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江戸前ラノベ支店

わたくし江戸まさひろの小説の置き場です。
ここで公開した作品を、後日「小説家になろう」で公開する場合もあります。

ロスト・ウィザード-第9回。

2014年06月25日 13時10分25秒 | ロスト・ウィザード
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 ―熊  鍋―  

「ふ~、なんとか危機を脱したわ。一歩間違えば貞操の危機だったけど……殆ど賭だったわね」
 サリアの言葉通り、色々な意味で危険な状況をくぐり抜け、彼女は洞窟からの脱出に成功した。
 だが、森に入って暫し進んだサリアは立ち止まる。ここが一体何処なのか、それが全く分からない。周囲は樹木が生い茂り、道らしき道も無く、下手に動き回ると遭難して状況を悪化させかねなかった。
 というか、ここが一体何処なのか分からない、と既に前述してある。
「やば……道分かんないし……。これじゃあ、あの盗賊達の隠れ家にも帰れないよ……」
 早速、遭難しているサリアであった。
 サリアはその場所で30分ほど途方に暮れていた。遭難した時は下手に動かずに体力を温存して救助を待つ。これが鉄則である。暗い夜道を歩き回れば、更に森の深部に迷い込みかねないし、最悪、谷や沢に転落して命を落とすことだって有り得る。
 幸い、これが冬ならば一刻を争う事態だが、今は凍死するほど夜の冷え込みが厳しい季節でもないし、その気になれば山菜などの食料も豊富に手に入る。長期に渡って生命を維持することは不可能ではない。
 しかも辺りは既に暗く、サリアが拉致されたことをエルミが領主に報告していれば、あるいは報告していなくても、彼女が事件に巻き込まれたことが発覚してもおかしくない時間帯だ。既に捜索隊が彼女を探して森に入っているかもしれない。
 ここはやはり、この場に留まって救出を待つのがベストであろう。
 が、本格的に深夜になれば、二重遭難を恐れて捜索活動は一時中断されるはずで、今夜中の救出は期待出来ない。
 それにまだ子供であるサリアにとっては、こんな森の中での野宿など怖くて出来るものではない。はっきり言って、夜の森は下手な心霊スポットよりも不気味な雰囲気に支配されているのだ。いや、元々、夜の森は魔物の類が出現することが多く、本当に心霊スポットと化している場合もある。
 ましてや、熊や狼などの危険な動植物も少なからず生息している。木に登るなどすれば、獣の襲撃はある程度は避けられるが、それでは転落の危険が生じて睡眠を取ることが難しくなるし、木に登ることが出来る獣が皆無という訳でもない。
「…………助けを呼ぶしかないかな……?」
 サリアは暫し迷った末に、自身を保護してくれる存在を呼び寄せることにした。この際、それが盗賊団の一味であっても構わない。
 とりあえず行動してから後のことを考えるタイプのサリアであったが、一度思考を始めるとその判断は冷静であり、なかなか賢い少女だ。まあ、その前の行き当たりバッタリな行動のおかげで+-(プラマイ)ゼロではあるが。
「おーい! おーい!」
 サリアは大声で助けを呼んだ。この声を聞きつけるのが、盗賊か、それとも捜索隊になるのかは一種の賭だが、発見してもらえるのならば、ここで一夜を過ごすよりは危険が減るだろう。
 それに野生の獣は大きな音を立てている物に対しては、よほどの空腹でもない限りは警戒してあえて近づくような真似はしない。これは獣除けの意味も含まれている。
 それから数分間、サリアは可能な限り大きな声で助けを呼び続けた。しかし、そんな彼女の必死の呼びかけに返事を返す者はいない。
 やがてサリアの喉は、大声を張り上げすぎたことにより痛み始める。が、それ以上に周囲に誰もいないという現実を突きつけられて生じた不安が、サリアの声を小さくしていった。
「誰も、いないの――――――っ!?」
 それでもサリアは最後のあがきとばかりに、今まで最も大きな声で叫ぶ。だが、やはり応える者は無い。
「ダメか……」
 サリアはガックリと項垂れた。どうやら野宿を覚悟しなければいけないようだ。ところがその時、近くの茂みの葉が揺らいだ。何者かがサリアに近づいて来る。
「誰!?」
 サリアは期待に満ちた視線を茂みに向けた。この際、自分を保護してくれるのならば、相手は誰だって構わない。
(しかし、待てよ?)
 と、サリアは思った。仮にこの茂みを揺らしている者が救助隊で、なおかつ彼女の助けを求める声を聞きつけて来たのならば、その無事を確認する為に呼びかけてくるのが普通なのではないか? 無言で近寄ってくるこの存在が、救助隊であるということはまず有り得ないのではないか。
(うわ……それじゃあ盗賊さん……?)
 サリアは揺れる茂みに不安を感じ始めた。そしてその不安はぐんぐんと増大していく。なんだか茂みの揺れが、人間が揺らすそれよりも大きいような気がしたからだ。
「は……はは……」
 サリアは口元に引きつった笑いを浮かべながら、1歩2歩と後退ずさりを始める。彼女はここ数日で最大の脅威を、生命の危機を感じていた。
 そんなサリアの正面に位置する茂みからは、何か黒くて巨大なものがのっそりと姿を現した。それは、体重が1tを超えようかというほどの超巨大な熊であった。
 しかも猟師の仕業か、それとも他の獣にやられたのかは定かではないが、右目が大きな傷で塞がっていた。いわゆる『手負いの獣』という奴である。
 最悪であった。野生の獣で最も危険なのは、『子連れ』と『手負い』の者である。前者は子を守る為に、後者は傷の痛みで著しく凶暴化している場合が多いからだ。
 特に『手負い』の場合は怪我がもとでまともに狩りが出来ず、その為に腹を空かせている可能性が高い。そんな彼らにとって人間はさぞかし容易に捕らえることの出来る御馳走に見えていることだろう。
(あわわわわわわわわ……) 
 サリアは顔面を蒼白に染めながらも、熊の一挙一動に注意をはらいつつジリジリと後退った。彼女にその自覚があったかどうかはともかくとして、賢明である。
 もしも熊と遭遇し、なおかつその距離がある程度離れていた場合、その最も理想的な対処法は熊から視線をそらさずにゆっくりと後退って距離を稼ぐことだ。視線を外したりすると熊はそれを隙だと感じ、襲いかかって来ることがある。また、みだりに大声を上げたりして熊を刺激することも同様だ。
 そして熊に限らず犬等にも言えることだが、彼らには背を向けて逃げる者を追う習性があるので、走って逃走することなど以ての外である。熊は鈍重そうに見えて人間の数倍のスピードで走ることも出来るので、かなり距離が離れていないとまず追いつかれる。
 だから慌てることなくゆっくりと熊から離れる。食料等の荷物を放置して熊の気をそらすことが出来ればなお良い。もしも熊に人を襲う意志がなければ、そのまま姿を消してくれるだろう。
 また、一般的によく言われる『死んだフリ』は自殺行為であることを憶えておいた方がいい。熊は腹を空かしていれば死体を漁ることもあるのだ。その熊相手に死んだフリで安全が保証される訳がない。むしろ、狩りの手間が省けたと熊は喜ぶことだろう。
 なお、不運にも熊と至近距離で遭遇してしまった場合、驚いた彼らが問答無用で襲いかかってくる場合が多いので、死を覚悟しよう。そしてどうしても熊との格闘戦を演じなければならない場合は、鼻が弱点なのでそこ狙って打撃を与えると良い。また、少々乱暴な手段だが、熊の口の中に手を突っ込んで舌を思いっきり引っ張ることで、熊が怯んで逃げたという例もある。まあ、さすがにこれは最終手段であろうが。
 ともかく、サリアはゆっくりと後退る。しかし、これが普通の熊ならいざしらず、相手は手負いの為に凶暴化した熊である。普通の対処法が通じるはずもない。
 熊は突然後ろ脚で立ち上がった。その全高は4mに届こうかというほど、いやあるいは超えているだろうか。とにかく大きい。『山の親父さん』の異名を持つ熊の直立した姿は、そりゃあもう迫力満点であった。
     
