眼を開けば僕がいる。 **BNCTに夢を託して**

悪性脳腫瘍の妻との闘病生活を最新の治験療法(BNCT)や免疫療法の体験を交えて・・・。

たった一月前のこと

2009-10-30 22:19:17 | 迷い
再発がわかった時は、まだ体調はごくごく普通の状態でした。
それからは本当に坂道を転げるように体調は悪化する一方でした。
もともと麻痺側の左足は動かないのですが、健側の右体側がそれをカバーして動いていたのでしょう。
健側の状態が悪くなると見る間に体全体の動きが悪く・・・いえ動かなくなりました。

そのうち手の動きが変に彷徨い始めました。
使い慣れたはずの洗面所の蛇口、車いすのブレーキ、妻のために使いやすいように設置した諸々のスイッチ類さえ探し回る
右手の動きに異変を感じました。
ひどい頭痛を訴えました。
夜中に泣きじゃくるほどの痛みを・・・痛み止めなど効くはずもありません。

主治医と何度かのメールのやりとりの末診察・・そして検査の結果空腹時血糖値は592という恐ろしい数値を刻んでいました。
「この数字をみたら帰ってもらうわけにはいきません。」とその場で入院が決められました。

入院した一週目が終わろうとしている今・・・たった一月前のことを思い出します。
あの眩い光に満ちあふれたドームは夢の世界だったのでしょうか。
主治医は今、髄液播種を疑って・・いや半ば確信しているのかもしれません。
今の私は違うほかの原因であるはずだと・・いやいやする子供のように逃げ道を探しています。

入院前の自宅で録画していた救命病棟24時を見ていたときのこと。
心停止した患者の心臓マッサージをしている場面を見て「私はきっと・・きっと帰ってくるから」と私に泣きながら訴えるのです。
揺れ動く私の心にはきつい叫びでした。

今「冬ソナ」を性懲りもなくまた一人で見ながらブログを綴っています。
チュンサンもユジンもたまらなく愛おしいですね・・・。
もう何を書いているのか・・・支離滅裂ですね。
私の心も壊れかけているのでしょうか。

いや・・・それでも。
必ず帰っておいで・・・いつも・・いつまでも見つめているよ。
眼を開けば僕が見える。

眼を開けば僕がいる。

再発・・・・ですか。

2009-10-11 16:02:48 | 不安と絶望
その瞬間、私の中で時間が止まりました。

10/8にPETを受診し10/9にMRIその後全てのデータを持って定期的な経過観察の外来受診をしました。
PETの結果では全身に新たな転移は見受けられず、鎖骨の骨転移部は前回と変わりなくコントロールされている。
BNCTでたたいた腫瘍は残存しているものの縮小傾向にある。
全く問題ないですねとMRIの画像をスクロールしていた主治医の手が止まりました。

慌ただしく前回のMRIの画像を引っ張り出し慎重に見比べている。
主治医の背中越しに見る画像に嫌な予感が・・・。
これは腫瘍ですね。
妻も同席している事から慎重に言葉を選び「再発」とは言わず、そんな言葉が主治医の口から飛び出してきました。
体は凍り付き・・・頭の中は真っ白になってしまいました。
私の耳元でささやくように「もう放射線は使えませんよ」と・・・ラストチャンスのBNCTであったことは百も承知のはず・・・。
一ヶ月後のMRIを見て手術しましょうと・・・泣き出す妻に「何とかするから」と頭の縫合痕を確認しながら言う主治医の言葉。

選択肢は手術しかない・・・。
去年6月の4度目の手術の後・・・1ヶ月で複数の腫瘍が確認された悪夢がよみがえります。
そうなってしまっては、何かあっても為す術はないと腹をくくった覚悟だったはずなのに・・・
何とかしなければ、何とかしなければという言葉だけが頭の中を駆け巡っている。
表面はこうなった時の覚悟はとっくに出来ていますよと言う顔つきで頭の中は真っ白な状態で診察室を出てきました。
偉そうに身構えていたはずの覚悟は何ともあっけなく崩れ去りました。

院外処方された薬の受け取りと会計を済ませ院内の食堂で昼食を取りました。
冴えない表情に弾まない会話、出てくるのはため息ばかり・・・。
そんなときBGMに流れ出した曲がありました。

もう40年近く前に結婚前の妻と見た「ラ・マンチャの男」のテーマ「The impossible dream」でした。
ピーター・オトゥール扮するドン・キホーテの歌うこの曲に心酔し、私の人生の応援歌と感じ入ったその曲でした。

諦めてたまるか・・・もう一度一から闘おうと誓いました。
この曲を、苦しい闘いのなかにおられる皆様に捧げます。

「The impossible dream」

To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go

To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from afar
To try when you arms too weary
To reach the unreachable star

This is my quest to follow that star
No matter how hopeless ,no matter how far
To fight for the right without question or pause
To be willing
To march into hell for a heavenly cause

And I know
If I'll only be true to this glorious quest
That my heart will lie peacefull and calm
When I'm laid to my rest

And the world will be better for this
That one man scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable stars!

そして一年が・・・

2009-10-03 13:20:16 | 希望
9月29日のその日、私達は東京ドームの喧噪の中におりました。
眩いライトやフラッシュが明滅し歓声やらため息やらの入り混じる中、
元気にペンライトを振りかざし声を振り絞る妻の姿がありました。

一年前のまさにその日、私達は最後の望みを託したBNCTをヘルシンキで受け、
なんとも懐かしい思いをかかえながら関空に降り立ったのを思い出します。
あっという間の一年でした。
年を越すのも難しいのではという状態で恐怖におののきながら、それでも未来に希望を持って・・・
するべき事は全て終えたという安堵感と、何があってももう為す術がないという恐怖とがない交ぜになった・・・
何とも複雑な心境だったのを思い出します。
一日一日を積み重ねて、そしてこの日を迎える事が出来ました。

去年の6月1日、4度目の手術を4日後に控え、やはり大阪ドームにヨン様のミレニアムイベントに参加しました。
ヨン様とその家族に大きな勇気と希望をいただき決意を新たにしたのを思い出します。
今年のヨン様は敗血症で数日前まで入院をしていた状態で、疲労の色は隠せず明らかに体調が優れないのが見て取れました。
今回ばかりは私達家族が彼を支え励まそうという思いで溢れ、ドームの中は温かいまなざしが満ちあふれていました。
無事に二日間のイベントも終了し(まあ二日とも参加させられてしまったのですが)
ホテルに帰って二人だけのディナーを楽しみました。

最上階の夜景を見渡せる窓際の席に座り料理とワインとピアノ演奏に酔いしれました。
そうこうするうちに昼中の疲れもあってか妻がまるで幼子のように居眠りを始めたのです。
その顔を見つめながら・・・しみじみ今ある喜びに震えました。
この幸せが何時までも続きますように、来年も二人楽しい時間を過ごす事が出来ますようにと願わずにはおれません。
私達を支えてくださる医療関係の方々、チケット手配をしてくれたヨン友、いつも励ましてくださるブログ仲間・・・。
ありがとうございます・・・本当に感謝感謝です!

皆様にも素晴らしい時が訪れますよう・・・幸せな気分のお裾分けです。
ありがとうございます。