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荒野が広がっている。
周囲には人間の手による建築物は無く、それどころかまともな樹木すらも見あたらない。ただ、大地に薄らと草が生い茂っているのみだ。ものの見事に何も無い。
小高い丘の上に黒い3つ首の竜の姿があった。その中央の頭の上には、銀髪の女性――シグルーンが静かに佇んでいる。
彼女は寂しげな眼差しで、周囲の風景に見入っている。この一面に広がる荒野は、かつてアースガルと呼ばれた彼女の故郷であった。
しかし、今は何も無い。竜の攻撃によって全てが焼き払われてしまった。
否(いや)――、
シグルーンは静かに首を横に振る。だが、それは諦観や絶望から来る物ではない。『何も無い』、そんな自身の心に浮かんだ言葉を否定する為にだ。
確かにこの荒野には、彼女達以外には取り立てて目立つ存在は見あたらない。しかし数年前に訪れた時には、ここは焼け焦げた焦土でしかなかった。
ところがである、そんな焦土にも今や疎らにではあるが確実に緑が蘇り始めている。おそらく、何十年、何百年と時間をかけて、ここは緑豊かな森へと変わっていくだろう。
(この土地はまだ生きている……)
シグルーンにはそれだけで充分であるように思えた。
それから彼女は暫くの間、周囲の風景を眺め続けていたが、
「クロ、もういいわ。そろそろ行かないとアルベルト殿との会談に間に合わなくなるもの。クラサハードの首都に向けて飛んでちょうだい」
と、3つ首の竜に呼び掛ける。
《ハッ、御館様》
主の命を受けて竜は空高く舞い上がる。しかし、その瞬間、
「ん……?」
シグルーンは何かに気が付いた。
《いかがなされましたか、御館様?》
「……ううん、何でもないわ。邪気は以前よりもかなり弱まっているようだし……問題無いでしょう。行ってちょうだい」
《……ハッ》
シグルーンの言葉にクロは怪訝そうなな表情を一瞬浮かべたが、主の言葉に従うことにした。
クロは高速でクラサハードの首都目掛けて飛翔する。その背でシグルーンは一度だけアースガルの方を振り返り、小さく呟いた。
「竜の血の支配は克服できたのかしらね……?」
そんな言葉を残して、シグルーンを乗せたクロの姿は、やがて点のように小さくなっていき、そして見えなくなった。
唐突に荒れ果てた地面から人の腕が生えた。腕は手近な岩を掴み、まだ地に埋没している部分を引き抜くかのように力を込める。すると、腕に続いて、肩、頭と、次々に人間の青年の上半身が地面から現れた。
「………………」
青年は、半分地面に埋まったままで、暫し寝ぼけているかのような虚ろな視線を空へと向けていた。だが、徐々に目の焦点が定まってくる。
「……ようやく身体の再生が終わったか。……あれから何年が経ったのやら。随分と手酷くやられたものだ……」
それから青年は、地面から全身を引き抜いて立ち上がった。
「…………どうやら奴らに挑むのは、本当に100年早かったようだな」
そう呟いて、青年は苦笑を浮かべた。それは苦笑ながらも、どことなくスッキリとした爽やかな印象があった。
「それでは、100年後に出直すとするか……」
青年はこともなげにそう言った。おそらくそれは、ほとんどの人間は経験することのできない永い時間であろう。しかし竜の血を持つ彼にならば決して永い時ではない。むしろこれから彼が乗り越えなければならない多くの壁のことを想えば、100年という時間は短過ぎるのかもしれない。
尤も、これから具体的に何をすればいいのか、いや、何処へ行けばいいのかさえ青年にはよく分からなかったが、彼はゆっくりと荒野を歩き始めた。まるで果ての無いように拡がり、道らしき道も無い荒野だが、必ず何処かへと続く道がある。まずはそれを探す所から、1歩1歩でも確実に進んでいけばいい。
そしてその道の果てで、青年は犯した罪を償うのか、それとも新たに罪を重ねてしまうのか、それは今の時点では何者も知ることは叶わなかった。だが、少なくともあらゆる可能性が彼には与えられていた。
この荒野も、世界のありとあらゆる場所へと繋がっているのと同じく、必ず何処かに自らが本当に望み、そして誰の意思にも左右されないで進むことができる道を見つけることができる可能性はある。
無論、それを見つけることができるかどうかは、青年次第だが──。
青年は荒野を進んでいく。あては無いが、迷いも無い確かな足取りで進んでいく。取り敢えずはこれからの永い時を生きる為の、最初の一歩を踏み出すことができた。だからなのか、全く行く先も見えない未来に、青年はさほど不安を感じてはいなかった。
それに彼の頭上には爽やかに晴れ渡った青空が拡がっていた。その下を歩んでいけるだけでも、幸せなことなのかもしれない。それは生きていればこそであり、そして世界があるがままの姿であり続けているからこそなのだから。
そう、世界は今、確かに平和な時代を迎えているのだから。
温かな風が荒野を吹き抜けていく。それに後押しされて、青年は何処までも何処までも歩き続けていった。
―斬竜剣 完―
あとがきへ続く(※更新は不定期。更新した場合はここにリンクを張ります)。
