煽っている傾向もある。政権と政権の喧嘩みたいなもので、韓国人と日本列島人との喧嘩ではないことははっきりしておいた方がいいと思う。マスコミと国民の感情は相乗効果があり、危ないことは先の戦争で十分に反省したはずである。

 新聞を読まない、テレビも見ないという人が増えているようである。個別に個人がスマホで何やらやっているとイメージがある。すっかり首が前に垂れて並んで待つ風景や電車の中での風景が携帯電話が出てから一変した。ストレートネックによる頭痛も激増していることだろう。新聞、テレビを見ない人はスマホからのニュースを見ているのだろう。スマホのニュースはいろいろだ。朝日、毎日、読売、産経、日経新聞の記者が書くだけではない。いろんな人がいろんな風に書く。小林よしのりも書けば、菅野完だって書く。自分で書けるのだからスマホは都合がよい。大手新聞では載せてくれないものもスマホでは載っている。トランプ大統領だって毎日のように書く。

 しかしスマホは自分が過去にアクセスしたことが情報として把握されていて、ぼくならぼくの好みみたいな記事を画面にあげてくる。一種の分析AIなのだろう。この点は恐ろしい。そして合間に広告が記事らしく入っている。要はスマホ内容も広告で成り立っているわけであるが、双方向になっていることと、書き手のすそ野が圧倒的に多いという違いがある。

 しかしながらぼくはやはり新聞を購読しているし、テレビも必ず点けている。選択消費(買っても買わなくてもよく、自分の懐具合で消費するもの。絶対消費の反対)の中になくてはならないというものではないが優先順位が上の方で新聞があるだろう。テレビもあるだろう。しかし消費税が上がり、賃金が上がらないとなってくると、何を削るか。やはり新聞だろう。テレビはまだ削られることはないような気もするが、スマホがあればワンセグで地上波テレビは見えるのだけど。

 何か、つまらないことを書いている。どうでもいいようなことだ。言いたかったことは、新聞もテレビも冷静さを欠いたらだめだよ、ということだ。韓国を責め立てたら視聴率が取れるなど思わないことだ。これはマスコミ人の根本理念に関わることだ。冷静であらねばならない。

 


ランク付け

2019年08月20日 | 社会・経済・政治

 今日の「モーニングバード」を見ていても、羽鳥慎一司会者は煽り運転をして挙句に傷害を負わせた宮崎何某の経歴を紹介し、彼の実像に迫ろうとするのだが、軽々には言えないことは十分にわかっているだ。ただ、宮崎何某は「天王寺高校」に行っており、その天王寺高校を大阪でもトップ5に入る「頭のよい子のいく高校」と言ってしまう。そしてこの高校から「東大に9人、京大に47人」が入って、宮崎何某は「関西学院大学」でこれも「頭の良い人がいく大学だ」と言う。テレビも羽鳥もこんな点が質が悪い。東大へ行かずとも、関西学院に行かずとも「頭のよい人はいくらでもいる」。学歴や肩書で人を判断してたら間違えてしまうことはもう現代に生きる人は知っている。佐川元税務庁長官など「頭が良い」と言えるのか。そもそも頭が良い、というのはどういうことか。羽鳥に定義つけてもらいたいものだ。記憶力がよいことを頭が良いというのか。忠実に勉強してきて優秀な成績をおめた人を頭が良いというのか。バカバカしい。

 テレビはこういうくだらない区別を平気でやる。テレビ局側にいる人たちも少々考えればわかるはずだ。

 常連コメンテーターの玉川徹はテレビ側の人間である。彼は「正義」は嫌いだ、と言っていた。宮崎何某がもしかしたら、自分のやっていること、例えば「熱いお茶を出して店主に4時間も説教した」というのは自分はいいことしてやったんだ、と思っているのかもしれない。いいことをしている思ってやっているとそれは実は悪いことかもしれない。こういうことは鎌倉時代の親鸞さんが言ってきたことだ。玉川徹のこういうコメントは切り口も鋭く、納得することも多いのだが、今日の経歴のところで何も言わなかった。頭が良いだのなんだのは不要のはずだ。宮崎何某は関西学院大学に行ったからと言って頭が良いわけではなく、佐川元長官とて頭がよいとは思えない。