 それはサリアにとっては怖い存在の中でもトップだった『父親』より更に恐ろしく感じた。
 だが『本気で怒った母親』とは良い勝負のような気がする。そんな母の本気の怒りがサリア自身に向けられたことはまだ1度も無い為、彼女にとっての怖い物のベスト1位にはなっていないが、両親の夫婦喧嘩を見る限り、まさに鬼神の如きものであったとサリアは記憶している。……というか、何をやれば、あんなに母を怒らせることが出来るのだ、父よ……。
 まあ、今はそんな過去の疑問にとらわれている場合ではないが。
「ぎぃやああああああああああああああぁぁぁぁぁーっ!!!!!!」
 さすがのサリアも恐怖のあまり全力疾走で逃げ出した。そんな彼女の背後から熊が追いかけてくる。あまりの巨体の為に鈍重そうに見えた熊だが、事実その動作は普通の熊と比べても決して素早いとは言えないものであったが、しかし、1歩1歩の歩幅はサリアの何倍もあった。結果、その走る速度はサリアにそう劣ったものではない。
 しかも運が悪いことに、そこはなだらかな斜面であった。下り斜面は熊にとっても走るのには不向きな地形ではあるが、人間にとってもそれは同様である。とにかく走る勢いがつきすぎて脚の自由がきかなくなり、転倒する危険性が高いのだ。岩や倒木等の障害物の多い場所で転倒すれば、それは命に関わる。
 しかし、最早そんなことを気にしてはいられない。熊に追いつかれれば非力なサリアは間違いなく助からない。もしも熊最大の武器の1つである前脚の攻撃を受ければ、子供の頭など鎌で刈り取るがごとく切断されるか、あるいは原形も留めぬほど粉砕されてしまいかねない。
 サリアは全速力で走った。驚異的とも言える動体視力で木々を回避し、岩を飛び越え、その動きはまるでカモシカの如きものであった。
 だが、サリアとていつまでもその速力を持続し続けることが出来るはずもなく、徐々にスピードが落ち始める。さすがに大自然の中に生きる熊の持久力には勝てなかったようで、どんどんと距離を狭まって来た。
「たっ、たっ、たす、助けてえぇぇぇぇぇ~!!」
 サリアが絶叫をあげたその刹那、彼女の正面から、凄まじいスピードで何かが駆けてくる。一瞬、サリアは新手の獣かと思ったが、それはサリアの脇をすり抜け、そして――、
 サリアの背後で、熊が上顎と下顎の間から真っ二つに斬り裂かれた。あの巨大な熊をたったの1撃で、である。
「嘘っ!?」
 サリアは悲鳴じみた驚愕の声を上げる。今しがた熊を倒した者は、熊の死体からサリアの方へと視線を移した。
「今日の晩飯は熊鍋だなぁ、お嬢ちゃん」
 熊の返り血を多少浴びつつも、平然としたようにそう言ってのけたのは、盗賊団の頭(かしら)、クロスであった。
「…………!!」
 サリアはヘナヘナと地に腰を落とした。九死に一生を得た安堵感からではない。クロスが熊などよりもはるかに剣呑な相手であることを嫌がおうにも認識させられたからだ。
「馬鹿な野郎だが、一応俺の子分だ。そいつに怪我させた報いを少しは受けてもらうぜ。大人しくついてきな」
 そうサリアに告げるクロスの顔は、言葉ほど怒ってはいないように見えたが、それでもサリアは彼に逆らい難い畏怖の念を覚えた。


 次回へ続く(※更新は不定期。更新した場合はここにリンクを張ります)。

ロスト・ウィザード-第8回。

2014年06月24日 14時48分29秒 | ロスト・ウィザード
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―監禁からの脱出―

 深い森の中、エルミは樹木に背を預けるようにして座り込んでいた。
 クロスによって負わされた傷の所為か、彼の呼吸は苦しげだ。表情もやや険しい。いや、表情が険しいのは傷の所為ばかりではない。
「……なぜ、私だけを助けたのですか?」
 エルミは彼の正面に立つ、黒衣の男に憤りの視線を向けた。口元を覆面で隠した中肉中背の男へと――。
「仕方が無いだろう。俺の力では一度に2人も運べないし、それに万が一あんたに何かあったら、困る人間も多いしな」
 男はさほど緊張感を感じさせない口調で答えた。
「では、サリアちゃんに何かあったら、困る人がいないとでも言うのですか!」
 にわかにエルミの表情が厳しくなる。
「私は……私なら自力でどうとでもなったのですよ。あそこは子供の安全を優先するべきだったでしょうに」
「おいおい、責める相手が違うだろうがよ。俺はあんたを助けてやったんだぜ」
「……そうでしたね。私としたことが助けてもらって礼もまだとは……」
 男の言葉によって、エルミは冷静さを取り戻したようで、その表情から険しいものが消えた。
「どこのどなた様か存じませんが、お助け頂き本当に有り難う御座いました」
 エルミの言葉を受けて、男の身体がグラリと斜めに傾く。
「どこのどなた様じゃあ無いっ! クウガだ、疾風迅雷のクウガ! 何回も会ったことあるだろうがっ!」
「あ? ああ! クウガさんでしたか。いや、でも、クウガさんったらいつも覆面で顔を隠しているから、パッと見では判別出来ないんですよねぇ」
「背格好と声で分かれっ!」
 クウガは今にも地団駄を踏みそうな勢いで怒鳴った。
「……全く、何処までが本気で、何処までが冗談なんだ、あんたは……」
「フフ……、さてね……」
 呆れ果てたクウガの言葉を、はぐらかすようにエルミは笑う。
     
「で、これからどうするよ? 一応俺は、あの盗賊団を捕縛するって任務を請け負っている訳だが……正直、まあ油断してはいたんだろうが、それでもあんたにそれだけの傷を負わせる奴とやり合うのは面倒そうだな」
「……ええ、確かに油断しましたが、向こうも本気ではなかったようですよ。なかなか器用な真似もしてくれましたし。彼は明らかに十二翼に匹敵するほどの能力を有しているんじゃないですかね。しかも、純粋な戦闘力なら、十二翼の中でも数人と並ぶ者がいないくらいにね」
「おいおい……俺は戦闘が専門じゃ無いんだけどなぁ……」
 クウガは意味ありげに、苦笑混じりの視線をエルミへと送った。エルミは小さく嘆息しながら、
「はいはい、後は私がやりますよ。乗りかかった船ですからね。でも、お仕事がサボれるのも今回だけですからね」
「うるせーなぁ。大体、あんたが一週間も休暇を取るから他の連中が忙しくて、俺がこんな所まで出張るハメになったんだよ」
「おや、それは失礼しました。まあ、折角ここまで来たついでですから、少しはフォローしてくださいよ。これから少々本気で戦わなくてはなりませんからね」
 と、エルミは不敵な笑みを浮かべた。
「……しかし、敵の潜伏場所が分かりませんねぇ」
「奴らの足跡を辿ればある程度は追尾出来るが……岩場や川に入られると、ちょっと厄介だな……。まあ、半日あればなんとか見つかるだろうけど」
「それではちょっと時間がかかりすぎますねぇ。……おや?」
 エルミは自らの周囲に、何か小さいものが蠢いている気配を感じた。
「なんだ、こりゃ?」
 クウガがひょいと気配の主をつまみあげる。それはリスともネコともつかない奇妙な小動物であった。
「……なんだコレ? 見たこと無い生き物だな」
「……それはサリアちゃんのペットですね。私たちについてきていたのですか。あ……サリアちゃんの匂いを追って、居場所を教えてもらえませんかねぇ」
「犬じゃあるまいし……」
 クウガが呆れた声を上げたその時、虎縞リスネコ(仮称)は彼の手からスルリと抜けだし、そして駆け出した。しかし、それはエルミ達から逃げ出そうとしているのではない。その証拠に虎縞リスネコは一定距離を走ると立ち止まり、 そしてエルミ達の方に振り返って誘うように「ミャ~」と鳴く。彼(?)はそんな行動を何度か繰り返した。
「どうやら案内していただけるようですね」
「マジか……」
「そうでしょう。でなければご主人様ではなく、私達についてくる理由なんてありませんよ。頭のいい子ですね」
 と、エルミは困惑しているクウガを他所に、自信たっぷりに言った。

