おとぎのお家と青い鳥

本ブログでは、主に人間が本来持つべき愛や優しさ、温もり、友情、勇気などをエンターテイメントの世界を通じて訴えていきます。

~青春うたものがたりシリーズ2~幸せという名の不幸 1

2011-09-23 21:23:38 | 人・愛・夢・歌・宿命・運命・家族・社会

本日より新たにスタートする、~青春うたものがたり2~『幸せという名の不幸』は、あなたにとって、母と子の絆とは何なのか?あなたにとって、家族の存在とは何か?その人間(ひと)としての答えを一緒になって考えさせてくれる、“人間の生”というものが作り出す幸と不幸のヒューマニズムに溢れた作品です。また同時に、人の運命って一度狂ってしまうとこんなにもさまざまな束縛や、抑圧による非人間的状態に晒されてしまうのか?と思わなくならざるを得ないような、その人が持つ宿命の陽と陰とを関係を一人の女性の人生を通じて見せてくれる涙と感動の作品でもあります。

1_2企画 / 下家 猪誠 / 猪 寿
第1話/ 突然、母を襲った病魔
~狂い始めた私の人生時計~

こんな寂しい夜だから

Lost love 失恋したての こんな寂しい夜だから

少しくらいお酒を飲んで グチってもいいでしょう

こんな日くらい 意地悪な恋の神様だって 許してくれるでしょう

Broken heart 孤独な胸のうち 誰かに分かって欲しくて

仲のいい友達に電話を入れたけど 留守電コール
 
今日はクリスマスイブだもの こんな男と女が恋愛(こい)の魔法にかかって

夢の中を旅する夜に 家なんかにいるわけがないわよね

「あの娘は私と違って、モテるんだもの・・・」

化粧を落とす鏡の中の ah自分に自分で失恋話している

そんな姿が悲しくて ah勝手に涙が溢れてくる

Anyone is good It is good only tonight.

ああ誰か今夜だけでいいから 何も言わずにその温かい腕の中で眠らせて欲しい


小山ありさは、半年前まで品川区の上大崎にある外資系の一流の菓子メーカーJKに勤めるOLだった。

だが、半年前に母洋子が突然脳溢血で倒れて意識不明になり、下半身不随となって入院したのをきっかけに、洋子の病気の面倒を見るために、せっかく六大大学のひとつであるWを奨学金制度を利用して卒業し、五年間も務めた会社を辞める決心をした。

母の洋子や妹の舞、それに弟の大輔はありさからその話を聞き、彼女の行く末を心配して一応に反対はしたが、彼女の意思はガンとして固く変わることはなかった。
それには、彼女なりの理由があった。

それは、どんな理由でそうなったのかは、未だに一度もその真相について洋子に尋ねたことはないが、ありさが小学二年生のときに父と母は離婚した。

そのために、ずっとありさは子供のときから、洋子が女手ひとつで彼女たち三人の子供を育てるために、昼間は自宅がある和田掘り近くのスーパーのレジ係のパートをし、夜は笹塚にあるスナックでホステスをして働き、その苦労している姿を直に見ているからだった。

おまけに、洋子の帰宅が遅いときなどには、ありさが舞や大輔の食事を作ったり風呂に入れてあげたりするなどして、洋子の代わりに母親代わりになって世話してあげることも多かった。

おまけに、いくら育英資金(奨学金制度)を利用したとはいえ、あんなに貧しい生活の中で自分を大学にまで行かせてくれた洋子の思いやりに対して、ありさは洋子に母親とであるということと同時に、ひとりの尊敬する人間としても大きな恩恵を感じていた。

でも、誰かに“洋子さんはあなたの母親なのだから、そんなことは当たり前のことでしょう・・・”と言われれば、それは確かにそうだし間違いないことではあるが、ありさにとっては誰がどんなことを言ってどういう風に受け止めようが、そんなことは一切関係なかった。

それは、ありさ自身が子供のときから洋子の姿を、常にほかの誰よりも間近で見て来て、彼女が三人の子供を育てるためにどんなに苦労していたのか、その本当の姿のすべてを一番よく誰よりも知っているからだった。

ただ、ありさが会社を辞めて洋子の病気の面倒を見ることを決めたのは、そのことだけが、実際の理由ではなかった。

それは、やはり人間の運命には、幸運や悲運の巡り会わせがあるのだろうか。

ちょうど、洋子が脳溢血で倒れて入院したときには、大泉首相が運悪く“痛みをともなう改革”(医療補助費の削減と保険料の値上げ)を政治スローガンに掲げて、それを実行している真最中だった。

