先日、偉大なボーカリストのロニー・ジェイムス・ディオ氏が亡くなられました。
そこで今回は彼が在席していたRAINBOWの中心人物、リッチー・ブラックモアについて話したいと思います。
彼に関しては、多くの方はRAINBOWよりもDeepPurpleのギタリストとしての存在の方がピンと来るかもしれません。
しかし、私はRAINBOW時代こそが彼のギターの真骨頂だと思います。
リッチーという人はやはり、好き勝手にやらせてこそその魅力を発揮するのです。
それは彼が協調性が無いからではなく、むしろ逆かもしれないです。
彼は優れた演奏者であると同時に優れた指揮者です。
言い換えると、バンドの方向性をしっかりと形作り、自分のやりたい音楽をバンドに還元昇華することができるということですかね。
彼の音楽性は一言で言うと、クラシック・ロック・ブルースの融合でしょう。
そして忘れてはいけないのが、ケルトなどのヨーロッパの古い音楽です。
歴史的に見てもクラシックとロックの融合を最初に試みた一人と言えますね。
ロックのリズムや自由度とクラシックのメロディや荘厳さを両立させるための音楽が彼の音楽です。
DeepPurpleはメンバーの個性が強すぎたし、またメンバーの音楽性がバラバラでした。
ここではリッチーの音楽は完璧には体現されていませんね。
そのPurpleを脱退して組んだRAINBOWでは、一作目からリッチーの世界を早くも展開しています。
そして二作目の『Rising』では、その世界がさらに完成型に近づきます。
もちろんその世界の表現にディオ、またドラマーのコージー・パウエルが大きく貢献したのは言うまでもないです。
この頃のRAINBOWは日本では俗に“三頭政治時代”と呼ばれ、スタジオ・ライブに三人がバンドの中心となり大暴れしていた時代です。
代表曲、Kill the kingやStargazerもこの頃生まれました。
メロディックとヘヴィサウンド、そして重苦しい歌詞に加え非常に自由度の高い演奏陣。
この頃のRAINBOWは無敵ですね。
まさにクラシックとロックの融合。
曲的にも演奏的にも文句ナシです。
ところが、リッチー・ブラックモアの目指す音楽が段々変化してきたため、ロニーとコージーは脱退してしまいます。
リッチーの音楽がさらなる進化を遂げるためにはもはやハードロックに固執している訳にはいきません。
さらなるメロディックを求めたリッチーは、従来のハードロック路線からは少しずれて、ポップなサウンドを取り入れます。
ファンの間ではここでよく意見が割れるんですが、諸評論家の方も言うとおり後期RAINBOWはハードさを失ったのではなく、ハードを保ちつつ、もっと大きな意味でのロックサウンドを新たに創造しようとしたのだと思います。
つまり、ハードロックとポップの融合。80年代によくある安易なハードロック方法論を取り入れたポップではなく、真の意味での融合です。
ハードロックには誇りがある。その誇りを失ったものは偽物ハードロックとして、また新たな音楽を生み出します。
後期にしても、Spotlight Kid、Death arley driverなどは本当にハードロックしてるし、またポップな面も持っている。
いくらサウンドが軽くなったとしても、その根幹にはハードロックやクラシックの誇りがある。
リッチー・ブラックモアの音楽はそういうものです。
また彼はスタジオミュージシャンも経験しているし、ロカビリーバンドに在籍していた事もあります。
やはり彼の音楽は一言ではなかなか語る事はできません。
本当に色々な要素が彼の曲には詰まっています。
RAINBOWの音楽性の変遷も、リッチーの音楽性を考えたら、また自然なのかもしれませんね。
本当に素晴らしい音楽家ですね。
あ、余談ですが彼もストラトキャスターの虜になった一人で、DeepPurple~RAINBOWまでは一貫してストラトキャスターを弾き続けています。
ハードロック系のストラト奏者で私が一番好きなのは、このリッチー・ブラックモアです。
音色や弾き方は本当にかっこいいですし、憧れます。
そういった点でも、私が目標にしているギタリストの一人です。
ちなみに今のところ私の中での彼のベストソロはGates of babylonのギターソロです。
音色、展開、ニュアンス、感情移入の仕方など、非の打ち所がありません。
機会があれば、ぜひ聴いてみてください。
ではまた。
そこで今回は彼が在席していたRAINBOWの中心人物、リッチー・ブラックモアについて話したいと思います。
彼に関しては、多くの方はRAINBOWよりもDeepPurpleのギタリストとしての存在の方がピンと来るかもしれません。
