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2006年12月に悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫)の告知を受けました。治療を経て現在経過観察中です♪

♪伊豆旅行♪

2007-01-21 16:57:05 | 症状自覚から入院まで

1月20日~21日で看護学生時代の仲間8人で伊豆旅行です
本当は違う場所に行く予定だったんだけど、私の病気がわかり入院も控えていたので、みんなが近場にしてくれました!!! ありがとう

学生時代、いつも8人で一緒にいました♬♪
今ではみんな看護師として働いているので、なかなか時間があわなくて・・・。
8人揃って旅行なんて卒業旅行以来デス

でもこの8人。私は病気で休職中1人は妊婦で産休中もう1人骨折で病欠中こんなことも珍しいヨネ・・・って笑っちゃいました

妊婦の友達は3月初旬が予定日なのに、大きいお腹で伊豆まで来てくれました

みんなで食材買って、鍋やってみんなでワイワイ過ごす事ができました
2日は、秘宝館へ!!!ここはご想像にお任せします

この8人では、学生時代も辛い実習、国家試験を乗り越えてきました。喧嘩もなく、気を使わない、自分を飾らずにいられる、みんなでワイワイと笑いの耐えない仲間デス

1日目の夜、いつ書いたの!?って全く気が付かなかったんですが、8人からのメッセージが書かれた色紙をもらいました
8人で撮った写真を真ん中に うれしかったです

次の日からは入院です。治療が待っています・・・

みんなといる時はこんなに笑っていられるのに、これから辛いことも、乗り越えなくてはいけないことにも向き合わなければいけなくなると思う

でも、8人が応援してくれている
私には家族、親戚、友達、職場の方々など、応援してくれる方がたくさんいます。
どんなことがあっても、投げ出さずに頑張ります

みんなといて、元気をもらえました
まだ治療も始まってないから、実感がわかないのが正直なトコロです・・・。


入院の日程が決まりました。

2007-01-19 23:39:28 | 症状自覚から入院まで
1月22日に入院し、24日から治療開始。2週間の入院予定になりました。
20日、21日は短大の友達8人で伊豆の旅行です

12日に全ての検査が終了して、それからは中学や高校の友達と会ったり、家族で三島にある三嶋大社に御参りに行ったり、浜松のアパートを解約し、荷物を運びに行ったりと、ちょこちょこと用事がありました。
浜松にある自分のアパートから荷物がなくなっていくのは淋しいなぁ
高校卒業してから6年、浜松で一人暮らしをしてたので、思い出いっぱいデス
22日、私の入院の日に父、兄、兄の彼女が全て荷物を運ぶために、2トントラックをかりて、引越しに行ってくれます。その時私は入院だぁぁ

入院前のみんなとの旅行を楽しんで、元気をもらって、病気と闘います

大腸カメラ・・・。

2007-01-12 23:09:43 | 症状自覚から入院まで

今日はついに大腸カメラの日です
昨日から下剤を飲んでいますが、朝起きても反応がありません。
朝から1.8リットルの下剤を2時間~2時間半かけて飲まなくてはいけません。
1.8リットル飲み終わっても反応がないぃぃお腹はもうパンパンです
ゴロゴロ動いて、コタツでお腹を温めて・・・。
11時半頃までには病院に行かないといけないのに、反応があたのが10時過ぎ
このまま出なかったらどうしようかと焦りましたぁ

大腸カメラは働いている時に、見学をしたことはありました。
正直言って、お尻からカメラを入れるって、誰でも抵抗ありますよね・・・。
でも、そんなこと言ってる場合じゃなくなりました。もうやるしかないんですよね

病院に着いて、外来で点滴のルートをとり、お尻側に穴のあいた紙パンツに履き替えて、検査着に着換えて、内視鏡室へ。
胃カメラと同様、鎮痛剤、鎮静剤を使用しました。
ボーっとしながらDrに「憩室ないですか??S状結腸長くないですか??」なんて質問してました。
以前、何日も下痢が続いたり、腹痛に襲われたことがあったので、憩室でもあるんじゃないか心配でした。
デモ、腸もキレイで問題なし よかったぁ~ヾ(o→ܫ←o)ノ
しばらく外来で休んで、帰宅しましたぁ!!!

これで、一通りの検査は終了です。
今まで、風邪もひかないような体で、学校も皆勤だったのに・・・。
今回のことで色々なことを経験しましたぁ。
生検、OPEでリンパ節摘出、マルク、胃カメラ、大腸カメラ、肺機能、心電図、心エコー。
こう振り返ってみると、色々やってきたなぁ~

これからは抗癌剤に放射線が待っています。なんかフルコース
でも、これも良い経験ですo(^-^)o


浜松の病院へ!!!

