(注)いつものヨタ話です。
おとといの金曜日に、国会前抗議に家族で行った。
帰り道、下の子が「つかれた~」と言って、上の子が「おぶってあげる」といって、おんぶで駅まで歩いた。
あれ、この感じ、何かに似てるなあと思っていたが、オットと話していて分かった。
それは「野球観戦(ナイター試合)」なのである。
ということで、これからデモとナイター(野球観戦)の類似点について論じたいと思う。
ちなみに我が家で応援している野球チームは「ドラゴンズ」。
ドラゴンズのキャラクターは「ドアラ」である。
1、ユニフォームやグッズ
野球観戦もデモも、グッズが豊富である。
別に、普段着のままで、なんのグッズを持たずに行ってもよいが、好きな選手のユニフォームを買って着ていくとテンションが上がる。私は野球にはいつも「ドアラユニフォーム」を着用している。こないだのデモは「ヘイワTシャツ」を着ていった。
手作りTシャツも素敵だ。チームカラーやイデオロギーカラー(?)などをうまく使って手作りしている人は、ただ買って着てるだけの人よりもセンスがいい感じがする。
服以外のグッズといえば、「鳴りもの」と「プラカード」である。
わたしの場合、鳴りものは、野球ならプラスチックのバットやメガホン。デモならタンバリンである。
私はダンゼン「鳴りもの派」なので、プラカードのことはあまり知らないが、最近のデモのプラカードは「コンビニでコピー」という方法が主流らしい。ツイッターで「トイレ情報」に混ざって「プラカード用のコピーができるコンビニ情報」なんかが出回っていたり。
これらも「ありもの」よりも手作りグッズのほうが注目をあつめるのは服と同じである。
2、「応援団」と「コール」
野球といえば応援団である。ラッパなどの楽団がいて集団を率いる。
普通の観客も基本の「わー」とか「うおー」とか以外に、チーム応援歌、選手応援歌、特定の選手が出て来たときの「お決まりの応援の仕方」というのもある。はじめはワケが分からずオロオロするのだが、だんだん見よう見まねで覚えてくる。よく知っている人が近くにいるとその人の真似をするのが一番てっとり早い。
デモも、演説の際に「ウオー」とか「そうだそうだ!」とか言うこともあるが、やはり楽しいのは「コール」である。
私が働いていたときに参加したメーデーのデモ(北海道)だと、「シュプレヒコール!!給料あげろー!!」「給料あげろー!!」みたいな泥臭いコールで、これなんとかなんねえのかよ、と思っていたが、最近のコールはもっとリズミカル。もちろん楽団つき。
はじめ何を言ってるか分からない(カイシャクカイケンゼッタイハンタイ!とか)が、だんだん分かって来る。
デモで楽しいのは「楽団近く」のポジション!
持って行ったタンバリンならして、ノリノリでコールをすれば、子供に「かあちゃんが舞台に勝手にあがって踊りだしたらどうしよう。。」というヒヤヒヤ感を与えることだって出来て一石二鳥ってもんである。
応援団もコールも、「うまい/うまくない」「おっさんぽい/若者っぽい」がある。
野球の話でいえば、我が中日ドラゴンズの応援は、正直言って「おっさんぽい」。
神宮球場に行くと、対岸の、オシャレでポップで健康的な応援をしているヤクルトスワローズが、ちょっと、けっこう、うらやましい。
コールもダンゼン若者っぽいほうが面白い。
これからたぶんもっともっとデモのコールは若者っぽくなっていくと思う。ラッパーとかが参入したら、たぶんすごい面白いことになる。というか、もういるかも?
