今回を最後の投稿にしようと思います。
前回の更新から早いもので一年が、あっという間の一年が過ぎ去りました。
転移性肺腫瘍はラジオ波治療後の経過観察の中でその勢いを増し
昨年その治療の選択肢を奪い去りました。
大阪の大学病院に戻って「腫瘍が増殖し気管支を閉塞するようなら
放射線治療をしましょう。」と言って下さった放射線科の担当医の言葉を
拠り所に経過観察が続いた・・・そうして先月の事です。
右肺は腫瘍に埋め尽くされ完全に肺機能は失われています。
左肺にも数カ所の腫瘍がその増殖速度を速めているようです。
左鎖骨の転移部は見た目にも明らかに大きくふくれあがり、リンパの流れを
遮断しているのでしょうか、顔と左手がひどく浮腫むようになってきました。
放射線治療で一時は気管支を開く事が出来るかもしれない。
鎖骨の腫瘍を縮小できるかもしれない・・しかし今の妻の体力ではそれすら
かなわない状態になってしまったようです。
「今入院して治療を始めたら・・もう家に帰る事が出来なくなると思います。」
放射線の担当医も脳外科の主治医も「私の家族ならここから先の治療は考えません。」
と・・私は視線を合わせる事が出来ませんでした。
結局全ての治療を放棄して家に帰る事を選択するしかありませんでした。
今年に入ってからはそれでも元気に過ごせていました。
6月に体調を崩し入院した時も担当医の「帰れるうちに家に帰してあげましょう。」
と言う言葉を人ごとのように聞いていましたし、
二度の定位放射線治療で再発増殖した腫瘍を叩きながらも9月までは
それでも元気に過ごせていました。
しかしながら10月に入ると妻の体調は明らかに一段階下がったようでした。
6月の退院時に用意された在宅酸素は24時間稼働するようになってしまい、
その供給量が1㍑が2㍑になりあっという間に機械の限界値の5㍑に・・。
昨日まで出来ていた事が今日には出来なくなると言う恐怖、やるせなさ、むなしさを
妻はどう受け止めているのでしょう。
自分の思う言葉さえ口にする事が難しくなりました。
太陽のようにエネルギッシュに輝いていた妻が放つ弱々しい光を見て
私は今、失うものの大きさを実感しています。
それでも今日が終わりまた明日がくる事を願いながら一緒に過ごします。
その光尽きるまで・・・。
何も分からないまま立ち上げたブログでしたが、皆様のおかげで正面から
この病と向き合う事が出来ました。
最後になりましたが皆様の平穏な時が続く事を念じております。
長らくありがとうございました。
前回の更新から早いもので一年が、あっという間の一年が過ぎ去りました。
転移性肺腫瘍はラジオ波治療後の経過観察の中でその勢いを増し
昨年その治療の選択肢を奪い去りました。
大阪の大学病院に戻って「腫瘍が増殖し気管支を閉塞するようなら
放射線治療をしましょう。」と言って下さった放射線科の担当医の言葉を
拠り所に経過観察が続いた・・・そうして先月の事です。
右肺は腫瘍に埋め尽くされ完全に肺機能は失われています。
左肺にも数カ所の腫瘍がその増殖速度を速めているようです。
左鎖骨の転移部は見た目にも明らかに大きくふくれあがり、リンパの流れを
遮断しているのでしょうか、顔と左手がひどく浮腫むようになってきました。
放射線治療で一時は気管支を開く事が出来るかもしれない。
鎖骨の腫瘍を縮小できるかもしれない・・しかし今の妻の体力ではそれすら
かなわない状態になってしまったようです。
「今入院して治療を始めたら・・もう家に帰る事が出来なくなると思います。」
放射線の担当医も脳外科の主治医も「私の家族ならここから先の治療は考えません。」
と・・私は視線を合わせる事が出来ませんでした。
結局全ての治療を放棄して家に帰る事を選択するしかありませんでした。
今年に入ってからはそれでも元気に過ごせていました。
6月に体調を崩し入院した時も担当医の「帰れるうちに家に帰してあげましょう。」
と言う言葉を人ごとのように聞いていましたし、
二度の定位放射線治療で再発増殖した腫瘍を叩きながらも9月までは
それでも元気に過ごせていました。
しかしながら10月に入ると妻の体調は明らかに一段階下がったようでした。
6月の退院時に用意された在宅酸素は24時間稼働するようになってしまい、
その供給量が1㍑が2㍑になりあっという間に機械の限界値の5㍑に・・。
昨日まで出来ていた事が今日には出来なくなると言う恐怖、やるせなさ、むなしさを
妻はどう受け止めているのでしょう。
自分の思う言葉さえ口にする事が難しくなりました。
太陽のようにエネルギッシュに輝いていた妻が放つ弱々しい光を見て
私は今、失うものの大きさを実感しています。
それでも今日が終わりまた明日がくる事を願いながら一緒に過ごします。
その光尽きるまで・・・。
何も分からないまま立ち上げたブログでしたが、皆様のおかげで正面から
この病と向き合う事が出来ました。
最後になりましたが皆様の平穏な時が続く事を念じております。
長らくありがとうございました。
こんなに頑張ってこられた奥様、ボラリスさん、本当に果敢に闘病されてこられたお二人は、私のお手本です・・
奥様は、ご自宅で、ボラリスさんと一緒にすごされ、今、きっととても安心されておられると思います。
明日も明後日も、もっと先もお二人の穏やかな時間が続きますよう心からお祈りいたします。
ポラリスさんご夫妻の積極的な治療に、
とても勇気づけられながら、
夫の介護をしていました。
本当にありがとうございました。
これから寒くなりますので、ポラリスさんもくれぐれもご自愛ください。
お二人の穏やかな時間がずっと続きますように・・・いつも祈っています。
歩まれていかれるものと思います。奥様とポラリスさんの想いが重なりあい、響きあうことを念じています。ポラリスさんと奥様が手を携えて蕾を緩めて花弁を開く菜の花にうっとりとされているご様子、春を呼び込むお姿・・・・。本当に有難うございます。ご自愛念じています。
先月、悪性髄膜腫の父は、摘出部位周辺に7ヶ所の再発がみつかり、日々が過ぎます。
でも、泣いて人を頼るだけの自分を卒業し、ポラリスさんのように自らが積極的に動こうと決めました。
父の看護をしながら、短大の助教として働き始めました。
ひとりでも多くの人に、病気と向き合う患者と家族のことを、知ってもらいたいと思ったからです。
ポラリスさんがお手本です。
ポラリスさんと奥様との出逢いに、深く感謝申し上げます。
いついつまでも、お二人の手がつながれていますように。
それから、奥様の突然の悲しい知らせを知り、言葉を失って、唯、茫然としてしまいました。
私のところにも、ポラリスさんの優しいお声が聞こえたコメント、沢山の励まし、病気の情報を頂いたこと今、懐かしく思いだします。
ありがとうございました。
奥様を深く愛されたポラリスさん、これからも、目に目えずとも、ずっとポラリスさんのお傍に奥様がおられますね。
奥様のご冥福をお祈りします。
寒い日々が続きます。ポラリスさんもどうぞ、ご自愛なさってください。
奥様のご冥福を心よりお祈りいたします。
私も夫をグリオーマで亡くし、もうすぐ1年になりますが、まだまだ悲しみは消えません。
楽しいこともありますが、この悲しみとは、一生付き合うのだと思っています。
それでいいと思っています。
ポラリスさん、まだまだ大変だと思いますが、なるべくお身体を休めて、ご自愛なさってくださいね。
ポラリスさんと、奥様に感謝をこめて。