 盗賊団の隠れ家である洞窟の奥でサリアは転がっていた。腰の後ろにまわされた両手首と、そして両足首をロープで縛り上げられてしまっては、どうにも身動きがとれない。
(うう……こんなことなら、エルミさんの言うことをきいて、家で大人しくしていればよかった……)
 サリアは現在の自分が置かれた悲惨な状況を嘆いた。いや、本当に嘆きたいのは、またもや他人を巻き込んで傷つけてしまった自身の愚かさだ。
(エルミさん……大丈夫なのかなぁ……)
 どうやらエルミは盗賊達から無事に逃げおおせたようだが、サリアは彼が負った傷のことが気になって仕方がなかった。そして、今後のことも。
 例えエルミがサリアの父に今回の誘拐事件を報告したとしても、サリアの救出は非常に困難であろう。まだ魔物や猛獣が駆逐されいない森の最深部にある洞窟の存在を把握している人間はまずいないだろうし、この隠れ家を探し当てるだけでもかなり骨の折れる作業となるに違いない。
 おそらく、この場所の特定は騎士団の団員を大量に投入しなければ難しいのではなかろうか。だが、大人数で動けばそれだけ盗賊達に動きを悟られ易く、逃走の機会を与えてしまうことにもなりかねない。それでは状況が更に悪化してしまう。
 とは言え、少人数での捜査でこの場所を特定出来る可能性はかなり低い。そもそもこの場所を特定出来たところで、騎士団にはあのクロスと言う盗賊団の首領に対抗出来る実力の者はいなかった。
 あるいは十二翼の到着を待たねば、サリアの救出作戦は決行されないのではなかろうか。だが、それでは手遅れになる可能性もあった。盗賊達がサリアに危害を加えない保証はどこにも無いのだ。
 だからこそ――、
(助けに来てくれるかな……)
 大人が子供を守るのは当たり前だし、子供はそれに甘えていてもいい――そんなことを大真面目に語っていたエルミのことだ、たぶん助けに来てくれるとサリアは思う。いや、彼以外にサリア救出が可能な実力者は今やこの領内にはいないだろう。
 だから必ずエルミは来る。それがサリアにとって残り少ない希望になっている。
 しかし、エルミが傷の癒えない身体で無理をしていないか、それがサリアには心配だった。これ以上彼には迷惑をかけたくは無かった。
 だからこそ、サリアはただ寝ている訳にはいかなかった。
「ねえ、そこのおじさん」
「おじさんって年齢(とし)じゃねぇ」
 サリアの見張り役させられていた、というよりは自ら志願して彼女の監視をしていたバンダナの男は憮然として答えた。
「じゃあ、おじ様」
「う……それは、ちょっといいかも」
(この変態め……!)
 まんざらでもない様子のバンダナの男を、サリアは内心で罵倒する。
「ねえ、おじ様。こんな硬い地面の上に転がされていたら、痛くてたまらないわ。手足を縛られていたらロクに寝返りもうてないし、このままじゃ床ずれになっちゃうからせめて縄をほどいてよ」
「ああ、心配するな。適当に時間が経ったら、俺が転がしてやるからさ。床ずれの心配はねぇ」
「いや……人工孵化の卵じゃないんだから……。でも、このままじゃ、縄の跡がついちゃうよ」
「……それはそれで、緊縛プレイみたいで、俺的にはオッケーだけどな」
 と、バンダナの男は下卑た笑みを浮かべた。
(いやああああああああああーっ、あたしは全然オッケーじゃないーっ!!)
 サリアは叫び出したくなるのを必死で堪えた。男のセクハラまがいの言動も耐え難いが、彼女の言葉にまともに応えてくれないことの方がイライラして精神衛生上よろしくない。
(いや……待てよ、相手は少なからずあたしに好意を持っている様子。これを利用しない手は無いわね)
 サリアは意を決したように表情を一瞬引き締めたが、すぐにその顔はちょっと拗ねたような、あるいは媚びたような上目使いに変わる。
「ねえ、おじ様。そんな意地悪なことを言わないで、このロープをほどいてよ。そしたら、いいコト、してあげるからさぁ」
「いいことだと? ……な、なんだよ、それは……?」
「ンもぉ、わかっているクセにぃ……」
 サリアは甘い口調で愛嬌を振りまいた。ついでにちょっと艶めかしく腰をくねらしてみたり。……って、一体、どこでそんなことを覚えてくるかな、この娘は? ただ、羞恥心に顔を真っ赤に染めているその姿を見ると、なんだかホッとするものがある。彼女は耳年増なだけで、まだまだ純真なのだろう。
 しかし、バンダナの男はそんなサリアの捨て身の演技に気付いた様子も無く、期待で顔を緩ませた。
「へへへへへ……」
 と、男はだらしない笑いを口からもらしながら、にじり寄るようにサリアに迫る。何だか今にもとびかかりかねない様子だ。
「あン、慌てないで、まずはこのロープをほどいてぇ。優しくしてくれないと、『噛み切っちゃう』からね」
 ……いや、マジに何処でおぼえてくるのですか?
「へいへい」
 バンダナの男はもどかしそうにロープをほどきにかかった。そしてほどなくして、手足が自由になったサリアは、バンダナの男の頬に掌をそえ、甘く囁く。
「アリガトウ、おじ様。ご褒美をあげるから目をつぶって?」
「こ、こうか?」
 馬鹿正直にバンダナの男は期待に満ちた顔をしながら目をつむった。その背後でサリア渾身の力を注ぎ込んで、足下にあった10kgはある石を抱え上げた。そんな彼女の視線が狙うはバンダナの男の後頭部――。
 ……死なない程度に加減しろよ? と、忠告を入れる者は、不幸なことにその場にはいなかった。