そのために、そのあおりをまともにくって、かなりこれまでより洋子の入院費の支払いが高くなることになった。

そのせいで、これまではありさの収入だけでなんとかやりくり出来ていた、洋子の入院費と家の方の生活費の負担のやりくりの目処を立てるのがかなり難しくなって来た。

「お母さん大丈夫よ。私が会社のほかにもうひとつアルバイトを探せば済むことだから・・・」

ありさはそう言って、洋子をこれまでどおりに病院に残って治療を続けるように説得したが、彼女はこれ以上ありさに迷惑がかかるのを心配し、ありさの話に耳を貸すこともなく強引に病院を退院して、家に戻って自宅療養することを決めたからだった。

洋子が家に戻って生活をすると決めた以上は、いくらありさから会社を辞める話を聞き、彼女の行く末を心配して一応に反対したとしても、姉妹弟の中で洋子の面倒を見るのは彼女しかいなかった。

と・・・言うのも、妹の舞は高校のときの同級生の城嶋大樹と“できちゃった婚”で二十歳で所帯を持って家を出て行き、かなり弟の大輔はありさに比べて学力が落ちていて、通常なら大学を受験するような学校の成績ではなかったが、洋子に今の学歴優先の社会体質を考えると男の子だということもあり、どうしても大学だけは出しておきたいという強い思いがあったからである。

そのために、ありさは弟の大輔が子供の頃から、何かにつけては飽きっぽい性格であることを知っていて、このときの洋子の話にはあまり乗り気ではなかったが、会社の仕事で疲れている上に、またこの件で彼女とゴチャゴチャと言い争いになって喧嘩になるのも面倒臭かったので、かなり大輔を洋子と二人で強引に口説いて、世間的に三流と呼ばれている五つの大学を受験させた。

そして、その中でようやく二校受かった中の一校の世田谷にあるK大学に、大輔が入学することが決まると、洋子との連盟の名前で政府関連の銀行で教育ローンを組んで金を借り、なんとかかんとか大輔の大学の入学金や学費などを工面して支払った。

だが結局、ありさの悪い予感は当たっていた。

ある日突然、K大学の事務局から連絡があり、大輔が大学に入学して三ヶ月ほど経った七月半ばあたり頃から、まったく大学に行っていないことが分かったのである。

大学からの連絡を受け、ありさが洋子が一緒になって怒り狂って、大輔に対してその真相を問い詰めると、毎朝大学に通っている振りをして家は出て行くものの、その途中で高校時代の悪友たちと合同したり、彼女と会ったりして、新宿の歌舞伎町や渋谷のセンター街などで遊んで時間を潰し、大学の授業が終わる頃を見計らって帰宅していることが分かった。

だが、大輔はまた彼は彼で逆切れして、ありさや洋子に向かって今回の責任のすべては、無理に嫌がる彼を大学に行かせるようにし向けた、二人にあると食って掛って来た。

もうそうなると、三者三様に意見が食い違うようになり、家族特有の親子喧嘩にと広がっていった。

そして結局その結果、せっかくありさと洋子が苦労して工面してつくった入学金などは何の意味もなくなり、大輔は大学を辞める代わりに家を出て行き、彼女の家に居候させてもらいながら、自分で職探しをして自活することになった。

おそらく、その重圧や心労からだろう。

洋子が、突然脳溢血で倒れて意識不明に陥り、救急車で新宿の西口にある帝都病院に運ばれたのは、大輔が家を出てから三日後のことだった。

幸い、偶然にもその日は会社の創立記念日でありさが休みだったために、洋子が脳溢血で倒れた際に、彼女がその場にいて救急車を呼んだり、病院での応急処置を受けたりするのが早かったために、なんとか命だけは取り留めることが出来た。

しかし、洋子は脳溢血で倒れたせいで、まともに動かせるのは右手だけになり、左手や言葉は多少動かせたりしゃべれたりはしたが、まったく下半身は麻痺した状態になった。

そして、その日を境に左手を動かしたり、言葉がしゃべれたりなるようにするためのリハビリはもちろんだが、洋子の車椅子生活の人生が始まった。

ただ、いくら自分の一番大切な母親である洋子が、脳溢血で入院し車椅子の生活になったとはいえ、ありさも会社の仕事があったり家事があったりする以上、いつでもそうそう洋子の傍にだけ付いている訳にはいかなかった。