しかし、私はRAINBOW時代こそが彼のギターの真骨頂だと思います。
リッチーという人はやはり、好き勝手にやらせてこそその魅力を発揮するのです。
それは彼が協調性が無いからではなく、むしろ逆かもしれないです。
彼は優れた演奏者であると同時に優れた指揮者です。
言い換えると、バンドの方向性をしっかりと形作り、自分のやりたい音楽をバンドに還元昇華することができるということですかね。
彼の音楽性は一言で言うと、クラシック・ロック・ブルースの融合でしょう。
そして忘れてはいけないのが、ケルトなどのヨーロッパの古い音楽です。
歴史的に見てもクラシックとロックの融合を最初に試みた一人と言えますね。
ロックのリズムや自由度とクラシックのメロディや荘厳さを両立させるための音楽が彼の音楽です。
DeepPurpleはメンバーの個性が強すぎたし、またメンバーの音楽性がバラバラでした。
ここではリッチーの音楽は完璧には体現されていませんね。
そのPurpleを脱退して組んだRAINBOWでは、一作目からリッチーの世界を早くも展開しています。
そして二作目の『Rising』では、その世界がさらに完成型に近づきます。
もちろんその世界の表現にディオ、またドラマーのコージー・パウエルが大きく貢献したのは言うまでもないです。
この頃のRAINBOWは日本では俗に“三頭政治時代”と呼ばれ、スタジオ・ライブに三人がバンドの中心となり大暴れしていた時代です。
代表曲、Kill the kingやStargazerもこの頃生まれました。
メロディックとヘヴィサウンド、そして重苦しい歌詞に加え非常に自由度の高い演奏陣。
この頃のRAINBOWは無敵ですね。
まさにクラシックとロックの融合。
曲的にも演奏的にも文句ナシです。
ところが、リッチー・ブラックモアの目指す音楽が段々変化してきたため、ロニーとコージーは脱退してしまいます。
リッチーの音楽がさらなる進化を遂げるためにはもはやハードロックに固執している訳にはいきません。
さらなるメロディックを求めたリッチーは、従来のハードロック路線からは少しずれて、ポップなサウンドを取り入れます。
ファンの間ではここでよく意見が割れるんですが、諸評論家の方も言うとおり後期RAINBOWはハードさを失ったのではなく、ハードを保ちつつ、もっと大きな意味でのロックサウンドを新たに創造しようとしたのだと思います。
つまり、ハードロックとポップの融合。80年代によくある安易なハードロック方法論を取り入れたポップではなく、真の意味での融合です。
ハードロックには誇りがある。その誇りを失ったものは偽物ハードロックとして、また新たな音楽を生み出します。
後期にしても、Spotlight Kid、Death arley driverなどは本当にハードロックしてるし、またポップな面も持っている。
いくらサウンドが軽くなったとしても、その根幹にはハードロックやクラシックの誇りがある。
リッチー・ブラックモアの音楽はそういうものです。
また彼はスタジオミュージシャンも経験しているし、ロカビリーバンドに在籍していた事もあります。
やはり彼の音楽は一言ではなかなか語る事はできません。
本当に色々な要素が彼の曲には詰まっています。
RAINBOWの音楽性の変遷も、リッチーの音楽性を考えたら、また自然なのかもしれませんね。
本当に素晴らしい音楽家ですね。
あ、余談ですが彼もストラトキャスターの虜になった一人で、DeepPurple~RAINBOWまでは一貫してストラトキャスターを弾き続けています。
ハードロック系のストラト奏者で私が一番好きなのは、このリッチー・ブラックモアです。
音色や弾き方は本当にかっこいいですし、憧れます。
そういった点でも、私が目標にしているギタリストの一人です。
ちなみに今のところ私の中での彼のベストソロはGates of babylonのギターソロです。
音色、展開、ニュアンス、感情移入の仕方など、非の打ち所がありません。
機会があれば、ぜひ聴いてみてください。
ではまた。
そうだね。
もちろんグラハムは単なるロニーの代わりじゃないと私も思う。
ただちょうどいいタイミングでグラハムが加入したからこそのDown to earthだし、リッチーがポップ路線をもっと打ち出してたらコージーもとっくに脱退しただろうしね。
グラハムのセンスとコージーの意地、リッチーの意向が入り混じったのがDown to earthかなと。
あの時点でリッチーは“アメリカでも受けるハードロック”を思い描いていたはずだしね。