 東大がえらいだの、京大が今やトップだのランク付けをマスコミはしたがるが、実は庶民のほとんどはあまり縁がないので、そんなランク付けがどうでもよいと思っている。インテリの方がコンプレックスでもあるのか、ランク付け、区分けをする。

 いったいいつまでこういう意識が続くのだろう。つまらないことだ。

 


香港-中国

2019年08月14日 | 社会・経済・政治

 アメリカの世論調査では「中国の印象は好ましくない」とする火とが60%を越えるそうだ。中国政府も香港を軍隊で締め付けるならば、さらに印象が悪くなる。

 アメリカ合衆国は南北戦争を経て、州による自治を認め、大統領がアメリカ合衆国の元首である。

 中国も省に分割し、内モンゴル自治区や新疆ウィグル自治区はあるが、民主的な選挙で行政の長などが選ばれるわけではない。

  アメリカ大陸のように海に囲まれていて、異民族の侵攻もない北アメリカ大陸のカナダとアメリカは中国の歴史とは正反対の国家である。ヨーロッパから入り込んできて、原住民を排斥して国とするのだから盗人のようなものだ。

 中国の場合は、匈奴などの異民族の侵攻があり、万里の長城を作るくらいに異民族に悩まされ、モンゴルに支配され(元)、女真人に支配された(清)歴史がある。さらに国は三国志にあるように幾つにも国が分かれ、地方には巨大な豪族が割拠した歴史もある。この国はタガを緩めるとあっちこっちで反乱が起こるかも知れない、とぼくは思っている。たかがイギリスのような国に中国が蹂躙されたにである。日本までも奪おうとしたのである。

 中国は強く、豊かな国になりたいことだろう。その点ではもう二度と侵略させないぞ、という気持ちはアメリカよりも強いと思う。

 香港政府へ反発が先鋭化してきた。香港だけで独立したいだろうが中国の一部であることを否定してしまう事態が起これば中国政府も黙っていないだろう。中国はイギリスから引き継いだ香港を一国二制度を守るということで香港人を納得させた。その最初の時期に戻し、政府の長や議員も民主的な選挙で行うことを約束しなければ中国の印象はさらに悪くなるだろう。結局弾圧することになるのだろうか。

 相変わらずヤフーの天気予報はあたらない。こんなのだったらオオカミ少年の話になってしまうよ。

 昨日銀次さんら家族はカンパチを釣ったらしい。昼は古川で遊んだようだ。孫たちがてるてる坊主を作ったのが叶った。ヤフーでは大雨なのに雨が全く降らなかったのである。紀伊半島と言っても広く、山間地もあり海沿いの地もある。

 まあ、その辺は人口も少ないので無視ということなのだろうか。


日本の自然

2019年08月13日 | 社会・経済・政治

 天気予報を見るのも仕事のひとつなので、毎日見ている。ぼくの場合はヤフーの天気予報だ。昨日も大雨の予報で、今日も大雨の予報である。結果は昨日は晴れ時々曇り。今日は曇りである。前々から天気予報は当たらないと思っていた。難しいものではある。尾鷲は雨が降っているのに、山を二つ越えた曽根は降っていないということがよくある。

 テレビでは全国放送の天気予報は紀伊半島の情報がない。しかたないので、県のNHKニュースを見る。これはまだ予報がヤフーよりもよいように思う。

 日本では観光業も台風や大雨に左右される。比べてフィリピン以南のインドネシア・バリ島などは台風がないため、天気による観光客への影響はない。このようなことから沖縄や石垣島は台風のコースで、本来観光業は向かないのではないかと思う。特に夏は旅程が組みにくい。

 フランスのように、一か月のバケーションがとれるのだったら一回の台風くらいは我慢もできる。日本は何度も台風がフィリピンの沖辺りで、発生するので、コースが読めるまで困ったものだ。

