えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

明日、浪漫亭で

2020-07-06 07:56:00 | 書き物
- 1話 -
事務所でのスケジュール確認と打ち合わせが終わった。
コートを手にして帰ろうとすると、マネージャーが声を掛けて来た。
「陽介さん、今週もあの店ですか」
「あ、うん。まだ連載書き終わってないしね」
「今日、僕もご一緒していいですか」
どうした、急に。
今まで何回もあのカフェ…事務所の近場の浪漫亭に行くって言っても、そんな事言わなかったよな?


俺は俳優を仕事にしてる。
俳優って言っても、映画で主演したりゴールデンのドラマで主役を張る人ばかりじゃない。
そもそも、そんなに主役の役者ばかりじゃ、他の役はどうするんだ。
そんな、『他の役』がほとんどの俳優の俺。
どんな役かはその時によって違うけど。
エンドクレジットでその他大勢から始まって、今はそれでも少し真ん中辺の字が少し大きくなった所。
20の頃からこの世界に入って8年。
そろそろもう少しランクアップしたい気持ちはある。
まあ、なかなか思うようにいかないけどな。
芝居の仕事以外では、女性向けファッション誌にエッセイを連載してる。
あるドラマに出た時、たまたま短いインタビューを受けた。
その雑誌の記者に、書かないかと誘われたのがきっかけ。
学生の頃から文を書くのは好きだった。
まさかそれが仕事になるとは思わなかったから、正直嬉しかった。
しかも、それが好評で月イチの連載になってるんだ。
中には、エッセイから俳優業のファンになりましたと、手紙が来ることもあった。
そのエッセイを書くのに毎週金曜に事務所に近いカフェ、浪漫亭に行ってる。



マネージャーの高橋くんは、俺と同い年。
でも、仕事中は段取りも良くてしっかり管理してくれる。
仕事の出来るマネージャーだ。
あんまり仕事が終わった後のことまでは口を出して来ないんだけど…
「陽介さんのお目当ての子、僕も見てみたいなと思って」
いつの間にか彼もコートを羽織ってる。
「なんだ、そういうことか。言っとくけど、ただ見てるだけで喋る訳でもないし。そもそも、あっちは俺のことなんか知らないし」
「いいんですよー。ただ、陽介さんの女の子の好みを、マネージャーとして見ておこうかなってだけで」
「…どうしたんだ?」
「仕事ですよ、これも。ま、暇なんですけどね」
苦笑いを浮かべ、ついてくる。



事務所が入ってるビルから出ると、冷たい風に首を縮めた。
12月も20日を過ぎてもうすぐクリスマス。
今夜から寒気が来ると言ってた天気予報、当たったな。
歩いて5分で行けるそのカフェは、古い洋館のような作りだった。
実際、築年数はかなりだ。
二階建てで大きいし、この辺りだけ異質な雰囲気になってる。
どっしりと重いこげ茶のドアを開けば、カウベルが高い音を鳴らす。
1階のテーブル席には目もくれず、俺はまっすぐ2階に上がった。
2階には長いカウンターと、その後ろに個室みたいに仕切られたボックス席が並ぶ。
1番奥のボックス席に座って、まずはPCとメモを広げた。
「このボックス席、いいですねえ。周りから全然見えなくて。執筆も捗るでしょうね」
「まあね。ここを使ってる一番の理由はそれだから」
「だとは思いますけど…。で、例の子はどこなんですか」
「しっ。大きな声は出すなよ。ほら、カウンターの真ん中より向こうにいるのがその彼女」
今いる席からだと、彼女の横顔がよく見える。
顎のラインくらいの長さのゆるくカールした髪。
ストローをくわえてる明るいローズの唇が、ぷっくりしてて可愛い。
「ごめん、待った?」
少し高めの男の声。
スツールに座ったまま、立ってる男を見上げる彼女。
綺麗にメイクした瞳を見開いて笑顔になった。
少し切れ長の二重の目が、笑うと垂れ目になる。
嬉しそうな、幸せそうな顔。
この笑顔を初めて見た時、勝手に煩く鳴り始めた俺の胸。
なんでかなんて分からない。
彼女の笑顔が俺の胸のど真ん中にヒットしたんだ。
…やっぱり、可愛い人だな。
俺にこうして笑いかけてくれたら…
「なんというか…可愛い人ですね。あんな嬉しそうに笑ってくれて。彼氏羨ましいな」
「だろう?彼氏がいるのは分かってるけど、つい見とれちゃうんだよ」
「陽介さんも、あんな子探さなきゃ」
「いいの?今彼女作っても」
「…まあ、大丈夫かと」
「売れてないからな…彼女いたら騒ぐファンとかいないし」
「まあまあ…次のドラマも決まったんだし、頑張りましょうよ」
「そうだな。でも、信じられないよな…石田くんが降板したからって、俺にあの役がまわって来るなんて」
「チャンスはモノにしないとね」



