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小室直樹を読む 「天皇の原理」を読む

2010-02-12 08:18:50 | 日記
第八章 死と復活の原理
承久の乱により天皇「予定説」が吹き飛んだ。
「天皇」は死んだ・・・・までが前章でした。
※ここで誤り訂正 後鳥羽上皇の流された先を佐渡と書いてしまいましたが、隠岐の間違いです。佐渡に流されたのは順徳上皇です。この当時は上皇が後鳥羽、順徳、土御門と三上皇存在という時代でした。

さて小室は再び「承久の乱」を題材に天皇イデオロギーを語ります

天皇「予定説」神格化主義とは、天皇は是非善悪を超えている、天皇のすることだから正しい・・・・ということ。

これはキリスト教的神の神格と同じである。
欧州における近代絶対君主はこのキリスト教的神を原像に持つ。
「神が宇宙において正しいが如く、絶対君主は、彼が主権を持つ国家において正しい」・・・丸山真男「現代政治の思想と行動」

この神格を「天皇」は承久の乱まで保持していた。

承久の乱後善政主義に変化した。
この変化の過程をいま少し詳しく小室は語ります・・・・

中国における儒教イデオロギーは天下を私有財産と考えていない。だからこそ易姓革命。

湯王は軍事力でケツ(傑から糸辺をとる)王を追放した。周の武は殷のチュウ(糸辺に寸)王を焚死させ自分が王になった。
これを湯武放伐という。

斉の宣王が孟子に質問した
「湯武放伐は臣下がその王を殺したのだが、こんなことがあっていいものか」
孟子は答えて
「仁を損なう者を賊といい、義を損なう者を残という。残賊の人はもはや王でなく普通の人です。湯武放伐は普通の人を死刑にしたので、君主を殺したのではない」
・・・・「孟子」梁恵王章句下 八

政治学者丸山真男は解説して言う・・・・
暴君は政治システムの調和を撹乱した。易姓革命はこの暴君を放伐してシステムの秩序を回復することである・・・・・と、   丸山真男の「日本思想大系 山崎闇斎学派」岩波書店 の解説一部を要約。

儒教の考え方は政治万能主義。政治よければ全てよし。今の言葉で言えば国民生活の保障よければ、全てよし。

承久の乱で執権義時はこの「放伐論」の考えであったが、その子泰時は放伐論に馴染めず
天皇神格化の考えが抜けていなかった。

この泰時の考えこそ「日本は天皇の私有財産」である、という考え方に他ならない。
儒教思想からこの考えは出てこない。

ではこの思想と似た考えは何かというと、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、特にキリスト教思想と非常に似ている。

キリスト教的神は、人間をはじめあらゆる被造物は、すべて神の私有財産であるから、これをいかに処分するかは、まったく神の勝手。被造物はこれに対して少しの反抗も許されない。

パウロは断言する・・
「神に口答えするあなたは何者か。造られた者が、造ったものに対して”どうしてあなたは私をこのように造ったのか”と言えよう・・」 ローマ人への手紙 第九章 20

このキリスト教的所有概念を基礎として、近代法の「私所有権」が形成された。

ここで小室は「私所有権」の考えかたを少し詳しく語ります・・
近代法の「私所有権」とはいかなるものか。

「私所有権」は、客体に対する全包括的・絶対的な支配権である・・・・
 川島武宣「日本人の法意識」岩波新書 62頁
とはどういうことか。それは、

客体に対する、あらゆる支配を含む。要するに所有物に対し、どのような行為をもなしうる、ということである。

自分の私有物をどのように処分してもよい。

これは、キリスト教思想である。近代法「私所有権」の思想である。

泰時当時、天皇と日本国との関係においては、この思想と同型の上に立つ。
泰時いわく「国は皆王土にあらずという事なし」

いわく、日本国は天皇の私有財産である。だから天皇がいかに利用処分しようとも。
それが正しい。誰もそのことについて文句は言えない。

といって泰時は父執権義時を諌めた。

当時、明恵上人は天皇イデオロギーを要約して
「天皇が臣下の命を無理に奪うといえども、黙って殺されるのが義しい事である」・・・
 全訳注「明恵上人伝記」 講談社学術文庫

この思想とパウロの神思想のなんと似ている事か。

しかしここに大転換が発生。
父である執権義時の反論である。

いわく、天皇の命令を守らねばならないのは、天皇の政治が正しい時のことである。

これ、湯武放伐論である。儒教イデオロギーである。

義時が湯武放伐論にかたむいた理由は、承久の乱の淵源につながる・・・

では、承久の乱の淵源とは・・・