 自然を相手にする農業や漁業に従事する人々は「しかたのなさ」を意識の片隅に置いていることだろう。何が起こるかわからないのだから。それでも日本は江戸時代が終わるまで農業国としてやってきたのだ。それは驚異でもある。地震、津波、洪水、台風、冷夏、灼熱夏、日照り、大雨、高潮と難儀なことに取り組んで生きてきたのだ。

 

 


何が起こるかわからない

2019年08月12日 | 社会・経済・政治

 どこで何かが起こって抜き差しならない事態に発展することがある。第一次世界大戦がそうだった。第一時世界大戦の直接的な原因となったサラエボ事件がおこる。オーストリアのハンガリー帝国の皇太子夫妻が反オーストリア運動結社「黒い手」の1人であったセルビア人によって暗殺されるという事件である。ヨーロッパだけかの戦争のように見えたがアジアをも巻き込んだ。最大、最悪の戦争であった。

 最近インドがカシミールの自治権を奪い取った。イスラム教のカシミールをヒンズー教のインドが支配するわけだが、これまでは自治権が与えられていた。ところがこのカシミールがイスラムテロの温床、隠れ家になるということで、インドは動いた。当然パキスタンは反発する。この両者は核までももっている。この諍いがこの地方だけでのことならいいが、パキスタンがいろいろな国を回り、支援要請をしている。

 もうひとつイラン革命防衛隊とイギリスや他の国の諍いがある。これが拡大したらイスラエル、サウジアラビアなどが参戦してくる。アメリカはイスラエルやサウジを応援する。イギリスは強力な英米同盟がある。

 ロシアではヨーロッパ、アメリカの経済制裁による経済が不安定でプーチンの独裁政権も揺らいでいる。中国はアメリカとの貿易戦争、覇権争いの渦中である。世界経済の見通しもよくない。よくないことばかりが続いているからだ。その半分はトランプ大統領によるものだ。

 日本列島人も馬鹿ではないだろう。他国の戦争に付き合うことはない。自衛隊員を行かせてはならない。彼らにも妻がいて子供もいる。第二次世界大戦以降は人を戦争で死なせないというのが「ひとつの合意事項」である。

 雨が朝方降り、今は晴れて、また雨が降る、という奇妙な天気だ。しばらくは孫たちも海水浴には行けない。高校野球でも見てのんびりするかと思うけど、きっと孫たちは騒がしいが。しかし平和である。飛躍した妄想であるが、孫が兵隊に取られるなんてことがあってはならない。しかし徴兵制度復活を言う政治家もおり、気をつけなければならない。日本列島人は普段は緩やかに生活し、まじめに仕事をしているが、肝腎なときに物が言えない。右に倣うという弱点がある。

 


情けない、神戸市

2019年08月08日 | 社会・経済・政治

 「甘くて、優しい」、同じお茶を「柔くて、美味しい」と表現する。わからんけど、美味しそうに思える。優しい味ってどんなだ? と思いながら、いい加減な言葉でだまされていくのが人間だと、人間は騙され、煽られ、奴隷となり、殺され、戦う、愚かで、賢い人類での最先端である。

 各地に散らばって人類は滅びる者と生き延びていくものとなり、現在、ホモ・サピエンスの白人種、黒人種、黄色人種なって現在に至っている。中東やインドの人間の色だけ白くすれば白人種と変わりないような顔かたち。中国人か、モンゴル人か、朝鮮人か、日本人か区別もつかない顔形。それは黒人種も同じである、とともに、人類である。猿と獅子の差ではない。99.99%の差をもつ人類なのだ。0.0001. 0.000001 ほどに違わない人類がバカなほどにも、差別、区別という観念を生んだ。

 「表現の不自由展」を企画、監督したジャーナリストの津田大介は神戸市におけるシンポジウムに出席する予定だったが、神戸市が苦情がでるのを恐れた。ほんの少数がネトウヨだというのに。情けない。昭和の戦争前、1932年あたりから社会はだんだんと物言えなくなってきたと思うが、苦情に脅え、苦情を厭い、面倒くさいなどと神戸市が判断していたら、全く情けない。中止した津田、大村知事も情けないが。松井一郎大阪市長、好村大阪知事は情けない以下である。勉強したほうがよい。


