25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ドーダ

2019年07月18日 | 社会・経済・政治
ブログの校正がようやく2008年になった。毎日一時間ほどの校正作業で削除、付け足しもする。この頃のヤプログはツイッターとも連動し始めて、保存してくれている文が途中で切れていて保存されたいないものが多い。毎日でもちょっとずつでもやっていれば進んでいくものだと実感する。こんな文を書いていた。

 「ドーダの近代史」の内容をもう少し紹介したい。(「ドーダ というのはオレは東大でてるんだぞ、ドーダ」のドーダである)
 中江兆民(幕末から明治にフランス語学者)の「一年有半」(岩波文庫)で、
「山縣、松方、西郷(従道)などは書いても筆を汚すぐらいで、伊藤以下は皆死んでしまい、一日早く死んでしまえば、一日国家の益になる(要約)」 と激烈である。

 と中江兆民が書いたことを上記のようにメモしている。それで今日はそれにつけ足しをした。
 
 ここまで言ってしまう男がいたのか。
 こういう言葉は一種の比喩でそれぞれの名に現在の政治家の名を入れ替えてみればよいようになっている。

 話題を変えて、
 世襲の政治家であふれる日本の議員。タイミングの悪い韓国への「経済制裁措置」と不要な政治的発言。選挙区での世襲議員小泉進次郎の不可解な人気。日本国民の平均的政治意識。積立方式で始まった年金。「払う日はまだうんと先だから使ってしまえ。なくなれば賦課方式にすればいいんだから」と当時の官僚が言っていた。グルーンピアの大失敗。贅沢を尽くしたオーバースペックの建物。そんな年金機構が株を運用していいのか、と心配になる。彼ら官僚にはお金(税金)の感覚が違う。自分のものでもないのに、自分のもののように使う。そんな奴は一日早く死んでしまえば、一日国家の益になる。世襲政治家も同じ。
 


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