3、クロウトとシロウト
野球もデモも、クロウトとシロウトがいる。
デモでクロウトっぽいのは、学生運動をやってた感のあるおっさんやお姉さん。時々やりすぎて周囲の若者にドン引かれたりするのが特徴である。だけどやっぱりこういう人がいると、なんか盛り上がったりする。ふるまいも知っているし声も大きい。不思議なのは「クロウトっぽい女性」は「おばさん」てよりは「お姉さん」な雰囲気があることだ。若くなくてもお姉さん。わたしの姉はこのカテゴリーにばっちり所属するお姉さんで、一緒に原発デモに参加したときに「警官突破の仕方」を教わった。頼りになり、決して敵にまわしたくない人である。この攻撃性が「おばさんにならない」秘訣なのかもしれない。
野球でクロウトっぽいのはやっぱりおっさんである。ビール片手に一人で来てる。的確なヤジをとばして客席を楽しませたり、反対にエラそうなことを言って周りに引かれたりするのは、個々の資質にかかっている。
その反対側に、うちんとこみたいなファミリー層、中学生高校生くらいの若者達のシロウト軍がいる。一見して「慣れてない」感じ。ユニフォームもパリッとしてるし、コールもツッかえがち。デモでは「警官の誘導の指示に従ってたら、2時間かかっても国会前にたどりつけなかった」みたいなことになったりするが、原発以降のデモにこの層が増えていることが「変わったなあ」と言われることなのだと思うし、野球もこの層をいかに取り込むかが死活問題であろう。わりとサッカーに取られがちだしね。
金曜日のデモもこの層がすごく多かった。ちいさい子供連れ。みんなでひとつの鳴りものを持って来て恥ずかしそうに叩いたり、来てみたものの学校のうわさ話を続ける高校生っぽい男の子グループとか。なにしていいかわからないけど、来たんだよって。
で、その中間に、大学生とか、普通っぽいけど場慣れしているおじさんおばさんやカップル。この層も多い。原発デモ以降、デモにはよく来ますよっていうひとたちだろうか。または「気配を消している元革命家」かもしれないとか思って観察すると面白い。
野球にいなくてデモにいるのは、「特別枠」とも言える「じいさんばあさん」。デモでのじいさんばあさんは大抵静かで、炉端の石垣に腰掛けていたりするのだが、これが、なんていうか、なんともいえない存在感をかもしだす。襟を正したくなるような、涙が出そうな。
4、警察
野球でもデモでも、交通誘導をする警察官がいる。
今回デモに参加して思ったのは、「警察官のあり方」がずいぶん変わった、ということだ。いい意味で「デモ慣れしてきた」という感じ。いい意味で「野球の後の交通整理のお巡りさんに近づいた」という感じ。
4年前の姉と一緒に行った原発デモの時には、警察官は明らかに「国家権力=敵サイド」というポジションだった。威嚇的でえばっていて、「そっちいくな!こっちで並べ!」みたいな。
そのときも子供連れ(上だけ)だったが、うちの子供の腕をガッとつかんで、姉にむかって(姉のことを親だと思って)「こんなところに子供連れて来て、どんな親だ!!」みたいなことを(よせばいいのに)言った警官がいた。姉はただちに「抗議行動は市民の権利!その市民の安全を守るのが警察の仕事でしょうが!!」と反撃して、その警官はビックリして絶句してしまったらしい。子供はいまだにそのことをはっきりと覚えていて姉のことを「かっこいい、、、」と言うし、その場で後方にいた私は、その警官が姉のことを親だと勘違いしてくれてヨカッタナーと思うのである。私だったらぜったいにその場で反撃できなくて、後で「キー!!」てなったからね。
なので、今回も結構覚悟して行ったし、もちろん道路は封鎖されたりしていたのだが、口当たりはものすごくソフトで、「抗議行動に参加されるのですか?でしたらあちらに、、、」みたいな感じだったし、腕をつかんだり、威嚇したりすることは全くなかった。
たぶん、何度も「何万人規模のシロウトが多いデモ」を経験して、昔の「クロウトばかりのデモ」とはちょっと違うということが浸透してきたのだと思う。だって、もうほんと、参加者みんな行儀いいからねー。
それでも、急に「警官バリケード」みたいなものが登場して「帰れコール」がわきおこったり、クロウトっぽいおじさんと警官とで小競り合いがおこったりして、ちょっと面白く愉快な気持ちになった。
戦争反対!とか言いながら、わたしは、小競り合いを楽しんだ。
警察官が「市民の安全を守るお巡りさん=善意の第三者」ポジションではなく、「国家権力の手先=敵」であったほうが「わかりやすくていい」みたいな安易な気持ちになった。
これは一体なんなんだろう?
こういう安易な発想こそが、安保関連法案に土台になっているのではないのか?