 バンダナの男は全治3ヶ月の重傷を負い、ここ数日の記憶を完全に失ったそうな。


 次回へ続く(※更新は不定期。更新した場合はここにリンクを張ります)。

ロスト・ウィザード-第7回。

2014年06月23日 03時05分51秒 | ロスト・ウィザード
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「一体どういうことですか……? あ、ひょっとしてそこのお2人が何か逆恨みをして……それで意趣返しですか?」
「いや、この馬鹿共のことなんてどうでもいい。こいつらのことで動くくらいなら寝ていた方がいいや」
「アニキっ!?」
 バンダナの男と目傷の男は泣きそうな顔で抗議めいた声を上げた。しかし、クロスはそんな彼らの声を完全に無視して、
「お前……魔法が使えるんだってなァ?」
「!!」
 クロスの指摘を受けてエルミの顔色が変わった。
「図星か……!」
「さ、さて、言っている意味がよく分かりませんが……」
 エルミはなんとか誤魔化そうとしているらしいが、きょときょと視線を忙しく動かし、額に大量の脂汗を浮かべている。どうにも隠し事が下手であった。子供のサリアの目から見ても嘘がバレバレである。
(でも、魔法って……エルミさんが、まさか……)
「って、ヒッ」
 その時である、クロスは腰に下げた剣を抜き、サリアの喉元に突きつけた。
「しらばっくれると、この娘の無事は保証しねェぞ?」
「……………ハァ」
 エルミは大きく溜め息を吐いた。覚悟を決めたかのか、今までの何処か頼りない雰囲気が彼から薄れていく。
「……まさか、今時この大陸で魔法が使えるなんてことを信じる人間がいるとは思っていませんでしたよ」
 と、エルミの表情は渋い。
(全く……普通の人なら大抵は『気の所為』と勘違いしてくれるので、多少使っても問題無かったのですけどね)
「それで……私が魔法が使えるとして、貴方は一体どうしたいのですか?」
「いや、この大陸にどれほどの使い手がいるのか、見てみたくてな。俺と勝負をしてもらおうか」
「ご冗談を……」
 エルミは呻くように言った。
「十二翼にも匹敵するであろう貴方と私が勝負を? とんでもない! 私にはそれほどの力はありませんよ。大体私は魔法なんて、使えませんよ。ホラ、手品ですよ手品」
 ポン、とエルミは掌から薔薇の花を出して見せた。
 一同は唖然とする。
「エルミさん、それ、余計に怪しいし……」 
 サリアは思わず突っ込みを入れた。確かに本職の手品師でも平常時からタネを仕込んでいる者など殆どいないであろう。通り魔的に誰にでも手品を見せたがる変態なら話は別であろうが、少なくともサリアはエルミに手品を見せてもらったことはない。だからエルミにそのような性癖が無いであろうことは間違いない。
 つまりこれはエルミが魔法の存在を誤魔化す手段として、日頃から手品のタネを仕込んでいたのであろう。……どのような理由があったにせよ、その空気の読めない行動はかなり頭が悪く見える。
 まあ……もしかしたらこれロスの油くを誘おうとした可能性もあるのかもしれないが、しかし――、
「……あんまりふざけんじゃねぇぞ……!?」
 クロスの顔が苛立ちで険しくなった。
「ああっ、スミマセン、怒らないでください。そうです、確かに私は魔法が使えます!」
 エルミは慌てて白状した。相手を怒らせては人質となったサリアに危害が及ぶと判断したようだ。
「でも、私の使える術なんて、大したものではありませんよ? 実は魔法って、全部が全部封印された訳ではないのです」
「ほう?」
 エルミの言葉にクロスは興味深そうに片眉を上げた。その言葉が事実ならば、それはこの大陸における魔法封印の謎に関わる重大な情報である。然るべき所に売ればかなりの大金になるだろうし、単純に知的好奇心も刺激された。
「例えば治癒の魔法がそうです。あまり高レベルのものは応用がきいて別の用途に使えたので封印されたようですが、ちょっとした傷を癒す程度のものなら、さほど害も無かったので封印されなかったのです。まあ、結局は誰もが使えるようなものでは無かったし、効果も小さいので医学に取って代わられて廃れてしまったようですがね。
 私の使う術はそれと同様に、あまりにも威力が小さくて封印を免れたものです。そんな、術で貴方と戦うなんて、出来るはずがありませんよ」
「お前が俺と戦えるかどうかは俺が見定める。いや、俺の部下2人がかりで倒せなかったっていう話が本当なら、充分に俺と戦える実力を持っているはずだ。なにも命まで取るつもりはねぇ。少しは手加減してやるから、安心して魔法の力を見せてみろっ!」
 そう言い放ち、クロスは剣を構えた。最早、どうやってもその考えを変えることは出来ないようだ。大変な我が儘ぶりである。
     
