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小室直樹を読む 「天皇の原理」を読む

2010-01-28 21:26:56 | 日記
第六章 日本における「法の不在」

小室はこの章で日本人になじみの深い仏教について語ります

仏教に戒律はつきものであるが日本仏教に限りスッポリ抜け落ちている。

これは最澄による仕業

最澄は比丘の守る戒律は250もいらない。58でよいとした。

受戒(僧になる証明)も本来三人の師と七人の証人がいるのだが最澄は釈迦、文殊、弥勒の三師証とし、人間は一人の伝戒師で十分とした。

さらにその一人の伝戒師もいなければ仏像の前で自分で誓って受戒も出来るとした。

これを「円戒」または大乗戒ともいう。

仏教では戒律が重要な部分を占めるが最澄の仏教はこの戒律を極端に簡素化した。

戒も律も外面的行動の規律を求めるが、最澄の円戒は心の持ちよう内面的なものである。
つまり戒の性質を備えていない。

最澄の開いた天台宗比叡山延暦寺は日本仏教の総本山の地位を占める発展をした。
この総本山に実は戒律はない。

ここから派生した諸派も当然戒律は無い。

法然 浄土教  阿弥陀を一心に唱えればよい 戒律なし
親鸞 浄土真宗 阿弥陀を一心に唱えればよい 戒律なし さらに肉食妻帯もかまわない
日蓮 日蓮宗  法華経の題目を一心に唱えればよい 戒律なし

仏教では戒律を守り修行し悟りを開き「仏」になることが目標。これに失敗すれば迷いの世界(六道輪廻)を堂々巡り。

しかし、日本に広く布教された「日本仏教」は「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と唱えれば仏の国へ救われる。

日本以外の仏教国ではありえない仏教が日本仏教。

また、親鸞のいう「念仏を一心に唱えれば救われる」、はパウロの言う「ただ信仰あるのみ」と大変似ている。

あわてものは、ここで「浄土真宗とキリスト教はおなじですな~」と・・・・

小室はここから「浄土宗」「浄土真宗」と「キリスト教」について比較します。

阿弥陀を念ずれば「救済」される       法然、親鸞
イエス・キリストを信仰すれば「救済される」 パウロ

どちらも信仰あるのみ・・・・・違いはどこに・・・・



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