2007-01-11 23:40:26 | 症状自覚から入院まで

今日は、自分が働いていて、生検や告知をしてもらった病院に受診です。
耳鼻科では傷を診てもらって。「傷は後の処置は自分でやっといてね。看護師不足なんだから治療が終わったら、元気にまた戻ってきて下さい!!」って。
耳鼻科のDrには無理やりつまっている予定の中にOPEを入れてもらったり。なんたって、受診してから半月でホジキン病の存在を見つけてくれて。感謝です。
血液内科では、「特殊染色の結果、ホジキン病で間違いないと言う診断がつきました。」
って。特殊染色!?ってよくわからないけど、確定したみたいです。

今検査を受けていて、これから治療をするJ病院に紹介状を書いてもらうよう依頼して。
これから仕事は休みに入るので、診断書を書いてもらい提出してきました。

病棟にも行って、課長に決定した内容を伝え、病棟には戻ってくるつもりだけど、長期間いなくなるので、ロッカーの荷物を整理して・・・。なんか切ない気持ちになります。
先輩達と写真を撮って。また泣いてしまいましたぁ
私が教えていた後輩が、何かしたいって言って、後輩や先輩、同期と千羽鶴を折ってくれました
自分のために・・・。ありがとう。頑張ります
私の誕生日が3月なので、3月に渡そうと思っていたけど。
って後輩と先輩からお風呂セットをもらいました
なんか淋しいデス。またここに戻ってこれるのカナ!?またみんなと一緒に働けるのカナ!?

私はこんな状況に置かれても、笑ってるみたい。
ヘルパーさんに「無理して笑わなくていいんだよ。」
って言葉をかけられた。
「自分でも不思議なんだけど、以外と平気なんです。笑っていられるみたい
って。でも無理してるのかな??弱い自分をみんなに見せたくないのカナ??
強がって、笑ってることで自分を保っているのかもしれないなぁ~


明日は地元の病院で大腸カメラです


心エコー&心電図

2007-01-06 23:16:40 | 症状自覚から入院まで

今日は9時から心電図&心エコー。
この検査は痛くも痒くもないので、ただ寝ているだけo(^-^)o
デモ、心エコーの時Drが「うわぁ!!すげー」って言ってた。何か聞けなかった私・・・。
縦隔腫瘍が大きくてビックリしたのカナ??なんて自分で判断しちゃいました
これで残す検査は、あと大腸カメラ・・・。
これは自分がこの歳でやるとは思いませんでした・・・。
12日です。下剤を2リットル飲むなんてぇ


検査<胃カメラ・肺機能>

2007-01-05 16:59:12 | 症状自覚から入院まで
今日も病院です。9:30~胃カメラ 14:00~肺機能検査です。
検査はほとんど初めてのことばかりデス・・・。見学したことはあるんですが・・・。

胃カメラは苦しそうなイメージがありましたが、大丈夫でした
ゼリー状の麻酔を口にふくんで、喉の奥で5分程飲み込まずに我慢デス
そのうち口がピリピリしてきて、痺れてきました。
「5分したら出してもいし、飲み込めたら飲んでもいいですよ~!!」って。飲んじゃいました
「今日はどうやって来てる??」って聞かれたんですが、口が痺れていてしゃべれません
ジェスチャーで車できたことを伝えました

看護師さんが「若い子は、苦しがる子多いから薬使ってやろうか??初めてだしね!!」って。
ベットに横になって、静脈注射で鎮静剤の効果があるオピスタンとロヒプノールを使用しました。
おかげで苦痛ゼロ
マウスピースをくわえて、Drが来て「お願いします」って言ったのは覚えていたんですが、Drの顔は覚えていません・・・声をかけられた時はもう検査終わってました。
「あれ??もう検査終わったんですか??」って聞いてしまいました。
ぐっすり眠っていたようで・・・
オェ~ってなったのか、ヨダレ垂れてたのかもわかりません
苦痛なくてよかったぁ
別の部屋で1時間程カナ??休んで、車を運転して帰りました。事故しなくてよかったぁ