「……仕方がありませんね」
 エルミは苦り切った表情で再び溜息を吐いた。
「……やるからには徹底的にやりましょう」
 エルミがそう言い放った瞬間、クロスは内心で驚愕した。エルミは未だ何の構えも取らず、無防備であるように見える。しかし、クロスはエルミに隙らしい隙を見つけることができなかった。先ほどまでへらへらとしていた人間とはまるで別人のようだ。
(こいつは久しぶりに手応えがありそうじゃねぇか)
 クロスは玩具を見つけた子供のように、実に楽しげな様子でエルミ目がけて踏み込んだ。
「!!」
 クロスのあまりのスピードにエルミの表情には驚愕の色が奔る。だが、それでもエルミはそのクロスの動きに対応した。
(剣が間に合わねぇ!?)
 クロスは『遅い』と悟りつつも、攻撃動作を途中で止めることが出来ず、そのまま剣を振り下ろした。そして彼の予想通り、剣は空を斬る。
「チイィィッ!」
 クロスは自身の真横に体移動したエルミの姿を目で追った。彼の目がエルミの姿を捉えると同時に、その目には閃光が飛び込んでくる。
「!?」
 エルミの掌から放たれた無数の光弾がクロスを襲った。彼はとっさに剣の平で身体を庇うが、間合いが近く、なによりも光弾の数が多すぎて、その殆どを防ぐことも叶わずに身体に受けた。結果、彼の身体が大きく吹き飛ぶ。
「兄貴っ!?」
 クロスの部下達が一斉に悲鳴を上げた。サリアはあまりのことに声も出せない。
 だが、クロスは吹き飛ばされた反動を利用して、後転から体勢を立て直す。そんな彼の動きからはさほど大きなダメージを受けた様子は感じられなかった。ただ、その表情から驚愕の色は抜けきらないようだ。
「……ちょっと待てや。大した威力が無かったからこそ封印されなかったのと違うんか? 今のは人を殺せるぞ?」
「いえ、少しアレンジしましたし」
 さらりとエルミは言うが、
「馬鹿言え! そんな簡単に改良出来るなら、その魔法だって危なくてとっくに封印されているだろーがっ!」
 そんなクロスの反論は至極真っ当なものであろう。
(本来無害なはずの術でこれだけのことが出来るなんて、魔法文明時代でもこれほどの術の使い手はいなかったってことじゃないのか? これが自在に魔法の使える100年前だったら……)
 恐らくは全く勝ち目など無かっただろう。そう考えてクロスは背筋に震えを奔らせた。だが、その震えの原因が『畏れ』3に対して『武者震い』が7くらいの割合だったのだから彼も只者ではない。
「おもしれぇ……! ここほど魔法を扱うには不向きな場所で、あんたほどの魔法の使い手に出会えるとは思ってもいなかったぜ。なあ、あんた、俺と組まないか? 俺ぁ、でかいことをやる為に世界中を旅して人材を集めてるんだけどよ、あんたなら申し分ねぇ」
「組めと言われましても……。一応聞いておきますが、大きいこととはなんですか?」
「世界征服!」
「スミマセン、ごめんなさい、私にはついていけません」
 自信満々のクロスの言葉に、エルミはとりあえず謝る事にした。とてもではないが、誇大妄想に付き合つていられる暇は無い。
 一方、クロスの部下達は「さすがアニキだぜ」と熱狂したように歓声をあげている。クロスの言葉は無茶もいいところなのだが、心酔しているらしい彼らにはそれが理解出来ないらしい。
 サリアは(うあ……馬鹿がいる)と率直に思ったが、命が惜しいので口を噤む事に必死だ。
「クク……いいさ。このまま戦いが中断ってのも、つまらないしな。嫌だって言うなら無理矢理従わせるまでだ。次は本気でいくぜっ!」
 クロスは先ほどよりも生き生きとした表情で剣を構えた。こういう戦闘狂は勢いに乗ると始末に悪い。多少のダメージでは怯まないし、だから退く事も知らないからだ。
(う……どっち道ロクなことにならないですねぇ。いっそのこと、協力するフリをして、隙を見て逃げた方が良かったかも……)
 と、エルミはちょっと後悔したが、もう遅い。
「仕方がありませんね……」
 エルミも再び戦闘態勢に入った。が、彼は次のクロスの行動に軽く小首を傾げることとなる。
 クロスは剣を上段に構えたままバックステップして、エルミとの間合いを広げたのだ。その距離は10m以上。これではエルミの魔法はともかく、クロスの剣は届かない。
(助走距離……? 突進の勢いを乗せて斬撃の威力とスピードを上げるのですか……? それともまさか?)
「おお、アレをやるつもりだな、アニキ」
「……アレ?」
 クロスの部下達が期待に表情を輝かせた。その様子からクロスがかなりの大技を使うことを察したサリアは、不安で表情を曇らせた。
(大丈夫かな……エルミさん。お願いだから、あたしの為にケガなんかしないでよ……)。
 そんなサリアの不安を他所に、クロスとエルミの間の緊迫感は徐々に増していった。2人は対峙したまま暫しの間微動だにしなかったが、クロスの腕の筋肉の張り具合を見る限り、かなりの力を蓄積しているように見えた。一方エルミはクロスがいかなる技を繰り出してきても対応出来るように、彼の一挙手一投足から目を離さぬように集中している。
 そして緊迫感がピークに達したその瞬間、
「いくぜえぇ~っ!!!!」
 クロスは思わず耳を塞ぎたくなるような大きな声で叫んだ。それと同時に一気に剣を振り下ろす。
 クロスの斬撃の延長線上の地面には、何か不可視の存在が疾走しているかの如く、一直線に土埃りをあげて溝が生じた。
(やはり、烈風刃!)
 烈風刃(れっぷうじん)――音速を超えるスピードで振られた剣から生じた衝撃波とそこに込めた闘気で敵を攻撃する技である。達人の放つそれは、数十mを超える間合いを持ち、その間合いに踏み込んだ複数の存在を同時に斬り刻むことが可能だ。
 だが、エルミにとってはその剣筋さえ読めればかわすことはさして難しくはない技であった。自らに一直線に突き進む衝撃波は、タイミングさえ誤らなければほんの一歩分の距離を横に体移動するだけで脅威は無くなる。
 しかし――、
「!?」
 エルミの上半身が大きく仰け反ったかに見えたその瞬間、彼の眼鏡が無数の破片をまき散らしながら宙に舞った。いや、舞ったのは眼鏡だけではない、中には赤いものも混じっている。
「エルミさんっ!?」
 サリアは悲痛な悲鳴を上げた。無理もない。彼女の視線の先ではエルミが額からかなりの量の血を吹き出させつつ、ゆっくりと地に倒れようとしている姿があったからだ。
「よっしゃあっ、俺の勝ちだな! 野郎共、さっさとあいつを縛り上げちまいな! 連れて帰って、後でたっぷりと俺に手を貸すように説得しなきゃならんからな」
「う……説得って、貴方が言うと痛そうな気がするのは気の所為ですか……?」
 地に臥したまま、エルミ呻くように言った。
「お? まだ意識があるのか。見かけによらず頑丈な奴だな。これなら、とことん説得できそうだな」
「うう……やっぱり拷問の間違いなんじゃ……」
「なに、あんたさえ素直に従えば悪いようにはしないさ」
 クロスはカラカラと笑った。
「……悔しいですが、不覚を取ってしまった以上、ここは従う他無いようですね。しかし、十二翼が動いた今、最早サリアちゃんを攫う必要は無いでしょう。その子は解放してあげてください」
 そんなエルミの要求を聞き、クロスはサリアの方を見遣った。
「ふむ……確かにもう用無しだが……。顔を見られたこいつを逃がすと大陸中に似顔絵付きの手配書をばらまかれかねんからなぁ。それで弱っちいくせにしつこい賞金稼ぎに追われるのもうざったい。とはいえ、こいつを連れ回すのも面倒だな」
 クロスはじーっとサリアの顔を暫し眺めてから、不意に意地悪い笑みを浮かべた。
「……見ればなかなかの器量良し。どっか適当な町で娼館にでも売るかぁ?」
「しょ、しょう――!?」
 サリアは裏返った声で悲鳴を上げた。子供なのに、というかお嬢様育ちなのに意味が分かったらしい。
「娼館かぁ……俺、通っちゃおうかなぁ」
 と、クロスの子分のバンダナの男はよだれを垂らさんばかりのいやらしい顔でとんでもないことを口走り、サリアを脅えさせる。その脇では「お、お前やっぱり……」と、仲間がどん引きですよ。
 しかし、サリアも蒼白な顔をしながらも、
「や、やめてよね……。そもそも、もし通ってきたって、あんたみたいな金払いの悪い貧乏人の相手なんか、この高貴なあたしがするはずないでしょ! まあ、ダイヤの指輪を買ってくれたら、手ぐらいは握らせてあげてもいいけどさぁ」
 と、これまた高級娼婦じみたとんでもないことを口走っている。どうやら、娼館に売られた自分の行く末を想像して、彼女なりにパニックを起こしているらしい。というか、心の何処かで『どうせやるからには成功して独立してやる』などと思っているのかもしれない。本当に末恐ろしい娘だ。
「な、なにをとんでもないことを言っているのですか……」
 その言葉が誰に向けられたのかはともかく、このままサリアを空を競る訳にはいかない状況なのは確かだ。エルミは傷ついた身体を押して立ち上がろうとするが、まだ身体の自由は利かない。
「まあ、冗談だけどな」
 クロスは悪びれた様子も無く笑う。それを聞いてバンダナの男が残念そうな顔をしたが、皆無視を決め込んだ。
「だが、あんたに言うことを聞いてもらう為には、この娘がまだまだ使えることがよぉーく分かったぜ。とにかく2人とも俺達のねぐらまでご同行願おうか」
「く……」
 悔しがるエルミを、クロスの子分達が縄で縛り上げようとした瞬間、
「!?」
 唐突に周囲が白い煙に包まれた。誰もが混乱する中で、クロスだけは比較的早く状況を把握して叫ぶ。
「オタオタするんじゃねぇ! あの野郎が逃げてしまうじゃねぇかっ! あの傷じゃあそんなに素早くは動けねぇはずだ。手探りでもいいから捕まえろっ」
 そんな指図も虚しく、煙が晴れた頃にはエルミの姿は消えており、クロスの子分達がお互いの身柄を確保するという失態を演じているだけであった。
「……まあ、いい。囮は残していったようだし、そのうち姿を現すさ」
 と、クロスは今しがたの騒動からまだ立ち直れずに茫然とした表情をしているサリアへと視線を向け、唇の端をわずかに吊り上げた。


 次回へ続く(※更新は不定期。更新した場合はここにリンクを張ります)。

ロスト・ウィザード-第6回。

2014年06月22日 02時08分29秒 | ロスト・ウィザード
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―盗 賊 団―

