えんどうえこばなし

フラメンコ。レッスン動画とえこばなし。

続いていくから

2008-04-05 23:36:51 | えこばなし
歌い手の加藤直次郎さんが亡くなった。
最近は「加藤直敬」さんとして出演されていたが
わたしにとっては「加藤直次郎」さんで
楽屋でイルカの写真を祭壇にしたりとか、
スタジオの外で水鉄砲で遊んでたりとか、
金星を見ながらUFOのことを話したりとか、
そういう「ちょっと変わったお兄さん」さんだった。

直次郎さんのことを思い出す時に
あまり直接的なフラメンコの事柄は思い出さない。
最後に仕事でご一緒したのももう7年も前だし、
踊り伴奏してもらったのはもう10年以上前だ。
亡くなったと聞いて思い出した歌声は
「直次郎さんの物真似をするMさんの歌声」だった。
だけど、直次郎さんのことで思い出すことは
いまのわたしとしっかり繋がっていると感じる。

札幌のスタジオで、
スタジオの扉を開けると
当時の先生ともうひとりの先生と直次郎さんが
セビジャナス大会を開いていて
「ちょうどいい空気になってきたところだよ~
早く戸閉めて閉めて!」
と直次郎さんに言われて
「はじめまして」も無しに
セビジャナス大会に参加したのが
直次郎さんと会ったはじめての時だったと思う。
「空気が大切なんだよ~、踊りはどうでもいいんだよ」
というようなことをいきなり言われて
ぽかんとしたことを覚えている。

「空気」とか「気」とか「宇宙」の話は
当時のわたし(20才公務員札幌在住)には
「へー」であり「はー」であり
「フラメンコの人っていうのは変わってるなー」
であったが、今(36才踊り手東京在住)は普通に
「空気」とか「小人」とか「宇宙」とかの話をしてる。

直次郎さんに出会ってなかったら、
今のわたしはこんな風だったのかな?と思う。

告別式で桜が散るのを見ながら、
「直次郎さんはこれから私になる」と思った。
同じように沢山参列されていた人達も
どこかで直次郎さんを想っている人達も、
これからその人達に、直次郎さんは、なる。
少しずつの直次郎さんが、皆になるんだ。

人が生きて、亡くなって、生まれ変わるというのは
こういうことなのかもしれない。
生きている間に関わった全ての人に
ちょっとずつその人の生は根を降ろして、
亡くなったら、その人達になっていく。
好むと好まざるとにかかわらず
全ての人は最後には関わった人になる。

わたしもきっと死んだら沢山の誰かになる。
その時にわたしの中の直次郎さんもきっとまた誰かになる。
そうやって直次郎さんはずっと続いていく。
直次郎さんの宇宙もイルカのカミサマも
姿を変えて、続いていく。

直次郎さん、ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくおねがいします。

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1 コメント

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えこちゃん (toqui)
2008-04-15 00:19:12
初めてえこちゃんに会ったのが高校生の時でしたね。
一緒にイベントに行きましたね~。
懐かしい。
直さんに初めて会ったのも札幌のスタジオでした。
力のある石の話とか沢山していました。
私は直さんがとても年上だと勝手に思い込んでいて、実は殆ど変わらない歳だと知って、そちらに驚きました。
桜の花散る季節に直さんらしい告別式でした。

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