咸鏡北道では新しいトンネルが掘られ、掘削した土石が積み上げられ、その量から500mと推定されていると、かねがねつたえられていたが、いよいよ、実験に踏み切るか。
各紙は、日中韓の共同声明から、北鮮が抜けたと報じている。
●共同宣言「北の核」触れず…中国難色、1日遅れ
読売新聞 5月14日(月)13時15分配信
●中国との温度差解消できず=北朝鮮言及なしに不満残す―韓国
時事通信 5月14日(月)12時19分配信
●韓日中首脳が共同宣言を採択…北朝鮮関連の内容は抜ける
中央日報日本語版 5月14日(月)15時28分配信
●日中韓サミット 日本、痛い外交敗北 対北牽制 中国が拒否
産経新聞夕刊・平成24年 (2012) 5月14日
文言調整の遅れで日中韓3カ国首脳会議(日中韓サミット)から丸1日たった14日午前に発表された共同宣言。北朝鮮に関する記述がごっそりと抜け落ちたのは、金正恩体制との「対話」を重視する中国の意向が大きい。4月の長距離弾道ミサイル発射を受け、3度目の核実験を牽制(けんせい)したかった日本は手痛い「外交敗北」を喫した。(北京 桑原雄尚)
「共同宣言で言及はなかったが、基本的な考え方は3首脳で共有していますね」。野田佳彦首相は14日午前、北京の人民大会堂で会談した中国の胡錦濤国家主席、李明博大統領にこう言って念を押した。
だが、北朝鮮を名指しできなかったのは日本にとり不本意だった。藤村修官房長官は14日の記者会見で「3カ国で表現について議論を重ねた結果、記述がなくなった」とあけすけに舞台裏を明かした。
昨年5月の日中韓サミットの宣言では、「北朝鮮が主張するウラン濃縮計画」に懸念を表明。日韓両国は今回も、ミサイル発射を受けて国連安保理が4月に出した議長声明を踏襲し、北朝鮮を「強く非難」するよう主張したが、中国に拒否された。
実は、中国と日韓両国のほころびは、共同宣言を発表するはずだった13日の共同記者会見に表れていた。
「各国は辛抱強さを保って善意を示し、対抗を緩和して対話と交渉の正しい道に戻るよう努力すべきだ」
こう対話を訴えた中国の温家宝首相。日韓が圧力をかけようとしたのとは対照的だった。中国の主導による「文言削除」で、今後、中国や北朝鮮に主導権を握られる恐れがある。
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知られていうるように、薄煕来・王立軍は毛沢東回帰運動の旗手であった。
胡錦濤国・温家宝の無視出来るモノではなかった。
全国人民代表大会(全人代、国会に相当)閉幕の翌日の3月14日、恒例の温家宝首相の記者会見が行われ、温氏は外国人記者の質問に答え、「文化大革命の誤りと封建的な影響は完全に除去されていない」と語った。
米国は、王立軍の「重慶」での動静を逐一掌握していたといわれる。
薄煕来・王立軍は無実の経済人を50名は死刑にしたとつたえられる。
カナダのトロントでは香港の人物が40階建たの高層マンションをドンドン建てていて、重慶での王立軍の粛正から逃れてきた、亡命した経済人が集団で住んでいる。カナダでは、80万カナダドルで不動産と金融資産80万カナダドルの合計160万カナダドルで国籍買える。80万カナダドルで香港の人物が建てた高級マンションを買えばいいわけだ。
トロントと米国の国境に近く、トロントの米国領事館のネットワークに引っかかっていた。
犯罪人の王立軍の亡命を米国は拒否した。
そんな綺麗事ではなく、5月3、4日に北京で行われた米中戦略・経済対話に関係があるものと思われる。
その後の人権活動家陳氏の亡命にも影響していよう、米国は胡錦涛・温家宝に貸しをつくったとも云われる。
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以下も他紙の記事の引用で恐縮ですが、北京のネットでの流言飛語が出鱈目ではなかったようです。
●失脚で漏れてきた「薄煕来の軍事クーデター計画」は第2文化大革命寸前だった
SPIO 2012 5月16日日号。
中国共産党の重慶市委員会書記を解任された薄煕来氏が2月、腹心だった王立軍・副市長が北京に身柄を移送された事を知り、地元の重慶にしている解放軍部隊を動かしてクーデーターを計画していいたことが明らかになった。
計画は事前に漏れ実行には至らなかったが、一歩間違えば文化大革命(1966~76年)で多発した軍や民兵組織などによる武闘に発展した可能性も有り、極めて緊迫した状況だったことが改めて分かった。