「失敗しただと?」
 不機嫌そうな声が洞窟内に響く。その声はまだ若く、精々20代半ばくらいの男のものだ。
 声の主は地面から突き出た岩を椅子がわりにして座っている。その身体は引き締まった長身をであり、また、ボサボサの黒髪も合わさって野性的な雰囲気を全身から醸し出していた。しかし、その何処かふてぶてしくはあるが、精悍な顔つきは美形の部類に入る。
 背には一振りの大剣を背負っており、また腰にも剣が一振り。おそらくは剣士なのであろう。
 そんな彼の背後には屈強な戦士風の男が2人控えていた。また、彼らの眼前には地べたに土下座をして伏せている2人の男。
「たかがガキ1人を攫うだけだからって、お前等らに任せたんだぞ?」
「す、すいやせん。クロスの兄貴」
 恐れ入ったように2人は更に低く平伏する。
 彼らはサリアを誘拐しようとした2人組だ。その身体は全身が泥で汚れている。
 彼らは奇跡的に騎士団が駆けつける前に覚醒し、土砂から半身を引き出す事に成功した。そしてようやくこの隠れ家である洞窟へ逃げ帰ってきたのだ。もう少し逃走するのが遅れていれば、今頃は牢屋の中であったはずだ。
「し、仕方がなかったんス。変な野郎が邪魔に入りやがって」
「変な野郎だと?」
「ええ、ヒョロッとした学者風の兄ちゃんで……」
「そんな奴に後れを取ったって言うのかっ!」
 クロスの声に怒りが籠もる。それを聞き、2人は額を地面に擦り付けんばかりに頭を更に低くした。
「で、でも、そいつときたら、俺達が2人がかりで斬りつけても、ヒョイヒョイと避けちまうし、つかみ所の無い奴で……」
「2人がかりで斬りつけても?」
 クロスは興味ありげに表情を動かした。彼から見れば街のチンピラの域を出ない程度の実力しかない部下の2人であったが、それでも武器を持った彼らに襲われて一般人が無事で済むはずがない。
「しかも、あいつの手が光ったと思ったら、急に崖が崩れたんですよ」
 と、彼らは必死で弁明する。クロスが本気で怒ると手がつけられないことを2人は嫌と言うほど味わっているのだ。
「はは~ん、おもしれェ話じゃないか。2人がかりの斬撃を避けちまうだけでもなかなかの達人だが、手が光るとは……そいつァ、魔法使いか何かか?」
「ま、魔法使いぃ!?」
 クロスの言葉に、一同はギョッとする。
「し、しかし、兄貴っ! 魔法はこの大陸では使えないはずじゃあっ!?」
 クロスの背後に控えていた2人組の片割れが取り乱したような口調で疑問を口にした。
 彼の言う通り、このスティグマ大陸では100年前に魔法が封じられて以来、魔法は使えないことになっている。
「じゃあお前達、よく考えてみろ。確かにこの大陸では魔法が使えねぇ。しかも、他の大陸では当たり前のように魔法を使っていた奴までが、この大陸に入った途端魔法が使えなくなる。しかし、どうやったらそこまで徹底的に魔法を封じることが出来るって言うんだ? それこそ魔法の力を使っているとしか思えないじゃねぇか」
「そう……言われて見れば……」
「つまり、この大陸でも魔法は未だに生きているのさ。ただ、それを使う為に必要な何かが、本来の形からねじ曲げられているんだろうよ。それを解き明かせば、魔法を復活させることも不可能じゃねェ。100年もあれば、それが出来た奴の1人や2人いてもおかしくねぇだろ」
「しかし、その話が本当だとしたら、これは金になりやすぜ。それこそ、田舎領主の娘を攫うよりも何倍もの金が」
「ああ、魔法の使い方なら、高い金出して欲しがる奴がゴマンといるっスよ!」
 と、子分達は興奮気味だ。しかし、クロスは、
「ふん……金か、くだらねェ」
「あ……兄貴?」
 クロスの言葉を受けて、子分達の顔に困惑の色が浮かぶ。
「金なんかどうでもいいさ。俺が欲しいのは、この剣で得られる名声よ。『最強』と言う名のな! それさえ有れば、富なんて物は後から勝手についてくるだろうよ」
 と、クロスは腰の剣をわずかに抜き、楽しげな笑みを浮かべた。
「それじゃあ……兄貴?」
「ああ、その魔術士をぶっ倒すぜ。この大陸でどれほどの魔法が使えるのか興味あるしな。運よくそいつが生きていたら、魔法の使い方を聞き出すなり、てめェ等らで好きにしろや」
「オオーッ!」
 洞窟の中には、男達の歓声が響き渡った。