テレビは世襲政治家に弱い

2019年08月08日 | 社会・経済・政治

  小泉進次郎と滝川クリステルとの結婚発表がテレビで何度も報道される。別に悪い男とも思えないが、どんな考え方をしているのかも自民党に所属しているのだから、だいたいはわかる。演説の歯切れのよさもあり、応援演説のオファーは多く、選挙にはいつも駆り出される。小泉純一郎の息子だというだけで、票が集まる。案の定、良い男で、演説も上手いので、喝さいを浴びる。いずれ総理になる人物だと評される。

 話は違うが、今日の朝日新聞で大阪府の吉村知事が「愛知県知事は辞任すべきだ」と言ったことが記事にあった。ぼくは即思った。いよいよ大阪維新の会は抑え込む政党であり、ファシズムに走りかねない政党である性格が見えてきた。

 ぼくは愛知県の大村知事が最初、「表現の不自由展」を中止する、と公言したときに、失望し、ダメな男だと思い、三日たって、今度は正当な憲法論を語り、河村名古屋市長を批判したときは、情勢に敏い、一本筋が入っていない政治家だと思っていた。で今も本当は思っている。なぜならば、主催者なのだから「表現の不自由展」をもう一度再開すればよいだけの話だ。愛知県警のトップなのだかから、警備体制をとり、「表現の自由」を守るのが仕事なのだから。それをやる胆力がないのだ。やってはいけない前例を作ることの重大さがまだわかっていないのだ。

 小泉進次郎はこういう場合、どういう考えをもつのか。わからないからなんとも彼を評価できない。ところは山本太郎はこういう場合、はっきりと言う。「お・も・て・な・し」などと言って東京オリンピック招致に担がれた滝川クリステルにしても、ぼくなどは「フン」と思っている方だ。なぜならオリンピックなどは維持費がたいへんな建物を建て、ホテルを建てで、本当に日本にオリンピックが必要なのか、と思うからだ。公共建築物が経済効果をもたないことはすでにわかっていることだ。彼女は思うから招致活動に参加したのだろう。

 だいたいが政治家は世襲などというのは日本はダメな証拠だ。不公平感がありすぎる。それを多くのコメンテーターは言わない。世襲政治家が議員の半分以上を占めるようになれば、もうこの国はだめだ。世襲政治家と有名芸能人、スポーツマンの国家となる。親の地盤で選挙をすることは許してはいけないとぼくは思う。小泉進次郎は父親を利用しまくっていることに涼しい顔をしている。フン、と思う。ましな政策を言えば、フンは取り消す。

 


事実の歴史

2019年08月07日 | 社会・経済・政治

 従軍慰安婦も南京虐殺もあったあきらかなことで、疑う余地もない証拠の記録や証言も残っている。それをないことにする。ないことにすれば日本帝国軍兵士が汚れた、不名誉な軍人とならないから、という理由にもならない理由で「なかったことにする」幼稚な政治家や賛同者。名古屋市長の河村たかしも大阪市長の松井一郎も「ひるおび」の八代英輝も「日本軍の兵士」(吉田裕著)くらい読んでから物を言えよ、ちょっとは勉強しろよ、と言いたい。

 

 ところで日本人も大虐殺された。各地での空襲で。広島と長崎の原子力爆弾で。これほどひどい大虐殺に、日本列島人は怒らなかった。怒るための、武器も食糧も、燃料もなかっただろうし、第3、第4の都市が破壊され、人々は殺されただろう。アメリカ軍は空襲が大好きで、爆弾をボコボコ落とすのだ。ヴェトナムはそれに抗戦し耐え忍んだ。アフガニスタン、イラクでも空爆だった。

 外国になんどもやられる歴史をもつ国家なら、「恨」の感情も経験が多いだろうが、なにせ初めて大虐殺されたことがピンと来ないほど、慣れていなかったのだろう。

 河村や松井、ならびにネトウヨたちは一部日本人を美化し、勇敢な兵士たちで、卑怯なことはするはずなく清廉で潔白と思いたがり、それを後世に伝えたいのだろう。

 だんだんと正体が見えてくる。テレビで口当たりのよいことを言っていても、何か事が起こると、自由を潰す側にまわる。ぼくは呆れている。

 