北京の中国筋によると、王氏が四川省・成都市の米国領事館に駆け込んだ際、パトカーや軍の装甲車両など数十台が総領事館を取り囲み、今にも攻撃が始まるかのような状況だった。その際、薄煕来は5000丁の自動小銃と50万発の弾丸を用意していたという。
しかし、2月7日夜、北京から国家安全省や中央規律検査委員会のほか。国防省の将校も派遣され、王氏の身柄が確保、北京に移送されると、薄煕来氏は翌8日、重慶駐留部隊を率いて、軍用機で雲南省昆明市に移動した。
昆明は重慶市、四川省や雲南省、チベット自治区などを管轄する成都軍区の主要基地が置かれている。さらに薄煕来の父親で、新中国建国の元老である薄一波が国共内戦中、第14集団軍の軍事拠点を置き、その司令官を務めたところ。それだけに、薄煕来にとっては、最もも頼れる軍事基地だった。、
だが、その動きは直ぐ中央に察知され、胡錦濤主席の命令によって多数の軍が昆明に向けて進軍しているとの情報が入ったことから、薄煕来氏は中央の軍を迎え撃つことも考えたが、多数に無勢だけに、重慶市に戻るしか無かったいう。
薄煕来氏が玉砕か覚悟で中央の軍を迎え撃っていれば、両軍による軍事衝突が起き、大きな混乱が発生した可能性が高いのだが、いずれにしても薄煕来は無事では済まなかったことは容易に想像できる。その後北京でクーデーター騒ぎが起きたとツイッターなどに囁かれたが、これからの経緯から見ると、北京でのクーデーター騒ぎはそれほど信憑性がなかったわけではない。
同筋によると、軍事クーデター計画は事前に漏れており、薄煕来の陰謀はいずれ破綻する運命だったのは確かだ。それは、昨年11月10日、胡主席がAPECでハワイを訪問した留守をねらって重慶で軍事演習を行ったためである。
中国国営新華社電によると、この演習は「成都軍区の国動委(国家国防動員委員会)第六次全体会議実兵演習訓練」で、重慶市が自然災害に襲われた際、軍が出勤して、重慶市民を守るというのが基本的なコンセプトだった。
すでにこの時点では、王副市長から薄煕来の腐敗問題などが党中央に報告されており、胡主席や温家宝首相は薄煕来や重慶市の腹心の動きに警戒。
演習後、現地で軍の指揮を執っていた梁光裂・国防相から薄煕来にクーデーター実行の恐れがあることや、軍の装備などが細かく報告されていた。
薄煕来はもはや袋の状態だったわけで、3月初旬、全国人民代表大会に主席するため、何食わぬ顔で北京入りした薄煕来が身柄を拘束されたのは当然だった。
薄煕来氏を支持していた上海閥や次期最高指導者めされる習近平副主席が中心の太子党閥にとって、薄煕来の身柄拘束は避けたかった。だが、王氏が米国総領事館に駆け込んだ際、持参していた機密事項が米政府に渡っており、「訪米していた習副主席に米高官から書類の存在が明かされたため、習副主席は薄煕来を救うことを諦めざるを得なかった」と同筋は明らかにする。
●軍首脳、クーデターの噂におびえたか? 各軍管区を視察
宮崎正弘メールマガジン4月26日号
胡錦涛は軍事委員会主任である。いってみれば統帥権を持つ。
現在の党中央軍事委員会は、主席が胡錦涛、副主席が習近平と徐才厚、郭伯雄の三人(いずれも政治局員である)。ついでに言えば、党中央軍事委員会の委員は陳丙徳(参謀総長)、梁光烈(国防部長)、李継耐(総後勤部部長)が続き、いずれも定年を迎えるから秋の党大会で引退の予定。
のこる中央委員は寥錫竜、許其亮、呉勝利、靖志遠、常万全の五人だ。
胡錦涛は直ちに軍副主任らに各軍管区への緊急視察を命じた。
同時に軍は矢継ぎ早に「党中央への忠誠と誓い合う」支持をとばした。
2月17日、徐才厚はただちに総参謀部に出向き、種々の支持を行っている。
2月18日、郭伯雄は南京軍区の部隊を視察し、団結とさらなる研鑽と綱紀粛正を強調した。そして「どんな境遇にあろうとも党主席の胡錦涛の指示に従え」と述べた。
同月24日には北京軍区を視察した。
2月末から三月中旬までに軍幹部の動きが目立たないのは全人代が二週間にわたって北京で開催されていたからである。
全人代直後、薄煕来の失脚が明らかとなる。
一週間をおかず3月24日、徐才厚は河北省と福建省の部隊を訪問し、団結と胡錦涛の支持に従うことを強調し、同月28日には新彊ウィグル自治区の軍部隊を視察した。
4月6日から16日にかけて梁光烈国防部長は広東、広西チワン自治区の部隊を訪問し、「三個代表論」の重要性を説きつつ、海防に怠りなきよう訓示して歩いた。
4月14日、郭伯雄は成都軍区に飛び「軍ならびに武装警察諸隊は中央の命令に従い、党中枢の指針に基づいて行動するように」と訓示を垂れた。
4月16日には徐才厚が瀋陽軍区を訪れ、同様な訓辞、4月25日には河北省の部隊を訪問した。