Hiro Eagle

北米先住民文化伝承者、シンガー、絵本作家、アーティストetc(御依頼はお電話迄)

ボクサー〜ロックギタリストの時代…1990〜95

2021年06月17日 | ご縁

95年は2度死にかけた

1995年1月16日震災前日の朝




空手から始まった10年の格闘技人生の
内の5年ほどボクシングに費やしていた

若かりし遠い記憶の彼方…
随分と昔の話しだ…笑
腕のタトウは消せれば良いが
胸のタトウは完全に消さないと試合に出れない、遠回りをしていたが準備し前を向いていた



期待して下さる方
TVでの練習風景を見てくれて応援して下さる方もいたが
日本のコミッショナーは今より厳しかった
そんな時、致命的な事故にもあってしまった、オーバーワークも重なりボロボロになっていた
暗闇に光を見て走り続け時間が過ぎていた




 

神戸のジムに移籍する為に友人宅にいたが
消していた霊感が働いてしまった

震災の前の日予知夢を見てしまった…

夢にうなされ目が覚めても
街が揺れて耳鳴り頭がガンガンして身体が痺れていた

当日の朝も起きても幻影が重なって見えていた
ビジョンは数時間後の近未来に訪れる
景色と念を私に見せていた

道路が崩れ街がグニャグニャに押し潰される光景が見える
押し潰されそうで苦しい

親友に何とか説明したが
唐突な話しに最初パンチドランカーかなんて冗談まじりに笑っていたが…笑

出来る限りの事を繰り返し真剣に話した
何とか深刻さは伝わった

そしてバイクで急いで東京に戻る事となった

1995年1月17日5時46分52秒 
その時はフェリーの中だった

早朝東京の港に着いた
フェリーからバイクで降りるとすぐ
首都高に乗った電光掲示板に関西で震災が起こったと表示されていた

道路に雪が積もってツルツル滑る、
恐る恐るゆっくりカーブを曲がり何とか無事に下北沢の家に着いた、がしかし着いた家の前で何故か 立ちゴケをしてしまった…笑

阪神大震災のニュースが街中を震撼させていた、後日電話が繋がったマサキの家も崩れたが、何とかテーブルの下に潜った彼は助かってた、よかった安心したが、彼のあの巨体、
もしもあの場にいたら
逃げ場にあぶれた俺の部屋は崩れた屋根の下じきだった

同年3月
格闘技10年の内5年ほど経っていた
ボクシングを辞めて怪我を治療しながらロックギタリストの仕事をした

色々あって…

横道坊主の某メンバーの方と新たなバンドを組ませて頂き参加させて頂く事となった
皆、熱く素晴らしく真っ直ぐな侠気のある方々だった

漫画クローズの作家の高橋ヒロシさんも自身の作品の中でこの新たなバンドを記事に取り上げ応援して頂いていた
短い間だったがお世話になった





20日のリハーサルの日、また予知夢にうなされた、早く目が覚めていつもより早く地下鉄丸の内線に乗ってスタジオに行った、終えて駅に向かうと入り口から煙がもくもくとし、消防車、パトカー、サイレンが、救急車がけたたましく鳴り響き救急ベッドで人が次々とと運ばれ辺りは騒然としていた
いつもの時間で行っていたら、
サリン事件に遭遇していた
その頃若いなりにふと想った
また死にそこなったか、
いやしかし護られている感謝しなければ…

何より事故に遭われた方々を心よりお悔やみ申し上げたい

それからまた神は容赦なく
更に人生は激しくなり…笑
死のふちを何度も行ったり来たりしたが

生かされてる事
尊いご縁に心より感謝

Still A live
Gooday to Die

どの世界もなにをやっても
全身全霊魂
生き続ける事の大切さを学んだ


何10年ぶりだろう
「あの時はこの曲に懸けたものだ」
というバンドリーダーの真っ直ぐな瞳を想いだした。  
1993年のあの素敵な曲が久々に耳に入ってきた




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