 

 


オリンピックは本当に必要だったのか

2019年07月26日 | 社会・経済・政治
石崎徹という衆議院議員。丸山穂高衆議院議員、豊田真由子元衆議院議員。佐川元国税庁長官らの面々。高学歴と性格・倫理観・愛情なんて何も関係がないことを思わせるもので、世間一般の人も、あの人は「東大出だから」だの「りっぱな会社にいて」とか「どこそこの社長ですか」などなどおべっちゃらくらいなならまだしも、票を入れたり、後援会に入ったりするのは慎重にやらないと。
 多くの人は学歴なんてそうそう自慢できるものではないことは知っているのだが、自慢できるものだと勘違いしている人が多分、これはぼくの憶測であるが、国民の半分くらいはいるのかも知れない。
 テレビ局のバカがつまらないクイズ番組作って「東大生なんとかなんとか」みたいなのをやって「東大生はさすがによく知っている」と思わせる。あほか!と思う。

 それよりも「オリンピック過ぎたら景気はどうなるんだ」を教えてほしい。よくなるの?悪くなるの?変わらないの?

 政治・経済の波というのは確実にぼくのような一個人にもある。これまでもあった。事業起こしたら突然、大不況とかもあり得るし。先がある程度読めないと何をするにも気持ちが悪い。若いころは勢いでやっていたが、これからは勢いでやれない自分なのである。

 東京オリンピックなんかなぜ誘致したのだろう。箱もの作ったら景気もよくなる、みんな元気になる、と単純に思ったのだろうか。オリンピック時期は東京に行って仕事はできない。10500円の部屋が6万円すると昨日テレビで言っていた。

 テレビではオリンピックを盛り立てるためにか楽しそうに期待を膨らませているが、こちとら、紀伊半島の隅っこからテレビで見ているだけだ。テレビは大騒ぎするだろうから。
 桑田佳祐もひと肌脱いでしまった。これを光栄というのか、しかたなし、というのだろうか。
  
 「もう決まってしまったもん、つべこべ言うなよ」は日本社会の悪いところである。つべこべ言っている奴もいるのだ。本当は多いのではないだろうか。

 日本は二度目の夏季オリンピックで浮かれている時ではないのだ。箱ものをどうやって維持するのだ。賃金はどうやって上がるのだ。10月には実質賃金が2%下がり、ついでにガソリンの値上げ。ぼくには「ええじゃないか、ええじゃないか」とオリンピックが被さってくる。
 これも尖閣列島問題と同じように、築地問題と同じように石原慎太郎が残したものだ。猪瀬直樹が継いでしまった。
 ぼくはオリンピック後からまた停滞、衰退が続くと思っている。ぼくみたいな楽観的な人間が言うのだから、ぼくよりも楽観的な論者と悲観論者の意見を聞いてみたいものだ。


いい加減にしろ!

2019年07月23日 | 社会・経済・政治
 吉本興業のこと、テレビは興奮してやっているが、ぼくには見苦しくてかなわん。こてまで批判もしていなかった芸人が今とばかりに言うのもおぞましく、会長を守らなあかん、動きます、といって動く男も見苦しい。
 宮迫も、亮も、岡本社長も一家のメンバーである。この一家で騒ぐ男たちはヤクザめいている。ヤクザではないのだろうが、ヤクザによく似た性質がある。駆けつける、庇う、忠告する、裏切る。そんな体裁だ。
 参議員選挙が終わって、「れいわ新撰組」などあつかったことなどなく、無視してきたテレビ局
が予想外の「れいわ新選組」の健闘にあわてたのか、そのニュースに切り替えたいところだった。そこに、「吉本」の邪魔が入った。
 泣きの誠意と口下手の誠意が日本を席巻している。うんざりしているのはぼくだけだろうか。本当は司会者たちもうんざりしているのではないか。
 吉本興業があろうとなかろうと、宮迫や亮がいようといよまいと、ぼくら庶民にはちっとも生き死にの問題ではない。
 全く、テレビをつけると、またか、と思う。いい加減にしろよ、と言いたくなる。

