えんどうえこばなし

フラメンコ。レッスン動画とえこばなし。

最近おもってること

2019-05-18 09:08:45 | スタジオ設備・機材レンタル
高い山に登ろうと思ったら
一番ベストな条件は「自分をフォローしてくれるくらいの実力者に囲まれる」ことである。
自分が「助けてもらっている」と感じている時が一番パフォーマンスは上がる。
ただし、あまりにも実力がかけ離れているとついていけなかったり、卑屈になってしまったりするから、そのさじ加減が大切である。
自分も多少は役にたっているかも?お互いに助け合って、高め合って入れるかも?くらいが良い。
たまには自分が実力不足で、えーん、て泣きながらついていくのも、なかなか良い。

自分が「全部助ける側」に回る場合には、高い山(自分にとっての)には登れない。
自分が「どれだけ助けれるか」「どれだけフォローできるか」の実力によって高さは違うが、間違いなく、自分のベストな条件で登れる山の高さよりは低くなるはずである。

でも、そのグループなりの高みは必ず目指すべきで、
人間というものは高い山に登れるほうがいいのだ。
少なくともその努力をすべきなのだ。
少なくともその努力のフリくらいはすべきなのだ
と思っていた。
他人に対しても、もちろん自分に対してもである。


そうでもないかなあ


というのが最近思っていることである。

みんなが高い山に登らなくてはいけないなんて、誰が決めたんだろうなあ。
きっと「誰かから言われたこと」だったり、いつかどこかの地点での私が、なんかの事情で、心に決めたんだろうなあ。
覚えていないけれど、多分そうなのだろう。

登りたければ登ればいい
それでいいんだけどなあ。

高みに登る人はカッコイイし、素敵だけれど、
でもそれを「すべき」と思わなくてもいいのだよなあ。

「すべき」が外れてしまえば、別に山の下で暮らしている状況に負い目を感じたり、言い訳をしたり、努力しているフリをしなくなるのだろうけど、なんかやっぱりまだ言い訳したくなったり、高い山を登ってますアピールみたいなのをしたくなるのは、まだまだ「すべき」が強いのだろうなあ。

そういうことを最近考えている。
「下手くそフラメンコ同盟」は、「山の下の生活、いいじゃん」の具現化クラスなので超絶楽しいって話です。
今日も楽しみましょう。

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