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小室直樹を読む 「天皇」の原理を読む

2010-01-23 15:44:50 | 日記
第三章 予定説と因果律
内村鑑三のキリスト教理解には根本的間違いがある。と、小室は指摘しました。
では何を間違えているのか・・・・

小室は「宗教改革」者カルヴァンの説が正しい解釈だとします。

では、そのカルヴァンの「予定説」教説解釈の要点は・・・・
「神は公平である」ことを人間側が証明する必要は無い、絶対に無い。それどころではなく
「神は公平である」ことを証明しなければならないと考える事こそ神への冒涜、涜神である。さらに、
公平、不公平といってもそれは人間界の規範に過ぎない。
神は絶対的に高く、人は絶対に低い。
神の前での人間は、人間が蛆虫を見下ろすよりも低い、取るに足らない存在。
そんな人間が自分達の規範で神を律するなんて、蛆虫の規範で人間を律する以上のナンセンス。
神は是非善悪から、完全に自由。
それどころではない、神の欲する事が是であり、善である。

神はまったく自由に、まったく任意に意思決定する。
神の決定が正しく神は絶対である。これです。

内村鑑三は神の公平性など証明しなくてもよかったのです。神が決めた、ゆえに正しい。
これだけでよかった。

小室は内村鑑三をキリスト教信徒としての活動は大変評価していますが、教説理解評価は「不可」のようです。
小室はこの「予定説命題」は日本人に馴染まない命題なので、しっかり理解しておかないと
ユダヤ教も、キリスト教もチンプンカンプンなものになるとまで言っています。


余談ですが
この「絶対」者の前ではみんな蛆虫以下のことから、近代自由社会で「法の前の平等」という考えが出たのでしょうか?
「法」はいと高きもの、その前で裁かれるものは権力、地位、名誉、金まったく関係く皆平等に蛆虫以下。
国家権力の最高指揮者とホームレスの男が裁判で闘っても「法」の前でその地位は平等に
どちらも蛆虫以下。「法」は絶対。

これが近代法の基本「法の前の平等」精神。と思ったのだが、違うかも。そんなに見当外れでもない気もするが、専門家の見解や如何。では本論にかえり・・・・・


この神の絶対とその意思「予定」の絶対を語り終えたので、小室は次の章に向かいます。


第四章 救われる者と救われざる者
小室は「予定説」を説明したなかで、神は絶対である、神の決めたことが正しい。
と述べましたが、
この章では、神の決めたことつまり「法」について語ります。

正、不正、善悪はすべて神が与えた「法」によって決定される。

小室は、その一例として近親相姦というちょっとドキッとするテーマで説明します。

その近親相姦の例とは・・・・・旧約聖書 創世記第19章 ロト一家の話・・・