納屋がなかなか進みません!

漆喰かべがなかなか・・・・いつできるんでしょうかね?
左官屋さんが忙しいそうです!
中国から部品が入らないので、トイレも風呂も台所も部品が間に合わなくって出荷できないそうです。
うちのトイレは先に押えていたので大丈夫だそうです。
世の中コロナで大騒ぎの中、
ひまなおじんが集まって玉島の良寛さんを見に・・・・・
圓通寺です。

ここは曹洞宗の禅寺です。
良寛さんは信州からここにきて12年間修業をしたそうです。

桜の季節には見事なさくらが咲きます。

そのあと玉島の街を散策

玉島は北前船も帰港する商業港で、備中松山藩の飛び地でした。
関東の開拓に一役かった「備中鍬」もここから江戸に船で直送したそうな!殿が玉島にきたときの宿泊所です。

いまはお雛さまなんかを飾っていますが

ここでは、幕末の熊田 恰(くまだあたか)が切腹したそうです。

当時、備中松山藩の藩主板倉勝清は老中筆頭で家老の山田方谷が支えていました。
「大政奉還」を起草したのは山田方谷がささえる板倉勝清だと言われています。
板倉勝清は結局、函館の五稜郭迄逃げてその時の護衛が熊田恰です。

結局、新政府側の備前岡山藩に攻めよられて、部下百数名の命を守るために責任をとって、熊田恰が切腹してことでおさまりました。
五稜郭迄逃げていた殿は山田方谷はじめ備中藩士のご苦労で助命されたそうな!

切腹した部屋です。
熊田恰は玉島の街を戦火から救ったということで羽黒神社に祭られています。

羽黒神社といううだけあって烏天狗ですね!

古い町並みを抜けて

この崩れ具合!さすがですね!
お昼予約はこの武田屋さんです。
まあ、値段の割にはあれです!よし牛のほうが好きかも!
この日の目玉は・・・・良寛記念館!
ここは武田屋の裏のバラック小屋です!
なんと日本中から良寛さんの像!

これが見事な木彫りも

見ものです!むぞうさにひな壇に並べられてるだけですが!
それに書き物!掛け軸!

真跡となってますが・・・・ホントですか?????

この掛け軸、ほんとに本物真跡なら一本百万では・・・・4,5百万は!
木彫りの良寛像にしろ、掛け軸にしろ・・・・いいものを見せていただきました!
そのあと喜楽亭でお茶をいただいて・・・・本格的な接待でした!
そこのお店に展示されてた葉っぱのお盆に一目ぼれ!
買っちゃいました!

展示中の影響で艶が落ちてました。
30分ほど布磨き・・・・本漆の重ね塗りです!

布磨きでもっときれいになるでしょう、楽しみです。