 爽やかな木漏れ日を浴びながら、エルミは森の中を進んで行く。しかし、その表情は『のどか』とは言い難く、何やら焦りの色がある。彼は時折周囲を見渡し、何かを気にしているようであった。
「エルミさーん!」
 と、その時、彼を呼ぶ声が聞こえる。
「え?」
 しかし、彼の回りには人影は見当たらない。エルミは首を傾げる。
「何してるのー?」
「うわあっ!?」
 エルミは驚愕した。目の前に逆さまのサリアの顔が突然現れたからだ。
「サ、サリアちゃん!?」
 そして彼は顔を赤らめて更に慌てた。
 サリアは木の枝で鉄棒をするかのように逆さにぶら下がっていた。もしも枝が折れて落下しようものなら命に関わるくらいの危険行為だ。その上、逆さまになったサリアのスカートがまくれ上がって白い下着が顕わになっている。別の意味でも危険だ。
「サ、サリアちゃん!? 早く降りなさい! 危ないし、ス、スカートが」
 いや、子供相手にそんなに慌てんでも……。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよー」
 そう言って、サリアは木の枝から飛び降り、しかもクルリと一回転してみせてから奇麗に着地して見せた。その際にスカートがまたフワリとまくれたりするのだが、まるで無頓着である。
「って!」
 遅れて、ペットのキャムが木の上からサリアの頭に飛び乗り、その衝撃に彼女は小さく悲鳴をあげた。
「頭はやめなさいよ、痛いし髪が乱れるじゃない」
 そんな風にキャムを非難しながら、サリアはちょっと乱れた髪を手櫛で整える。今日はポニーテールをおろして頭の後ろで赤いリボンを結んでいた。
 サリアはスカートのことを殆ど気にせず活発に動き回ることから、自分が『女の子』であることをあまり意識していないのかと思わせる反面、意外と髪型等には気を使っているらしい。まあ、そんなアンバランスさは、やはりまだまだ子供だと言えるのかもしれないが。
 どちらにせよ、彼女の行いは見ている方が色んな意味でハラハラさせられる。
「で、エルミさん、こんな森の中で何してんのー?」
「何って……貴女を捜しに来たのですよ。サリアちゃんはまだ謹慎中でしょう? お父さんが怒っていましたよ」
 と、エルミは少し諭すような調子で言った。
 そんなエルミの言葉にサリアは顔を露骨にしかめて、
「だって家の中にいても何もやることないんだもの」
「本読むとか、勉強するとか、色々やれることはあると思うんですけど……」
「それ、全然面白くない!」
「そうですか? 本に囲まれて勉強するのって、凄く楽しいと思いますけどねぇ……」
 エルミは夢見るような表情になった。本当に楽しいと思っているらしい。
(やっぱり見かけ通り勉強が好きなんだ……)
 サリアはガックリと肩を落とした。正直、身体を動かすことが好きな彼女にとっては、エルミの価値観は理解不能だった。
「大体本を読んだり勉強したりなんて、雨降っている時や夜とか、外に出れない時にやればいいのよ。太陽が出ている時は外で遊ぶ。これ、子供の基本でしょ?」
「まあ、確かにそうかもしれませんが……。でも、やはり盗賊がうろついている時分に勝手気ままに行動するのは危険ですよ。また誘拐されそうになったらどうするんですか。そのことをしっかりと自覚しないと、周囲の人間に心配と迷惑をかけますし、何より、自分が後悔することになります」
「む~、お説教なんて聞きたくないもん」
 サリアはリスのように頬を膨ふくらませた。
「大体、あの盗賊達が悪いんだよ! あいつらの勝手な都合で、あたしの自由を拘束しないでほしいわっ!」
 と、サリアはかなり御立腹の様子であった。頭の上のキャムも彼女につられたのか尻尾の毛を逆立てていた。
「騎士団はどうしているのですか?」
「駄目よ、全然歯が立たないもの」
「騎士団でも歯が立たない? そんなに大規模な盗賊団なんですか?」
 エルミは小さく驚きの表情を浮かべる。地方領の騎士団とはいえ、その構成団員は少なくとも数百名以上からいるはずだ。その全員が盗賊団の捕縛にあたれないとしても、数十名は投入されているはずである。それでもまるで歯が立たないとは、相手がよほどの大人数か、それともかなり頭の切れる人物が騎士団の動きを読んだ上で行動方針を固めているか、だ。
 しかし、サリアは、
「ううん、確認されているのはたったの5人だって。でも目茶苦茶強い奴が1人いて、手がつけられないのよ。だから今、あの『王都守護兵団』の出動を要請しているらしいよ。しかも『十二翼』クラスの人を」
「たったの5人!? いえ、実質1人で騎士団を相手にしているのですか。……それは、『王都守護兵団』の出動を要請するのも無理はありませんね。しかし、まさか『十二翼』とは……。いや……確かにサリアちゃんの話が本当なら、守護兵団の一般兵でも少々分が悪い相手かもしれません……」
「ね、凄いでしょー」
 サリアは我がことのように平らな胸を張った。そんな相手に狙われる自分も凄いと言いたいのか。
「確かに凄いですねぇ……」
 エルミは難しい顔をして唸る。
 『王都守護兵団』――彼らは王都を守護する為に大陸中から集められた屈強の精鋭達だ。その強さは、地方に駐在する並みの騎士団とは力量の桁が違う。
 そんな彼らの中において、なお群を抜いた実力を誇る精鋭中の精鋭の12人を、かつてこの大陸に高度な魔法文明を築く手助けをし、更に魔法文明の暴走によって大陸が亡びるのを食い止めたと伝承の中に語られる、偉大なる守護天使の翼の数に合わせて『十二翼』と呼ぶ。彼らは王都守護兵団の者ですら「あの者達は人間ではない」と畏れる者がいるほど神がかった戦闘能力を有していた。
 その『十二翼』でなければ手に負えない相手とは、その者もまた『人間ではない能力(ちから)の持ち主』であることを示している。
「サリアちゃん、やっぱりすぐ家に戻ったほうがいいですよ。今度そんな相手に狙われたら逃げようがありません」
「どこにいたって同じだよ……」
 しかし、サリアは沈鬱な表情で項垂れて、消え入りそうな声でそう言った。
「…………サリアちゃん?」
 そんなサリアの様子をエルミは訝しんだ。どうもサリアの行動はただの我が儘ではなく、何か理由があるようだ。
「……だって、あいつら、この前は屋敷に直接乗りこんで来たんだよ? その時は騎士団の人があたしを隠してくれたから、あたしはなんとも無かったけど……、迎撃に出た騎士の人には障害が残るかもしれないような大怪我をした人もいるって……。あの時、あいつらが何のために屋敷に乗りこんで来たのかは聞かされていなかったけど……狙われていたのはあたしだったんだって、昨日分かった」
 と、サリアは目を涙で濡らしながら語った。自らの為に沢山の人間が傷ついたことは、まだ幼い彼女にとってかなり重いことであったに違いない。
「サリアちゃん………」
「あいつらが本気になったら、屋敷にいたって意味無いよ。それどころか、また、沢山の人が傷ついちゃう。それに狙われているのはあたしだけじゃなくて、お父さんやお母さんでもいいのかもしれないし……。この前の襲撃の時にはたまたま留守にしていたけど……留守じゃない時にあいつらがせ攻めて来たら、今度はどうなるか……。それならあたしが森に出てあいつらの注目集めていたほうが、誰も傷つかなくていいんじゃないかなって気がするの」
「…………………」
 エルミは押し黙った。周囲の人間に危険が及ばないようにする為に、あえて自身を危険に晒すサリアの行為には確かに尊ぶべきものがある。
 しかし同時に――、
「感心しませんね……」
「エルミさん……」
「確かにサリアちゃんの考えも一理あるとは思いますけど、誰も傷つかない? それは違います。サリアちゃんが傷つくでしょう。それに、もし、貴女の身に何かあれば、お父さんやお母さん、そして貴女を守るべき立場にあった騎士達等、沢山の人の心が悲しみで傷つきます。
 人は、例え手足を全て失うような傷を追っても心が傷ついていなければ生きて行けますが、心の傷は簡単に人の生きる意志を奪うことが出来るのです。心の傷が肉体の傷より軽いなんて思わないで下さい。
 だから、誰も自分の所為で傷ついてほしくないというサリアちゃんの想いは立派ですけど、貴女1人が犠牲になればそれで済む問題ではないのですよ。場合によっては、より結果が悪くなる……」
「……………………」
 サリアはエルミの言葉を受け、わずかに頷いたように見えた。
「……怖くて、家の中でじっとしていられない気持ちは分かりますよ。でも、今は家に戻りましょう」
「でも……」
 サリアは逡巡する。やはり、自分の為に人が傷つくのは怖いのだろう。
「気にすることは無いのですよ……。仮に盗賊達が再び乗りこんできて、そして貴女を守る為に誰かが傷ついていても、大人が子供を守るのは当然のことなのです。特に騎士はそれで俸給を貰っているのですから、文句を言う人はいませんよ。サリアちゃんはそれに甘えていればいいのです。それでも責任を感じるのであれば、事件が片付いた後、貴女の出来る範囲でいいから、少しずつ恩を返していけば良いのではないですか?」
「…………………それでいいのかな?」
「私は良いと思いますよ」
 そんなエルミの言葉に、サリアの沈んでいた表情が少しずつ明るくなる。
「とにかく、今は家に戻りましょう。『十二翼』の方が動けば、盗賊達はすぐに捕まるはずですから、それまでの辛抱ですよ」
「うん……。でも、たかが盗賊相手に、本当に来るのかなぁ。『十二翼』……?」
「たかが盗賊と言っても、都市部の騎士団ならともかく、まだ魔物が根絶されていない辺境地区の騎士団はそれなりの実力を持っているはずですから……。その騎士団では歯が立たない相手がいるとなれば、『十二翼』も動かざる得ないでしょうね」
「そっか、楽しみだなぁ……。光の剣の(ライトソード)・ラーソードとか来ないかなぁ~。あたし、ファンなんだ」
 そんなサリアの言葉に、エルミは複雑な表情を浮かべて、
「さすがにそれは無理じゃないですか? 彼は『十二翼』のトップですからね。来るとなれば、疾風迅雷のクウガ辺りでしょう」
「えっ、誰それ? 聞いたことないなぁ。そういえば、エルミさんって王都から来たんだよね。そっちでは有名なの? 見たことある?」
「有名ってほどでもないですけど……。私も顔は見たことありませんし。『十二翼』の人って極秘の任務とかで表に出てこない人が結構いるのですよ。サリアちゃんだって、全員の名前は知らないでしょう?」
「あ……うん。そういえば5人くらいしか知らないや」
「クウガもあまり表に出てこないで、情報収拾で敵地潜入などの隠密活動が専門の人らしいですよ。だから、もしサリアちゃんが攫われても迅速に盗賊のアジトを捜し当てて救出してくれるでしょうね。それに戦闘力もかなりのものだと聞きます」
「へぇ~、それは頼もしいね! それじゃあ、その人にかかれば盗賊達なんて一気に殲滅ね、殲滅」
 等と、サリアは物騒なことを口走りながらはしゃいだ。
 しかし――、
「ふん、そんなに簡単にいくかね?」
 何処(いずこ)からか発せられたその声に、サリアの顔は緊張に強張る。エルミの表情も同じく硬い。
 いつの間にか彼らの前方には4人の男の姿があった。エルミとサリアにはその内の1人の顔に見覚えがあった。サリアを攫おうとした2人組の男の片割れ――目もとに傷のある男だ。
「貴方達が例の盗賊団………?」
 エルミの表情は険しい。盗賊達から――いや、その内の1人から叩きつけられた威圧感は尋常なものではなかった。おそらく彼こそが騎士団ですら歯が立たないという男なのだろう。
 エルミはその男に気を取られ、背後から忍び寄る存在に気づくのが一瞬遅れた。
「うぐうっ!?」
 背後からバンダナの男がサリアを抱き抱え、そのまま仲間の元へ駆け寄る。
「サリアちゃん!?」
 エルミは血相を変えて叫ぶ、しかしもう遅い。ただ、サリアの頭から落ちたキャムだけが、大慌てで彼の足下に逃げてくる。
「よーし、目的遂行」
 背中と腰に剣を携えた剣士――クロスは得意気に笑った。どうやらエルミの注意を自分に引き付けて、その隙にサリアを部下に攫わせる――この作戦を考えたのは彼であるらしい。単純な策ではあるが、多少は頭が回るようだ。
「その娘(こ)を攫ってどうしようとしているのですか……?」
「別にどうこうしようって訳じゃないんだが……、ちょっと力試しに十二翼と戦ってみたくてな。領主の身内を攫ったら十二翼が動くかと思っていたんだが……、もう十二翼が動くことになっていようとは、さすがに思っていなかったわ。大したもんだぜ、俺様!」
 と、クロスは上機嫌でケラケラ笑った。
「……それじゃあ、もうその娘を攫う必要は無いでしょう。解放してはいただけませんか?」
 と、説得を試みるエルミだが、クロスは意地の悪い笑みを浮かべつつ、
「だが、乗りかかった船だしな。中途半端は良くねぇ。それにお前が俺の要求を呑まないのであれば、こいつは立派な人質に使える」
「私が貴方の?」
 エルミは困惑の表情を浮かべた。どうやら盗賊達は自分にも用があるらしい。が、彼にそんな心当たりはない。