  

経済はややこしい

2019年07月22日 | 社会・経済・政治
 さほど気にもならず、この国の国政選挙の様子を見ていた。各政党人、候補者は必死であろうが、こちらは必死ではない。早々とチャンネルをBSに切り替えて、卓球TSダイヤモンドを観戦する。加藤美優は準決勝で話にならず、朱雨齢のストレート負けした。丁寧との三位決定戦を見る気がせず、早々に二階の我が部屋に引き込んだ。「パニック経済」を読んでいる。
 そう言えば、金利が下がると国民のお金が下がった分だけ国に行ってしまうのだった。もうひとつ金利が下がれば、企業や個人はお金を借りる際に有利になる。だから消費は活発化する、はずである。しかしなかなか借りる人、企業は少ない。

 政府はすでに大規模の金融緩和をやり、貨幣供給も500兆円と膨大になっている。政府の国債は銀行が買い、その銀行の国債を日銀が買っている。日銀はそれだけ引きうけているのだから市中にお金が回り、消費もしてもらいたい。しかしながら市中にお金が回らない。なぜか。銀行は膨大なお金が市中に回れば、スーパーインフレになってしまうことを恐れているからか。あるいは単なる貸し出し先がないだけの話か。日銀が買い取ったお金が塩漬けされている。
 とまあ、こんな風な本を読んでいるのである。今年になって経済本を数冊読んだ。経済のことは難しい。自信をもっていう人はクエスチョンマークである。「国民は国にお金を貸してるんだ」と自信をもって言うのは結構であるが、裏を返せば、「国民は貯金を担保に取られてるんだ」とも言えるし、「金利操作ひとつでお金は国に没収されるのだ」とも言える。

 MMT(現代貨幣理論)にしても自国で貨幣を作り、自国民で国債が賄える限り、財政バランスよりも国債を発行しても国は破綻しない、と言っても、大量の国債を何に使うかでその結末は違うだろう。不要な公共工事にお金を出し、回収できないようなものなら、維持管理費がかかるばかりである。教育に使われるならば、これありである。人材あってこその日本だからだ。このMMTは民主党の左派サンダース候補の経済政策ブレーンの理論であった。可笑しいのは、このいわば社会主義的理論を自民党の西田昌司議員が一生懸命唱えていることだ。消費税増税をやめ、国債を発行しろ、というわけである。これは「れいわ新選組」がさらに踏み込んで「消費税ゼロにする」と言っているのと同じである。不可解なのはサンダース上院議員は貧困と格差で喘ぐ若者の社会主義化傾向に賛意をしめし、選挙活動の地盤はそういう人たち支持で行われたのだった。森友問題でも安倍首相を擁護していた西田昌司は? 藤井聡のような安倍政権元ブレーンは? MMTは何にお金を使うのか、その内容が一番重要なのである、とぼくは思う。 

歴史の最先端の事故

2019年07月20日 | 社会・経済・政治
 たとえば、1000億円の箱ものをつくると、約30年で同じ金額の維持管理費がかかると言う。一時、橋やトンネル、道路のメンテナンスの問題が出たが、これらの維持管理費も儲けがない限り、税金で払って維持しなければならない。最後は壊すお金さえ、準備しなければならない。
 すると東京オリンピックでできる箱もの、関連道路などの維持管理はどうなることだろう。
 尾鷲市も箱ものをつくるのが好きだったが、さすがここ10年目立った箱ものは保育園とかそんなものである。
 大曽根に野外コンサートホールがあるが使われていない。文化会館があるが使用頻度は少ない。海洋深層水の取水装置があるが赤字である。今後夢古道も怪しくなる。メンテナンスが必要になるときが問題だ。
 社会保障費が総予算も3分の1になろうとしている。介護士や保育士の給料を上げよう、上げなくては、という声が多くある。一方で、建設業の社長は部下に億単位のお金を使い込みされても、平気そうに鯉に餌をやっている。今後戦後に建設されたインフラを維持するだけでも、建設業はやっていける。準公務員のようなものだ。東日本大震災復興、オリンピックでも建設業は儲かる。ただ単純労働者も利益の配分をちゃんとうけるのかは知らない。
 経済大国を目指すことは日本には無理がある。宇宙にかけるお金もないし、サイバー戦争にかけるお金はない。軍備にかけるお金も、そもそもアメリカや中国、インドに対抗できるような人口をもっていないし、すでに人口は減っているのである。経済強国という価値観を変えなければならないのである。日本列島人は島で育ち、歴史を育んできた。他国から侵略されるかもしれないという不安をもつこともなかったが、唯一連合軍のアメリカに占領されただけだ。いつも他国からの侵入を警戒してきたヨーロッパ、中東、中国、朝鮮半島とは危機意識が違う。戦後、再び、アメリカの支援の下、経済復興を果たして、世界二位の経済大国になった。それを誇りにも思い、ある時期繁栄の恩恵を受けた。60歳移譲の人たちが、である。