いったん帰って、午後からはまた肺機能検査に病院デス。
肺機能検査は、鼻をつままれていてちょと苦しかったケド、楽勝デス

検査が終わってそのまま友達に会ってきました

胃カメラについて・・・。わかりやすかったデス。
http://www.ichou.jp/icamera/raku01.htm

いよいよ検査開始!! <マルク>

2007-01-04 16:15:20 | 症状自覚から入院まで

今日、地元の病院を受診しました。
ここの病院は、母が働いていることもあって、昔はお世話になりました。
またお世話になるとは・・・。

まだ自分が生検や検査を受けたS病院からは資料が届いていないんですが、
これから検査は必要になっていくから、先に検査を進めましょう。ってことになりました。

必要な検査は胃カメラ・大腸カメラ・骨髄穿刺(マルク)・心エコー・心電図・肺機能検査です。
こうやって並べてみるとけっこうありますね

1/5   →胃カメラ・肺機能検査
1/9   →心エコー・心電図
1/12 →大腸カメラ   

で予定が組まれ、「マルクはどうしようか・・・??今日やっちゃいましょう!!」
っていきなり今日ですかってビックリ
患者さんがやってるのを、見たことがあったので正直怖い
同じ病気の方のHP見ても、みんな痛いって書いてあったし

デモ、いつかはやらないといけない必要な検査なのでしょうがないデス。
覚悟を決めて

ベットに案内されたんですが、ズボン、下着を下ろして待っててくださいって言われて、お尻半分出した状態デス・・・
看護師さんもDrもなかなか来てくれず・・・。掛け物もしてくれず、私は半ケツ状態
ちょっと気にかけてほしかった・・・。
11月にハワイに行ってきたので、季節はずれの日焼けで恥ずかしいし
局所麻酔もけっこう痛かったDrがおもいっきりグイグイ刺しこんでいるのが感覚で伝わってきます
そこから吸われる時の感覚今まで味わったことのない痛みでした
ひっぱられて、痛みもあって、腰が浮いてしまう感じ・・・
でもなんとか1回で終わってよかったホットしました

治療に関しては、初回の抗癌剤治療から入院の必要はないという話しでした。
デモ、化学療法やったことでどんな副作用が出るかわからないし・・・。
初回だけでも入院させてもらいたいナァ。って思ってます。
両親は仕事だし、私がもしゲーゲー吐いていたら、おばあちゃんも一緒にいてどうしたらいいかわからないと思う。辛いトコロをおばあちゃんに見せたくないし
今度、外来受診の時に主治医に相談してみようと思います。


2006年が終わります・・・。

2006-12-31 13:59:35 | 症状自覚から入院まで

28日に告知を受けてから、あっと言う間に2006年も終わってしまいました。
2006年、11月まではいつもと変わらず仕事に行ったり、ご飯食べに行ったり
飲みに行ったり
それなりに充実した生活を送っていたと思います
それが12月に入ってから、なんだか人生が変わりました
今までは、看護師として患者さんと関わっていたのが、これからは23歳にしてガン患者デス
考えてもいなかった・・・。
体力にも自信あったし、頭わるいから、小学校・中学校でも、名前があがるのは運動会や体育祭
小・中応援団員やったり、リレーに出たり、持久走大会はりきったり自分が病気になるなんて
思ってもみなかった。この若さで・・・。

28日に告知を受けた後、気持ちは不安定になってると思う。
25日に生検をして、術中の迅速診断でホジキンリンパ腫の可能性が高いって言われてから、
自分で学生時代の教科書ひっぱりだしてみたり、インターネット使って調べてみたり・・・。
誰かと会ってる時はいいんだけど、一人になると涙がでてきてしまう


いきなりガンですって言われても・・・。
痛みも胸の違和感くらいで・・・。ほとんど症状がないので実感がわきません。
デモ、今の現実から逃げることはできないし・・・。少しずつ受け入れるしかないんですよね

30日にもう実家に帰るので、29日、30日は病棟のセンパイや同期とご飯に
あと、また戻ってこれるかわからないのもあって、センパイが病棟で白衣で写真撮ろう
って言ってくれて
白衣で写真撮ってきました
私が就職して、1年目から悩みながら少しでも成長させてもらった職場
患者さんからたくさんのことを教えてもらった職場良い思い出デス
また戻ってこれるカナ

31日は、もう実家にいました。
同期から突然電話があって、伊豆に来たよって
昨日一緒にご飯を食べていた同期デス。
「伊豆に会いに行くね」って言ってくれてたんですけど、もう来てくれるなんて
ビックリしました
でも、わざわざ伊豆まで来てくれるなんて、ありがたい話しです