 次回へ続く(※更新は不定期。更新した場合はここにリンクを張ります)。

ロスト・ウィザード-第5回。

2014年06月21日 00時09分21秒 | ロスト・ウィザード
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―サリアの家―  

「この馬鹿娘がぁーっ!」
 凄まじい怒号が屋敷中に響き渡った。部屋数が50はあろうかというなかなか大きな屋敷全体に響き渡ったのだから、その声量はかなりのものだ。耳元で出されたら、たぶん心臓の弱い者ならショック死出来る。
 その怒号の発生源は40代半ばの、しかしまだまだ若さを身体中にみなぎらせた長身の男であった。
 前髪をあげて香油でカッチリと固めらた黒髪に、口もとには豊かではないが風格のある口髭。また、その服装は黒を基調としたもので統一されていた。その風貌だけ見て取れば、犯罪組織(マフィア)のボスにしか見えない。そんな彼こそがファント領主、セシオン・カーネルソンである。つまり、サリアの父だ。
 彼は激怒していた。こめかみの辺りには針で刺したら血の噴水で水芸が出来るのではないかと思えるほどクッキリと青筋が浮いており、また、その眼光は気の弱い者なら卒倒しかねないほど鋭く怒気を発散させている。
(うあ……。絶対2~3人は惨殺している奴の目だよ………あれは)
 サリアは思わず後退ずさりした。今日の父の怒りっぷりにはかなりの気合いが入っている。ハッキリ言って誘拐犯よりよっぽど恐ろしく見える。
 だが、サリアも父とは誕生以来の付き合いなので、その怖さには多少の耐性もついており、それだけにこのまま恐怖に負けて引く訳にはいかない。生来、負けん気の強い彼女は、例え相手が父親だとて『馬鹿』呼ばわりされては黙っていられないのだ。
「馬鹿とはなによっ!? それにお客様の前で、大声出して怒鳴ることないじゃないっ!!」
「黙れっ!! 『森には盗賊が出るから』と、あれほど行くなと言っておいただろーがっ! 言いつけも守れないで、あまっさえ誘拐されかける奴は馬鹿で充分だっ!」
「仕方がないじゃないっ。だって、他に遊ぶ場所がないんだもの! 大体、森が危ないってゆーのなら、危なくないようにするのがお父さんの仕事でしょっ! さっさと、あの変態誘拐犯の一味を殲滅しちゃいなさいよっ!」
「馬鹿め! それが簡単に出来んから、行くなと言っておるのだーっ!」
 この調子で父と娘の口論は続いて行く。2人の怒りは一向に収まる気配は無く、それどころか更に口論の勢いは過熱(ヒートアップ)して行った。あまりの激しさに、サリアのペットのキャムは部屋の隅で震えている。
「………凄いですね」
 父娘の激戦の勢いに圧倒されつつ、エルミは言う。
「済みません……。主人も娘も頭に血がのぼると見境が無いもので……」
 と、恐縮したように頭を下げたのはまだ若い女性であった。どう高く見積もっても、20代の前半くらいの年齢にしか見えない。エルミは最初、このマリアと名乗る女性をサリアの姉なのかと思ったが、実は母親なのだという。あまりにも若いので継母なのかとも疑ったが、髪の色も顔立ちもサリアにそっくりであった。本当に若いのか、それとも若作りなのか、あるいはその両方なのかは定かではないが、間違いなくサリアの実の母親であるようだ。
「本当にロクにお礼もしないうちに、こんなみっともない喧嘩を始めちゃって……」
 と、マリアはちょっと不機嫌そうな様子で夫と娘の方へと視線を向けた。
「いえ、気にしないでください。娘が誘拐されかけたとなれば怒鳴りたくなるお父さんの気持ちも分かりますし、サリアちゃんも元気があって良いではないですか。
 昨今では、ここまで正面切ってぶつかりあえる親子も珍しいですからね。言いたいことが言い合えるっていうのは良いことですよ。私には親と呼べるものがいませんでしたから羨ましいくらいです」
 エルミは微笑みながら答える。特別マリアに気を使っているようでもなく、本心からの言葉のようだ。
「そ、そうですか? これを見てそう言ってくれたのは貴方が初めてですわ」
 エルミの言葉にマリアは多少戸惑った様子を見せた。まあ、普通の人間ならばこの激しい親子喧嘩を見て『不快』、『恐れ』、『困惑』等の反応を示す場合が殆どだろう。エルミのように好意的な反応されてしまっては、マリアとしてもいつもと勝手が違うというものだろう。勿論、それはそれで嬉しくもあるが。
「ともかく、娘を助けて頂き本当に有り難う御座いました。主人と娘に成り代わりましてお礼申し上げますわ。
 それで、お礼といっても大したものではありませんが、もしこの地に滞在されるのでしたら、我が屋敷を宿としてご自由にお使い下さい。勿論食事等もこちらで用意致しますし、国へお帰りの際には馬車の手配もいたしましょう」
「それは何から何まで……。では、私も特別裕福でもありませんのでお言葉に甘えさせて貰いましょうか」
 深々と頭をさげるマリアに、エルミも恐縮したように頭を下げた。
「………ところで」
「ハイ?」
「この喧嘩はいつまで続くのでしょうか……?」
 サリアとセシオンの親子喧嘩はいよいよ激しさを増していた。お互いに掴み合っており、乱闘に発展するのも時間の問題であろう。
 そんな2人の姿を見つめながら、マリアは溜め息まじりに、
「いつもなら2時間近く続くのですが……。今日はお客様もいらっしゃることですし、止とめましょうか?」
「……止められるのですか?」
 エルミは胡乱げに言う。少なくとも、自分ならこの激しい親子喧嘩を止めることは出来ないような気がする。と言うか近寄ることすら躊躇われる。マリアのような静かな物腰の女性ならばなおのことであろう。
 しかし、マリアは、
「まあ……本当は飽きるまでやらせてあげた方が後腐れ無くて良いのですけどね」
 嘆息して苦笑した。その表情を見る限り、「なんの心配もいらない」といった感じである。
 そしてマリアは大きく息を吸い込み、
「いいかげんにしなさいっ! サリアも、あなたまでお客様の前でなんですかっ!? そろそろ止(や)めないと向こう1週間夕食を抜きますわよっ!!」
 と、先ほどのセシオンを上回る凄まじい声量で、まくし立てるように一息で怒鳴った。
 エルミは思わず耳を手で塞いだのだが、それでも鼓膜が痛むのだから尋常ではない声量である。これはもう、ある種の技だ。
「………………………ハイ」
 サリアとセシオンも、マリアのあまりの迫力に驚いたのか、お互いに抱き合った体勢のままで身体を硬直させ、小さく返事を返した。
「………一時休戦します……」
 そんな娘と夫の言葉に、マリアはニッコリと笑顔を浮かべる。人の心を安らかにさせるような邪気の無い優しい笑顔だ。
「よろしい」
 マリアは満足げに頷く。それを見て、サリアとセシオンも安堵の溜め息を吐(つ)いたが、お互いが抱き合っていることに今更のように気付いて、ムッとしながら慌てて身体を離す。その父娘の様子をマリアはニコニコしながら見つめていた。
(飴と鞭みたいな人だなぁ………)
 エルミは苦笑しながらそんなことを思う。
 そして、
(サリアちゃんって、お父さんとお母さんのどちらに似たのだろう……?)
 などと疑問に思ったが、いくら考えてもその答えは出なかった。まあ、どちらに似ていたとしても、今と大した変わらぬ、じゃじゃ馬であることには違いないという気はした。


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