 京都アニメーションの放火事件は日本列島の歴史が積み重なった現在を象徴しているのかもしれない、とぼくは疑っている。まだ犯人の動機や背景がわからないのでなんとも言えないのであるが、負の政策のツケの結果の一部かもしれない。不安社会が続けば、これからもよく似たことが起こるにちがいない。

富の偏在はろくなことはない

2019年07月19日 | 社会・経済・政治
 昨日の京都アニメーションへの放火、爆発事件の犯人は41歳ということである。周辺の聞き取りでは「パクりやがって」という憤怒の声を上げている。京都新聞によると、小説をパクった、と言ったらしい。それが本当か、妄想かはわからない。
 気にかかるのはぼくらが心配する20代、30代、40代での貯金ゼロ48%という人たちのことだ。
 どうもこの41歳の男はガソリンの性質には無知で、結果を想像する力もなかったようである。その上でブチ切れている。
 日本は財政的にはたいへんな借金がある。この借金なんて怖くないよ、インフレをコントロールできるのなら日銀が国債を買い取るのはOKだよ、というMMT(現代貨幣論)の論者を増税反対論者たちが日本に呼んで、講演会などをしている。国債を増やせばよく、増税は反対であるという論理である。
 例えば、政府が20兆円の国債発行したとしよう。すると20兆円は日本も中を駆け巡ることになる。20兆円は国民の資産だということになる。ところが多くの人に自分にも20兆円の一部でも回ってきたら、おお、景気もよくなったか、と消費をするかもしれない。ところが1700兆円の貯蓄があるといっても20代、30代、40代の半分には回ってきていない。どこかに富は偏在している。企業の内部留保金かもしれない。あるいはどこかでお金は眠っているのかもしれない。

 お金の偏在は不安な社会を作る。不安が続くと精神に異常をきたす。自己を客観的に見えなくなり、社会と個人の部屋の区別、いわば個人幻想と共同幻想の区別もつかなくなる。わけのわからない犯罪はおおかたが個人幻想が共同幻想をも凌駕してしまうときに起こるのだ。
 国債を発行して、銀行が買い、それを日銀が買い、日銀が金利やインフレをコントロールできるなら、20代に10兆円、30代に10兆円とあげてもいいはずだ。それをしないのはMMT理論に不安があるからである。ぼくはそう思う。いずれにせよ、富の偏在はろくなことはない。

ドーダ

2019年07月18日 | 社会・経済・政治
ブログの校正がようやく2008年になった。毎日一時間ほどの校正作業で削除、付け足しもする。この頃のヤプログはツイッターとも連動し始めて、保存してくれている文が途中で切れていて保存されたいないものが多い。毎日でもちょっとずつでもやっていれば進んでいくものだと実感する。こんな文を書いていた。

 「ドーダの近代史」の内容をもう少し紹介したい。(「ドーダ というのはオレは東大でてるんだぞ、ドーダ」のドーダである)
 中江兆民(幕末から明治にフランス語学者)の「一年有半」(岩波文庫)で、
「山縣、松方、西郷(従道)などは書いても筆を汚すぐらいで、伊藤以下は皆死んでしまい、一日早く死んでしまえば、一日国家の益になる(要約)」 と激烈である。

