gooブログはじめました!本棚の本 片っ端からもう一度読むのだ

買ってきては読まずの積読者が一念発起!!!
読書感想文的日記を書くことにしよう。

小室直樹を読む 「天皇」の原理 を読む

2010-01-20 21:47:08 | 日記
第三章 予定説と因果律
予定説概略は前回で終わりましたが、小室はこの「予定説」をたびたび引き合いにだしますのでご注意を。

予定説解説が終わり小室は次に「因果律」について語ります。
「因果律」・・・早い話、物事は原因があって結果がある・・・です

仏教の論理は「因果律」
因果応報の世界です。この因果を悟れば「仏」になり六道の輪廻からワープして悟りの世界で永遠の「仏」生活ができる。

しかし「仏」になってもこの「因果律」は自分勝手に変更なんか出来ない。
キリスト教の神と大違いの論理。

キリストの神は「絶対」者・・・なんでも出来る、何でも決めれる、なんでも変更できる

では「仏」は何が出来るか、「但し書きつき」で何でも出来る。
なんの但し書きか。

宇宙法則「仏法」を悟ったんだから、宇宙法則「仏法」内で何でも出来る。
これが仏教の根本。

仏といえど「仏法」を変更できない。出来ないどころか宇宙法則「仏法」の下に「仏」は従属している。

キリストの神は宇宙法則の上に超越している。なんせ自分が創造した世界なんだから。
神は何をしようと勝手。

小室はここから再びキリスト教の「予定」解説に帰ります・・・

神の「救い」は、人間の善行や寄付の多さで救うものを決めはしない。「免罪符」なんてものはスカくじもいいところ。

神は全て「予定」している。ということは「神の国」行き指定券は全て発行済み。

それならこんな神様信じたってしょうがない・・・こう思う・・・

かの敬虔なるキリスト信者「内村鑑三」もこの「予定説」避けて通れず、彼のキリスト教解説書「キリスト教問答」(講談社学術文庫)でこの教説と格闘。

その格闘結果はどうであったか。内村鑑三は無残なる無理解を露呈しただけ・・・・のようです・・・・

ここから小室は「キリスト教問答」の内容を評価し始めます・・・・