12月も、20日を過ぎた金曜日。
仕事が終わって、従業員出口から外に出た。
今夜から寒気が来るって予報で聞いた。
風が冷たい。
「さ…むっ」
素早くマフラーを巻いて、急いで待ち合わせのカフェまで急ぐ。
金曜日はいつも、馴染みのカフェ、浪漫亭で待ち合わせしてから彼と出掛ける。
私の方が先に終わるから、いつもカウンターで待ってる。
彼と付き合って半年。
仕事が出来て、皆が振り返るような容姿で…その彼が付き合ってと言ってくた。
彼と会うとドキドキしてふわふわして、幸せな気持ちになれる。
今でも少し緊張しちゃうけど。
ただ、今度のクリスマスは…
用事があるから25日に会おうって。
彼女との初めて迎えるクリスマスイブなのに、用事って何?なんだろう…
気になったけど彼には聞けなかった…
ふと、この前カフェで都…同僚の都に会った時のことを思い出した。
あの時、都は私じゃなくて彼をじっと見てた。
なんで。
なんで今頃、こんなこと思い出すんだろう。
彼のことを考えよう。
25日、何を着ようかな。
バッグを持ち替えたら、雑誌を入れた袋がガサガサと音をたてた。
そうだ、彼を待つ間エッセイを読もう。
連ドラも決まったって速報が出たばかり。
ファンとしては楽しみが増えるな。
この人の書く文章も、纏ってる雰囲気も好き。
正直、顔の造りも付き合ってる彼より好きなんだ、私。
正統派のイケメンじゃなくて、最近よく聞く塩顔になるのかな。
優しい目元がいいなっていつも思うの。
でも私はただのファンだもの。
田中さんと付き合いたいとか、そんなんじゃない。
だって、俳優さんとは付き合えるわけがないよね。
実はあのカフェを待ち合わせに使ってるのも、田中さんのいきつけだから。
以前、エッセイで写真を載せてて、職場の近くじゃない!ってテンションがあがっちゃった。
彼には内緒。
言っても気にしないだろうし。


カフェのカウンターに座ったら、エッセイを読んだ。
漱石の『月が綺麗ですね』を、好きな子に言いたいなんて…
面白い人。
今どきそんなこと言いたいなんて…ロマンチスト?
んー…でもこんなこと言われたら、私は嬉しくて感動しちゃうかも。
「ごめん、待った?」
いつもビシッとしてる彼が立ってる。
スツールをまわして彼を見上げたら、すぐに手を取って引っ張られた。
今日もカッコいいな。
女の子が好きなちょっと強引なやり方、分かってる人。
でもきっと、彼は『月が綺麗ですね』なんてことは言わない人。
スツールを降りて、チラッと奥のボックス席を見た。
あそこが、田中さんの好きな席らしい。
誰かいるけど…もしかして?
「美海、行くよ」
「あ、はい」
彼に手を引かれて階段を降りながら、他のことはすっかり頭から追い出した。
これから、彼とデート。
余計なこと…手の届かない俳優さんのことを気にしちゃダメ。







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