告知・・・。

2006-12-28 00:14:10 | 症状自覚から入院まで

ついにこの日がきてしまいました・・・
朝からなんだか落ち着きません
耳鼻咽喉科外来で、OPEしたトコロの創部を見てもらって・・・。
「傷口は、後は自分で処置しといて!!外科ナースならできるよね。」って。
処置する物品一式もらいました。
処置が終わった後、母親も呼ばれて先生から話しを聞きました。

病理結果は・・・。
「ホジキン病、結節硬化型を考えます。
組織像とあわせて考えると、ホジキン病として大きな矛盾はないと考えます。
念の為、染色を加え確認します」
と書かれた病理結果の紙をもとに説明がありました。
PETの結果も、パソコンで見させてもらいましたが、縦隔と鎖骨のトコロが光ってました
ガン細胞がFDG(PET-CTの時に使った薬剤)を取り込んで、画像上光ってました

先生からの紙面には・・・
「横隔膜上で、右鎖骨上窩、両側鎖骨下、上縦隔、前縦隔、右傍胸骨領域、心臓周囲に
FDG-PETの集積のある腫大リンパ節を認めます。
横隔膜より尾側では明らかな異常集積はありません。」
と書かれていました。

これを聞いている時は、自分が告知されているのに、一歩離れたトコロから告知されている自分を
見ている感覚でした。
今まで、看護師として働いている時、患者さんや家族が医師から厳しい現状を告げられている場面に同席させてもらったことはありました。
(今、自分が告知されてるんだぁ。告知される時ってこんな感じなんだなぁ・・・。)
って思いながら話は聞いているんだけど、頭の中グチャグチャになってたような・・・。
また泣いてました・・・
母親も泣いてました・・・母親が泣いてる姿って、初めて見たかもしれません。

Drとはどんな感じで話しが終わったかはよく覚えていません・・・
「今日、このまま血液内科を受診して下さい」って言われたのは覚えています。

Drが病棟の課長に連絡してくれて、課長が外来まで来てくれました。
部屋を変えて、課長と母親と3人で話しをしました。
デモ、頭の中真っ白だったのか、話した内容をはっきり覚えていません
病理の結果を課長にも伝えて、治療は実家に帰って受けるかもしれないとうことなどを伝えたような・・・。

その後、外来のNsさんと話しをしました。告知のとき立ち会ってくれたNsさんデス。
たまたま私が就職した時、病棟にいて、短い間でしたが一緒に働いた先輩でした。
「ナナがここで働いてきた3年間は無駄じゃない。
ナナが頑張ってきたのは病棟のみんなはわかっているよ。
これからナナが経験していくことは、辛いこともたくさんあると思う。
デモ頑張って乗り越えて、大きくなって戻っておいで。
患者さんの気持ちがわかるNsになって戻っておいで。
辛いときは泣きな。我慢しなくていいんだよ。」
って声をかけてくれました。
また泣いてます。私・・・

その後、血液内科受診。
正直、血液内科は一生私には無縁なトコロだと思ってました。
耳鼻咽喉科で告知を受け、泣いたので、血液内科では泣かずに先生と向き合えました。
「耳鼻科で聞いたと思うんだけど、検査の結果ホジキン病で間違いないだろうっていうことです。
血液のガンです。
病期についてはこれから検査をしていき、診断をつけますが、おそらくⅡ期だと思います。
治療はABVD療法と言って、抗癌剤を併用していく治療になりますが、
4クールと放射線治療になっていくと思います。
治療期間は半年はかかるので、その期間は仕事を休んでもらうことになります」って。
この時は説明に対して、受け答えもできていました。落ち着いて聞けました。
治療は実家に帰って受けることを考えていると伝えて、今回は終わりデス。
年明け、染色を加えた結果??がでるようで、年明け受診デス。

病院も年末年始で休みに入ってしまうので、
次回は11/11に耳鼻咽喉科と血液内科両方受診です。

血液内科の受診も終わった後、自分が働いている病棟に行ってきました。
センパイがウルウルしてます。
「今日ナナの結果がわかるって知ってたから、ズット気になってて・・・。」って。
私のことなのに、そんなに心配してくれるなんて
ありがとうございます
仕事のことで、自分が担当していたことがあったので、センパイに引き継いでもらって、
ロッカーの中のものも片付けてきました・・・。
これから、休職という形で仕事を休みます。
しばらくは戻ってこれないので、整理して、紙袋にまとめて持ってきました
私、戻ってこれるのカナ・・・