そのために、かなり生活費のやりくりに苦労するようにはなったが、病院の看護師とは別にありさがいない間に洋子の面倒を見てくれる、女性ヘルパーを病院に紹介してもらい一人雇った。

洋子の入院費に加えて、女性ヘルパー雇ったことや大輔の教育ローンの返済などでかなりの費用が嵩み、とてもありさ一人のOLの稼ぎだけでやっていくのが不可能になったために、ありさは洋子と相談して杉並区の大宮1丁目の和田堀り公園近くにある自宅を売却して、方南町の駅から歩いて五分ほどの、神田川沿いにあるアパートに引っ越すことにした。

この時点の二人のやり取り(会話)は、まだ入院したばかりで洋子がよく口が聞けなかったので、ありさが便箋に書いた文章の内容を洋子が読んで、彼女が首を上下に振って答えるというものだった。

この家は、洋子がありさたち三人の子供を育てながら、昼夜働いてやっと手に入れたマイホームだけに、実際には洋子自身はかなりの思い入れがあるはずなのに、ありさが自分の力ではどうしようもなくってこの話を持ち出したときには、おそらく母親としてこれから苦労を掛ける、わが子へ対する思いやりからだろう・・・何ひとつ文句も言わずににニッコリと笑顔を見せてあっさりと承知してくれた。

それだけに、ありさは複雑な心境にさせられた。

そして思わず、洋子の胸に顔をうずめて大泣きをした。

そのありさの泣き声の大きさには、同室で入院しているほかの患者も驚くほどだった。

ただ、さすがに、きっと洋子だけは「自分のせいでこの子にこんなに苦労を掛けてしまって・・・」と、いま自分の胸の中で大泣きしているそんな我が子の姿を見て、きっと不憫に思ったのだろう。

ありさが気付いた時には、唯一使える右手で彼女の躰を、しっかりと抱きしめていた。

洋子の許しを得て自宅を売却できるようになったおかげで、これまでの息苦しい生活環境から解放されたこともあり、かなりありさもつい数日まで抱えていた様々な問題や悩みから開放され、多少なりとも心にも余裕が持てるようになった。

だが、ありさにはもうひとつ結論を出さなければいけない、大きな問題が残っていた。


それは、大学時代から同じ演劇部に所属し交際をしている、ひとつ年上の櫻井翔太にプロポーズされたことに対して、どうするかの答えを出すことだった。






   いわい れい

◎紹介コメント

当初は正直に言うと、本日より新たにスタートする、~青春うたものがたり2~『幸せという名の不幸』第1回目のゲストについ
て、誰を迎えるべきか?について悩んでいました。ところが、“いわいれいさん”のプロフィールを拝見したら、なんと我が師と僕の人生の出発点と言っても過言ではない新宿にお住まいと同時に、僕が敬愛している「マザー・テレサ」を尊敬する人に掲げているのをではないですか。その2つの文字を目にしたとたん、「あっ!もうこの人しかないな・・・・・」と思いました。れいさんとは、ほとんど正直に言ってお話ししたことはないですが、こんな美人で大勢の方に好かれている方が、六本木や銀座ではなく新宿に住んでいるというのもひとつのエピソードとして面白いですね。


◎プロフィール

いわい れい (Shaoling Jian)
居住地: 東京都新宿区(市ヶ谷駅の近くに居住)
言語: 中国語、日本語
誕生日: 1978年4月3日
ウェイブサイト
http://ameblo.jp/iwai-ray/ いわい れいの目指せ美人道
メールアドレス
iwai-ray@beauty.name



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下家 猪誠









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1 コメント

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孤独な人生・・・・。 (H・Stephen)
2008-06-03 23:41:55
はじめまして。

北国にも初夏の涼しい風が吹いています。

三木 清は、「孤独は山(自然)にはなく、雑踏(都会)の中にある。」と言いましたが、含蓄のあることばですね。山は人を裏切りませんが、友人は簡単に人を裏切ります。裏切られると、悲しくなり孤独感に陥ってしまいます。
「自分は、ひとりぼっちだ!」と思って、「死」を考えたりすることもあります。
人間は、だれでも「孤独だ!寂しい。」と思うときがあるのではないでしょうか。

でも、山本有三の”路傍の石”の中にこんな一節があります。
「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない一生を、本当に生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか。」

聖書は、その根本的な原因は何かを教えています。
何か、あなたのお役に立てれば感謝です。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

私のブログの記事から:「孤独」について書いた箇所。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/c/0b95efb0c3699796b0f607dda87c0bba

      
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