 と中江兆民が書いたことを上記のようにメモしている。それで今日はそれにつけ足しをした。
 
 ここまで言ってしまう男がいたのか。
 こういう言葉は一種の比喩でそれぞれの名に現在の政治家の名を入れ替えてみればよいようになっている。

 話題を変えて、
 世襲の政治家であふれる日本の議員。タイミングの悪い韓国への「経済制裁措置」と不要な政治的発言。選挙区での世襲議員小泉進次郎の不可解な人気。日本国民の平均的政治意識。積立方式で始まった年金。「払う日はまだうんと先だから使ってしまえ。なくなれば賦課方式にすればいいんだから」と当時の官僚が言っていた。グルーンピアの大失敗。贅沢を尽くしたオーバースペックの建物。そんな年金機構が株を運用していいのか、と心配になる。彼ら官僚にはお金(税金)の感覚が違う。自分のものでもないのに、自分のもののように使う。そんな奴は一日早く死んでしまえば、一日国家の益になる。世襲政治家も同じ。
 

いつまで続く国の借金

2019年07月14日 | 社会・経済・政治
 国の借金は国民の資産だ、もっと借金を増やして経済に活を入れろ、という意見がある。国の借金は国民の資産だということをわかりやすく言うと国はどこから借金をするかと言えば、国民であり、国民で構成する企業が元にあり、それを銀行が預かり、その銀行の預り金を日銀が買い取るという循環なのだから、借金はまた資産として国民・企業に戻ってくるというわけだ。そうなると、なるほどそうか、と思ってしまうのではないか。これは詭弁である。
 国民は国にお金を貸しているのだ。これも詭弁である。
 なぜなら国民は貯金を担保にとられている、とも言えるからだ。

 日本の借金は1100兆円となり、国民の貯蓄は1700兆円。この論理で行けば永久に借金をすれば資産が増え、全く財政は心配なしである。日銀が供給する貨幣は、1990年の国内総生産(GDP)は450兆円だった。しかし年初のマネタリーベース(通貨供給量)は39兆円台に過ぎなかった。2016年にはマネタリーベースは400兆円となり、GDPは500兆円程度である。39兆円で回していたのがいつのまにか、400兆越となった。異次元の金融緩和が原因であり、そのまた原因デフレからの脱却があった。年に2%物価が上がれば、政府の借金は2%減るはずだった。当然国民の貯金は2%減るはずだった。
 1100兆円、さらに膨らむ借金はどうなるのか。督促状を書く人は誰なのか。担保を抜いて欲しいと誰が言えるのか。

 絵を描いたように物事は上手くいかないこともある。
 株価を上げて輸出企業は一息ついた。一息ついたお金を内部留保した。賃上げをする大企業もあったが、多くの中小企業はできない。終身雇用制度も崩れてきた。企業は正社員と非正規社員を使い分けし始めた。
 日銀は政府の国債を買い続けている。お金はどんどん世の中に回っているはずだけれど、使うわれず、日銀眠っている。なのに、貧乏な20代-40代の人たちが40数パーセントいる。
 国の借金が国民のプラス面の資産であればよいが、実は国民は国にお金を貸しているということだったら、返してくれないとえらいことになる。国民は返してくれるだろうと思っている。sるいは担保を抜いてくれるだろうと思っている。だから国も毎年借金の分割返済をしているのだろう。本当は頬被りしたいことだろう。戦後、一度政府は開きなおって貯金封鎖をしたことがある。
 返せないから逆に国民のお金を奪いとるのと同じことをしたのだ。

 いつまで続けられるのか。自国貨幣をもつ国はいくら貨幣を刷っても大丈夫だなんてことはない。スーパーインフレになる。財布に札束が入らなくなる。国は乱れ、治安が悪くなる。
 海外に400兆近くの債権があるのなら売ってしまえばいいではないか。国内に国の資産が高橋洋一が言うようにあるならば売って、予算に充てればいいではないか。
 
 希望がもてる国造りをしなければならない。決して贅沢をせずとも、普通であればよい。
 現在は、お金の供給量は1990年の10倍になっているのに、GDPは10倍にならず、貯金ゼロが増えているにはお金の流れがイビツである。