再発がわかった時は、まだ体調はごくごく普通の状態でした。
それからは本当に坂道を転げるように体調は悪化する一方でした。
もともと麻痺側の左足は動かないのですが、健側の右体側がそれをカバーして動いていたのでしょう。
健側の状態が悪くなると見る間に体全体の動きが悪く・・・いえ動かなくなりました。
そのうち手の動きが変に彷徨い始めました。
使い慣れたはずの洗面所の蛇口、車いすのブレーキ、妻のために使いやすいように設置した諸々のスイッチ類さえ探し回る
右手の動きに異変を感じました。
ひどい頭痛を訴えました。
夜中に泣きじゃくるほどの痛みを・・・痛み止めなど効くはずもありません。
主治医と何度かのメールのやりとりの末診察・・そして検査の結果空腹時血糖値は592という恐ろしい数値を刻んでいました。
「この数字をみたら帰ってもらうわけにはいきません。」とその場で入院が決められました。
入院した一週目が終わろうとしている今・・・たった一月前のことを思い出します。
あの眩い光に満ちあふれたドームは夢の世界だったのでしょうか。
主治医は今、髄液播種を疑って・・いや半ば確信しているのかもしれません。
今の私は違うほかの原因であるはずだと・・いやいやする子供のように逃げ道を探しています。
入院前の自宅で録画していた救命病棟24時を見ていたときのこと。
心停止した患者の心臓マッサージをしている場面を見て「私はきっと・・きっと帰ってくるから」と私に泣きながら訴えるのです。
揺れ動く私の心にはきつい叫びでした。
今「冬ソナ」を性懲りもなくまた一人で見ながらブログを綴っています。
チュンサンもユジンもたまらなく愛おしいですね・・・。
もう何を書いているのか・・・支離滅裂ですね。
私の心も壊れかけているのでしょうか。
いや・・・それでも。
必ず帰っておいで・・・いつも・・いつまでも見つめているよ。
眼を開けば僕が見える。
眼を開けば僕がいる。
それからは本当に坂道を転げるように体調は悪化する一方でした。
もともと麻痺側の左足は動かないのですが、健側の右体側がそれをカバーして動いていたのでしょう。
健側の状態が悪くなると見る間に体全体の動きが悪く・・・いえ動かなくなりました。
そのうち手の動きが変に彷徨い始めました。
使い慣れたはずの洗面所の蛇口、車いすのブレーキ、妻のために使いやすいように設置した諸々のスイッチ類さえ探し回る
右手の動きに異変を感じました。
ひどい頭痛を訴えました。
夜中に泣きじゃくるほどの痛みを・・・痛み止めなど効くはずもありません。
主治医と何度かのメールのやりとりの末診察・・そして検査の結果空腹時血糖値は592という恐ろしい数値を刻んでいました。
「この数字をみたら帰ってもらうわけにはいきません。」とその場で入院が決められました。
入院した一週目が終わろうとしている今・・・たった一月前のことを思い出します。
あの眩い光に満ちあふれたドームは夢の世界だったのでしょうか。
主治医は今、髄液播種を疑って・・いや半ば確信しているのかもしれません。
今の私は違うほかの原因であるはずだと・・いやいやする子供のように逃げ道を探しています。
入院前の自宅で録画していた救命病棟24時を見ていたときのこと。
心停止した患者の心臓マッサージをしている場面を見て「私はきっと・・きっと帰ってくるから」と私に泣きながら訴えるのです。
揺れ動く私の心にはきつい叫びでした。
今「冬ソナ」を性懲りもなくまた一人で見ながらブログを綴っています。
チュンサンもユジンもたまらなく愛おしいですね・・・。
もう何を書いているのか・・・支離滅裂ですね。
私の心も壊れかけているのでしょうか。
いや・・・それでも。
必ず帰っておいで・・・いつも・・いつまでも見つめているよ。
眼を開けば僕が見える。
眼を開けば僕がいる。