荒野が広がっている。
周囲には人間の手による建築物は無く、それどころかまともな樹木すらも見あたらない。ただ、大地に薄らと草が生い茂っているのみだ。ものの見事に何も無い。
小高い丘の上に黒い3つ首の竜の姿があった。その中央の頭の上には、銀髪の女性――シグルーンが静かに佇んでいる。
彼女は寂しげな眼差しで、周囲の風景に見入っている。この一面に広がる荒野は、かつてアースガルと呼ばれた彼女の故郷であった。
しかし、今は何も無い。竜の攻撃によって全てが焼き払われてしまった。
否(いや)――、
シグルーンは静かに首を横に振る。だが、それは諦観や絶望から来る物ではない。『何も無い』、そんな自身の心に浮かんだ言葉を否定する為にだ。
確かにこの荒野には、彼女達以外には取り立てて目立つ存在は見あたらない。しかし数年前に訪れた時には、ここは焼け焦げた焦土でしかなかった。
ところがである、そんな焦土にも今や疎らにではあるが確実に緑が蘇り始めている。おそらく、何十年、何百年と時間をかけて、ここは緑豊かな森へと変わっていくだろう。
(この土地はまだ生きている……)
シグルーンにはそれだけで充分であるように思えた。
それから彼女は暫くの間、周囲の風景を眺め続けていたが、
「クロ、もういいわ。そろそろ行かないとアルベルト殿との会談に間に合わなくなるもの。クラサハードの首都に向けて飛んでちょうだい」
と、3つ首の竜に呼び掛ける。
《ハッ、御館様》
主の命を受けて竜は空高く舞い上がる。しかし、その瞬間、
「ん……?」
シグルーンは何かに気が付いた。
《いかがなされましたか、御館様?》
「……ううん、何でもないわ。邪気は以前よりもかなり弱まっているようだし……問題無いでしょう。行ってちょうだい」
《……ハッ》
シグルーンの言葉にクロは怪訝そうなな表情を一瞬浮かべたが、主の言葉に従うことにした。
クロは高速でクラサハードの首都目掛けて飛翔する。その背でシグルーンは一度だけアースガルの方を振り返り、小さく呟いた。
「竜の血の支配は克服できたのかしらね……?」
そんな言葉を残して、シグルーンを乗せたクロの姿は、やがて点のように小さくなっていき、そして見えなくなった。
唐突に荒れ果てた地面から人の腕が生えた。腕は手近な岩を掴み、まだ地に埋没している部分を引き抜くかのように力を込める。すると、腕に続いて、肩、頭と、次々に人間の青年の上半身が地面から現れた。
「………………」
青年は、半分地面に埋まったままで、暫し寝ぼけているかのような虚ろな視線を空へと向けていた。だが、徐々に目の焦点が定まってくる。
「……ようやく身体の再生が終わったか。……あれから何年が経ったのやら。随分と手酷くやられたものだ……」
それから青年は、地面から全身を引き抜いて立ち上がった。
「…………どうやら奴らに挑むのは、本当に100年早かったようだな」
そう呟いて、青年は苦笑を浮かべた。それは苦笑ながらも、どことなくスッキリとした爽やかな印象があった。
「それでは、100年後に出直すとするか……」
青年はこともなげにそう言った。おそらくそれは、ほとんどの人間は経験することのできない永い時間であろう。しかし竜の血を持つ彼にならば決して永い時ではない。むしろこれから彼が乗り越えなければならない多くの壁のことを想えば、100年という時間は短過ぎるのかもしれない。
尤も、これから具体的に何をすればいいのか、いや、何処へ行けばいいのかさえ青年にはよく分からなかったが、彼はゆっくりと荒野を歩き始めた。まるで果ての無いように拡がり、道らしき道も無い荒野だが、必ず何処かへと続く道がある。まずはそれを探す所から、1歩1歩でも確実に進んでいけばいい。
そしてその道の果てで、青年は犯した罪を償うのか、それとも新たに罪を重ねてしまうのか、それは今の時点では何者も知ることは叶わなかった。だが、少なくともあらゆる可能性が彼には与えられていた。
この荒野も、世界のありとあらゆる場所へと繋がっているのと同じく、必ず何処かに自らが本当に望み、そして誰の意思にも左右されないで進むことができる道を見つけることができる可能性はある。
無論、それを見つけることができるかどうかは、青年次第だが──。
青年は荒野を進んでいく。あては無いが、迷いも無い確かな足取りで進んでいく。取り敢えずはこれからの永い時を生きる為の、最初の一歩を踏み出すことができた。だからなのか、全く行く先も見えない未来に、青年はさほど不安を感じてはいなかった。
それに彼の頭上には爽やかに晴れ渡った青空が拡がっていた。その下を歩んでいけるだけでも、幸せなことなのかもしれない。それは生きていればこそであり、そして世界があるがままの姿であり続けているからこそなのだから。
そう、世界は今、確かに平和な時代を迎えているのだから。
温かな風が荒野を吹き抜けていく。それに後押しされて、青年は何処までも何処までも歩き続けていった。
―斬竜剣 完―
あとがきへ続く(※更新は不定期。更新した場合はここにリンクを張ります)。
あと、リチャードがラストを飾った理由は私にもよく分からないくらいになんとなくですが、割と初期からこうなる事は決まっていました。