夜は短大からの友達、今は同じ病院で働いている友達とご飯へ
実家に戻ってしまったら、なかなか行けなくなってしまうので
短大の仲間は私も入れて8人デス。私の大切な友達デス。
短大の友達には、今私に起こっていることを伝えました。
みんなビックリしてて、誰も冗談だってとらえた人はいなかった。
一人くらい「なに冗談言ってるのぉ!!」ってつこんでくるかと思ってたんだケド、
そんなことなかった・・・
そりゃぁビックリしますよね!!いきなり私ガンになっちゃった!!って。
告知をされた日で、病院ではあんなに泣いていたのに、この時は笑ってました

気持に整理つけていかなきゃ!!!
明日は本当は病棟のセンパイ達と日帰りで旅行に行く予定だったのに
こんな結果を受けて、私が一緒に行ったら、先輩達にも気を使わせてしまうので、
旅行は行くのやめて、夜のご飯だけ仲間に入れてもらうことにしました

2006年12月は、私にとって一生忘れられない年になると思います・・・。



今日はPETです。

2006-12-27 22:08:35 | 症状自覚から入院まで

PET-CTをガン早期発見の目的で受けるのとは違い、私の場合、PETに写ってしまったら、癌確定に結びついてしまうので、気持ちは低下してしまいます

☆PET-CT
とは・・・
・ガン細胞は、増殖するためのエネルギー源として正常細胞に比べより多くのブドウ糖を摂取します。
 その量は、正常細胞の3~8倍と言われています。
  PET検査はこの特徴を利用した検査方法です。
 FDGを体内に注射し、FDGから放射される陽電子の量を測定し画像化します。
  ガン細胞が存在すれば、その部位からはより多くの陽電子が放射されるため、
  画像より、ガンの有無や位置が分かります。
 

PET緊張でした。
FDGっていう薬剤を体の中に注射されているんで、ごく少量ですが、私は被爆している状態なんです。すだから、医療者の方とも接触しないように、隔離状態デス。
PHSを渡されて、そこに電話がかかってくるんデス!!
その指示に従って動いて、検査が進んでいくんデス。

☆PETの流れ
①受付(検査前4時間は絶食デス。食事えおすると、糖代謝が盛んになり正確な判断ができないんデス)
②問診(検査に必要な問診を看護師が行ってくれます)
③更衣
④注射(薬剤FDGを注射します)
※ここからはPHSで指示がきて動いていきました
⑤1時間安静(検査薬剤が全身にめぐるよう約1時間程度安静にしています。
                   手足を激しく動かしたり、テレビや本を見たりしていると、目を使うので、
                   そこにブドウ糖が集まってしまうので、ただ目をつぶって寝ているだけです。
                   個室でした。
         それと、1本ミネラルウォーターを渡されました。
                   「撮影までの1時間に飲みきって下さい。」って。
         撮影の前に余分な薬剤(FDG)を腎臓から排泄するために、
                   トイレに行って下さいって電話もかかってきました。
⑥撮影(15分~20分の撮影で終わるんですが、ただ寝ているだけってキツイです。
     動かないで下さいって言われると、足や腕がかゆい感じがしてきたり・・・。
     20分長く感じました。)
⑦休息(体内に残った薬剤を減退させるため、約30分間休息室にて休みます。
     ここでは、仕切りがあって、
リクライニングが4つ程あった気が。)
⑧終了(着換えをして終わりデス。2時間くらいで終わったと思います。)
✿ฺこれは私が検査を受けた病院の流れになるので、他の病院とは異なるかもしれません。

自分の働いている病院で検査、手術を受けているため、PETが終わった後、
先日手術で摘出した腫瘍の病理結果が出ていないか、パソコンで確認したんですが、
まだ結果はでていませんでした

明日は病理結果を医師から伝えられるので、母親が夕方浜松まで来ました
母親と話しをしていて、
今後病院はどうするのか(浜松で、自分の病院で治療を受けるのか、実家に帰るのかなど)、
結果が悪かったとしても、逃げずに受け止めるんだよ。
と言うような話しをしていたんですが、わけもわからないんですが、涙が出てくるんデス。
症状がわかって、OPEをして、悪性リンパ腫の疑いがあるって言われて・・・。
一人暮らしで、親にも心配をかけたくないのもあって、強がっていたトコロもありました
母親と会って、安心したのか、涙がなかなか止まりませんでした
実家にいるおばあちゃんとお父さんと電話で話しをしてまた泣けてしまいました。

明日は結果が悪かったとしても、受け止めるしかありません。
覚悟を決めて行かないと