こういう風に、「いまいちスパーンと楽しめないモヤモヤ」とかが残るのは、デモとナイターでは激しく違うということを述べて、この話を終わりにする。
おとといの金曜日に、国会前抗議に家族で行った。
帰り道、下の子が「つかれた~」と言って、上の子が「おぶってあげる」といって、おんぶで駅まで歩いた。
あれ、この感じ、何かに似てるなあと思っていたが、オットと話していて分かった。
それは「野球観戦(ナイター試合)」なのである。
ということで、これからデモとナイター(野球観戦)の類似点について論じたいと思う。
ちなみに我が家で応援している野球チームは「ドラゴンズ」。
ドラゴンズのキャラクターは「ドアラ」である。
1、ユニフォームやグッズ
野球観戦もデモも、グッズが豊富である。
別に、普段着のままで、なんのグッズを持たずに行ってもよいが、好きな選手のユニフォームを買って着ていくとテンションが上がる。私は野球にはいつも「ドアラユニフォーム」を着用している。こないだのデモは「ヘイワTシャツ」を着ていった。
手作りTシャツも素敵だ。チームカラーやイデオロギーカラー(?)などをうまく使って手作りしている人は、ただ買って着てるだけの人よりもセンスがいい感じがする。
服以外のグッズといえば、「鳴りもの」と「プラカード」である。
わたしの場合、鳴りものは、野球ならプラスチックのバットやメガホン。デモならタンバリンである。
私はダンゼン「鳴りもの派」なので、プラカードのことはあまり知らないが、最近のデモのプラカードは「コンビニでコピー」という方法が主流らしい。ツイッターで「トイレ情報」に混ざって「プラカード用のコピーができるコンビニ情報」なんかが出回っていたり。
これらも「ありもの」よりも手作りグッズのほうが注目をあつめるのは服と同じである。
2、「応援団」と「コール」
野球といえば応援団である。ラッパなどの楽団がいて集団を率いる。
普通の観客も基本の「わー」とか「うおー」とか以外に、チーム応援歌、選手応援歌、特定の選手が出て来たときの「お決まりの応援の仕方」というのもある。はじめはワケが分からずオロオロするのだが、だんだん見よう見まねで覚えてくる。よく知っている人が近くにいるとその人の真似をするのが一番てっとり早い。
デモも、演説の際に「ウオー」とか「そうだそうだ!」とか言うこともあるが、やはり楽しいのは「コール」である。
私が働いていたときに参加したメーデーのデモ(北海道)だと、「シュプレヒコール!!給料あげろー!!」「給料あげろー!!」みたいな泥臭いコールで、これなんとかなんねえのかよ、と思っていたが、最近のコールはもっとリズミカル。もちろん楽団つき。
はじめ何を言ってるか分からない(カイシャクカイケンゼッタイハンタイ!とか)が、だんだん分かって来る。
デモで楽しいのは「楽団近く」のポジション!
持って行ったタンバリンならして、ノリノリでコールをすれば、子供に「かあちゃんが舞台に勝手にあがって踊りだしたらどうしよう。。」というヒヤヒヤ感を与えることだって出来て一石二鳥ってもんである。
応援団もコールも、「うまい/うまくない」「おっさんぽい/若者っぽい」がある。
野球の話でいえば、我が中日ドラゴンズの応援は、正直言って「おっさんぽい」。
神宮球場に行くと、対岸の、オシャレでポップで健康的な応援をしているヤクルトスワローズが、ちょっと、けっこう、うらやましい。
コールもダンゼン若者っぽいほうが面白い。
これからたぶんもっともっとデモのコールは若者っぽくなっていくと思う。ラッパーとかが参入したら、たぶんすごい面白いことになる。というか、もういるかも?
