*自治会 第八支会50周年記念誌をまとめる機会を得、地域の話を集めたので、当ブログに 地域の話 としてUPします。
六万公園の南端に立っている 碑念記 (右から読む) 全然知らなかったです。
*以下は、読みやすいように 。、を追加
*数字、旧字は新字体に直してあります。 読み間違い等ご容赦
裏側の碑文です。
昭和26年4月1日市制施行した青梅市は、前後に多摩の丘陵を控え、中央市街地を多摩川の清流に遮ぎられてその発展を霞地区の広大な原野に求るにより術なき状態にあったので、隅々、昭和27年初頭より東青梅以東の農地開発計画が研究され、同年12月此の地区の区画整備を断行すべく、当時の組合員303人の内大半の同意を得て、青梅土地区画整備組合の名称を持って事業の準備を始め。翌28年12月東京都の認可を得て工事に着手し、当初の予算は2800萬円、土地所有者303人、その筆数996筆であったが、事業完了の昭和39年9月現在組合員数490人で、この事業要した総経費は2億5千1余萬円。その財源は、東京都及び青梅市の助成金並びに保留地売却代金をもって之に充当したのであって、総坪数17萬1427坪の内、造成された公園緑地は5171坪、新設された道路敷は33172坪である。 此に事業完成を記念して建立したものである。
昭和39年9月青梅土地区画整備組合理事長
組合長名等略
今は、発展し住宅街、商業地ですが、当時は畑、原野と称される場所でした。上下水道も無く(井戸は、深井戸でも水が出るか?って場所)
それこそ、麦、サツマイモ、ジャガイモ、陸稲の栽培
東青梅地域 第1期区画整理 原野を整備したんだから先見の明ありってとこで
すかね
その後、新町地区も整備
新青梅街道も畑や放棄地の中をただただ掘った(舗装前、前、前くらい)後が延
々と続いていたこと、その当たりをかけずり回ったことを思い出しました。
電柱の支線のアンカー 地中に埋めるセメントの枕木みたいなやつ 重い
を3個1輪車で盗んできて(都合3回は運んだことになる)アマチュア無線のア
ンテナポール(12m高)の支線を張るアンカーに使いましたとさ!
時効 まだ裏庭には埋まっている!
その後は、街路灯のポールも。。。。。。。時効