【巨人】松井氏の巨人魂は永久に不滅です 感謝伝えた引退あいさつ
http://news.goo.ne.jp/article/hochi/sports/20130506-134-OHT1T00011.html
2013年5月6日(月)06:01
(スポーツ報知)
国民栄誉賞授与式の前に、松井秀喜氏の引退セレモニーが5日、行われた。ファンへのあいさつでは「もう二度とここに戻ることを許されないと思っていました。感激で胸がいっぱいです」と感無量の表情。「僕の心の中には、常にジャイアンツが存在し続けます。またいつかお会いできることを夢見て、新たに出発したいと思います」と締めくくった。
暗闇にスポットライトが当たった。凛(りん)とした松井氏がいた。一塁側通路から姿を見せた。「マツイ~」。泣き叫ぶような歓声を合図に、東京ドームは、熱狂的と書くのが陳腐なほどの空気に包まれた。静まり返った場内に「4番 センター 松井」のアナウンスが響いた直後だった。11年間の空白を埋めるように、ゆっくりと本拠地を歩いていく。マイクの前に立ち、背筋をピンと伸ばした。「ジャイアンツファンの皆さま、お久しぶりです」。緊張からか第一声は甲高い。表情は、感極まっていた。
02年オフにメジャー移籍を表明した瞬間から、巨人復帰は現実的なものではなくなっていた。退路を断っての挑戦でなければ、巨人の4番として海を渡る意味がないと考えていたからだ。「もう二度とここに戻ることを許されないと思っていました。今、感激で胸がいっぱいです」。このグラウンドに帰ってきたことが「感慨深い」と明かした。
本音を吐き出したのは締めくくりだった。「もう一度プレーする姿をお見せできないのは残念ですが、これからも僕の心の中には、ジャイアンツが存在し続けます。どういう形か分かりませんが、またいつか皆さまにお会いできることを夢見て、新たに出発したいと思います」。いつの日か「巨人・松井」を再びグラウンドで。そう思わせるセリフだった。3分間の予定だったあいさつは、熱を帯びて41秒延びた。胸に響く名スピーチだった。
4日午後、引退セレモニーを前に、こう決意表明していた。「とにかく20年間応援してくれたファンの皆さんへ、感謝の思いを伝えたいんだ」。一夜明け、大観衆の渦に飛び込むと、プロ入りしてから10年間の思い出がよみがえった。「感動した。ここでプレーしていたんだな、と。この声援で元気をもらっていた」。巨人ファンの熱気に背中を押され、「言いたいことは言えた」と満足そうに振り返った。
その後は、オープンカーに乗って、ミスターとともに場内を一周した。ライトスタンドからは自然と「松井コール」が湧き起こった。笑顔で手を振る視線の先で、「夢と感動をありがとう」の横断幕が、誇らしげに揺れていた。
G党に約束!松井氏、巨人監督として戻ってくる
http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/sports/npb/ssp20130506017.html
2013年5月6日(月)07:20
(サンケイスポーツ)
元巨人監督の長嶋茂雄氏(77)、巨人や米大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(38)への国民栄誉賞授与式が5日、東京ドームで巨人-広島の前に行われた。昨年末に引退を表明した松井氏は始球式で、2002年11月23日のファン感謝デー以来、3816日ぶりに巨人のユニホーム姿を披露。引退セレモニーではファンに「またいつか、みなさまにお会いできることを夢見て、また新たに出発したいと思います」と近い将来、巨人の指導者として東京ドームに戻ってくることを約束した。
永遠の別れを告げたはずの場所に松井氏は立っていた。今季最多の4万6707人が見守る中、「4番、センター、松井」のアナウンスで送り出された引退セレモニー。長嶋氏、王貞治・ソフトバンク球団会長(72)、巨人・原辰徳監督(54)ら尊敬する大先輩たちに見守られ、緊張した面持ちでマイクの前に歩を進めた。
「もう二度と、ここに戻ることを許されないと思っていました。しかしきょう、東京ドームのグラウンドに立たせていただいていることに今、感激で胸がいっぱいです」
“国民的行事”に備えてニューヨークの自宅でiPad(携帯端末)を駆使しながら何度も考え、口にしてはまた考え直すといった作業を繰り返した。そうして練り上げた文言に、観客席では胸を打たれて涙するファンの姿も見られた。
3日の帰国後は長嶋邸訪問やセレモニーの打ち合わせなど多忙をきわめた。晴れ舞台への緊張が高まる中、長嶋氏と何万回も繰り返した素振りが気持ちを落ち着かせてくれた。帰宅後、スーツの上着を脱ぎネクタイを外し、窓越しに光る東京の夜景を目にしながら黒塗りのマスコットバットを振り込んだ。「最近、やってなかったから」と空気を切る音に往年の鋭さはなかったが、心は穏やかになった。
「どういう形か分かりませんがまたいつか、みなさまにお会いできることを夢見て、また新たに出発したいと思います」
始球式では2002年11月23日のファン感謝デー以来、3816日ぶりに巨人のユニホームに袖を通した。11年前は巨人ファンを裏切ることになると悩んだ末に、二度と日本球界に戻らない覚悟でフリーエージェント権を行使してのメジャー挑戦を決意。「ここ(東京ドーム)ではもうプレーできないという多少の寂しさはある。でも、前向きにやらないと。お礼と感謝の気持ちでいっぱいです」とファンに別れを告げた。そして、この日は近い将来、指導者として戻るという希望を初めて公の場で明かした。
長嶋氏も巨人監督という具体的な言葉こそ避けたが、復帰を後押しする。「松井君の場合、野球一筋だと思います。これからの仕事は野球道に対して精いっぱいやると思いますけど、日本人としてやるからには、やっぱり国民に対して応援するような形でやるべきだと思います」
指導者としての巨人復帰実現のキーマンで、松井氏を将来の監督候補に挙げている渡辺恒雄球団会長(86)=読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆=は、球場でセレモニーから試合終了まで見届けた。帰り際に「松井氏と近い将来の話をした? きょうはしない。近く会う。お父さんには頼んでおいた」と松井氏の父・昌雄氏(71)に意向を伝えたことを明かした。原監督からバトンを受け取る日がやがて来る-。ファンがそう確信した5・5の宴だった。