3、クロウトとシロウト
野球もデモも、クロウトとシロウトがいる。
デモでクロウトっぽいのは、学生運動をやってた感のあるおっさんやお姉さん。時々やりすぎて周囲の若者にドン引かれたりするのが特徴である。だけどやっぱりこういう人がいると、なんか盛り上がったりする。ふるまいも知っているし声も大きい。不思議なのは「クロウトっぽい女性」は「おばさん」てよりは「お姉さん」な雰囲気があることだ。若くなくてもお姉さん。わたしの姉はこのカテゴリーにばっちり所属するお姉さんで、一緒に原発デモに参加したときに「警官突破の仕方」を教わった。頼りになり、決して敵にまわしたくない人である。この攻撃性が「おばさんにならない」秘訣なのかもしれない。
野球でクロウトっぽいのはやっぱりおっさんである。ビール片手に一人で来てる。的確なヤジをとばして客席を楽しませたり、反対にエラそうなことを言って周りに引かれたりするのは、個々の資質にかかっている。
その反対側に、うちんとこみたいなファミリー層、中学生高校生くらいの若者達のシロウト軍がいる。一見して「慣れてない」感じ。ユニフォームもパリッとしてるし、コールもツッかえがち。デモでは「警官の誘導の指示に従ってたら、2時間かかっても国会前にたどりつけなかった」みたいなことになったりするが、原発以降のデモにこの層が増えていることが「変わったなあ」と言われることなのだと思うし、野球もこの層をいかに取り込むかが死活問題であろう。わりとサッカーに取られがちだしね。
金曜日のデモもこの層がすごく多かった。ちいさい子供連れ。みんなでひとつの鳴りものを持って来て恥ずかしそうに叩いたり、来てみたものの学校のうわさ話を続ける高校生っぽい男の子グループとか。なにしていいかわからないけど、来たんだよって。
で、その中間に、大学生とか、普通っぽいけど場慣れしているおじさんおばさんやカップル。この層も多い。原発デモ以降、デモにはよく来ますよっていうひとたちだろうか。または「気配を消している元革命家」かもしれないとか思って観察すると面白い。
野球にいなくてデモにいるのは、「特別枠」とも言える「じいさんばあさん」。デモでのじいさんばあさんは大抵静かで、炉端の石垣に腰掛けていたりするのだが、これが、なんていうか、なんともいえない存在感をかもしだす。襟を正したくなるような、涙が出そうな。
4、警察
野球でもデモでも、交通誘導をする警察官がいる。
今回デモに参加して思ったのは、「警察官のあり方」がずいぶん変わった、ということだ。いい意味で「デモ慣れしてきた」という感じ。いい意味で「野球の後の交通整理のお巡りさんに近づいた」という感じ。
4年前の姉と一緒に行った原発デモの時には、警察官は明らかに「国家権力=敵サイド」というポジションだった。威嚇的でえばっていて、「そっちいくな!こっちで並べ!」みたいな。
そのときも子供連れ(上だけ)だったが、うちの子供の腕をガッとつかんで、姉にむかって(姉のことを親だと思って)「こんなところに子供連れて来て、どんな親だ!!」みたいなことを(よせばいいのに)言った警官がいた。姉はただちに「抗議行動は市民の権利!その市民の安全を守るのが警察の仕事でしょうが!!」と反撃して、その警官はビックリして絶句してしまったらしい。子供はいまだにそのことをはっきりと覚えていて姉のことを「かっこいい、、、」と言うし、その場で後方にいた私は、その警官が姉のことを親だと勘違いしてくれてヨカッタナーと思うのである。私だったらぜったいにその場で反撃できなくて、後で「キー!!」てなったからね。
なので、今回も結構覚悟して行ったし、もちろん道路は封鎖されたりしていたのだが、口当たりはものすごくソフトで、「抗議行動に参加されるのですか?でしたらあちらに、、、」みたいな感じだったし、腕をつかんだり、威嚇したりすることは全くなかった。
たぶん、何度も「何万人規模のシロウトが多いデモ」を経験して、昔の「クロウトばかりのデモ」とはちょっと違うということが浸透してきたのだと思う。だって、もうほんと、参加者みんな行儀いいからねー。
それでも、急に「警官バリケード」みたいなものが登場して「帰れコール」がわきおこったり、クロウトっぽいおじさんと警官とで小競り合いがおこったりして、ちょっと面白く愉快な気持ちになった。
戦争反対!とか言いながら、わたしは、小競り合いを楽しんだ。
警察官が「市民の安全を守るお巡りさん=善意の第三者」ポジションではなく、「国家権力の手先=敵」であったほうが「わかりやすくていい」みたいな安易な気持ちになった。
これは一体なんなんだろう?
こういう安易な発想こそが、安保関連法案に土台になっているのではないのか?
こういう風に、「いまいちスパーンと楽しめないモヤモヤ」とかが残るのは、デモとナイターでは激しく違うということを述べて、この話を終わりにする。
この話、最近あらゆる人にしてるんだけど、すると相手は「えこのお姉さんに会ってみたい」と言います。
瞬発力が発揮されてない通常モードの姉を見たら「あれ?」って思うねきっと。