眼を開けば僕がいる。 **BNCTに夢を託して**

悪性脳腫瘍の妻との闘病生活を最新の治験療法(BNCT)や免疫療法の体験を交えて・・・。

新たな出発

2009-01-26 17:08:10 | 希望
2009/1/9
朝からMRI検査、その後診察待ちの末結果を聞きました。
「今まで見た中で一番きれいな画像です。」という主治医の言葉があり
妻はうれし泣きでした。
私がフィルムを見る分にはあまり変化がないような気もしたのですが
まあお年玉をくださったのでしょう。
気持ちの持ちようで良くも悪くもなることですから、ここは良かった良かったと言うことにしておきます。
1/11から家族で温泉に小旅行に行きます。
去年の夏頃には想像もできなかったことです。
旅行を決めたときには、もう行く事もできないだろうからと思い出作りのために決めたのですが、
いやいや何度でもいけるぞと考え直します。
弱気は禁物!
前を向いて行こうという気にさせて頂いた、ありがたいお年玉でした。


退院

2009-01-23 07:53:17 | 希望
2008/12/29
リハビリ入院していたM病院を年末の慌ただしいこの日退院しました。
決して機能が回復したわけでも自立歩行ができるようになったわけでもありません。
医療保険から入院日数を2ヶ月に制限されていましたし、お正月を自宅で過ごしたいという妻の意向もあっての判断です。
これで前向きな治療を考えての入院は最後になります。
今度入院するときのことなど今は考えたくもありません。
年明け早々にはMRIと診察の予約が入っていますが、久しぶりの自宅に帰ってお正月を楽しむことに専念します。

不安を抱えたまま

2009-01-22 16:14:45 | 不安と絶望
2008/12/5
12/4にN病院でPET-CTの検査を受け12/5にO付属病院でPET-CTの評価を聞きました。
前回に見られた腹部のhot pointは消失していました。
たぶん生理的な集積だったのだろうという所見でした。
主治医の判断では鎖骨の転移巣はコントロールされているし残存している脳腫瘍は縮小しつつあるとのことですが・・・
素人目にはあまり変化がないような気がする・・・微妙です・・・。
12/8リハビリ入院中のM病院でMRI検査。
電子カルテに再発の文字が見え・・・動揺。
12/19フィルムを持ってO付属病院を受診。
やや脳に腫れが見られリンデロン(ステロイド剤)を処方してもらう。
来年早々にMRIと診察の予約。
またもや不安を一人で抱えたまま年を越すことになってしまいました。


ちょっぴりの幸せ

2009-01-21 07:50:34 | 希望
2009/1/20
時系列が一定せず読みづらいことと思いますがお付き合いください。

今日妻がおにぎりを作って私の帰りを待っていてくれました。
妻の作った料理(料理と言えるほどのものではありませんが)を食べるのは
1年5ヶ月ぶりになります。
涙が出るかなと思いましたが何とか笑顔で止まりました。

幸せって不思議なものですね、妻と両親の介護やら100年に一度と言われる大不況に翻弄される仕事に
笑顔を忘れる毎日でした。
たった一つのおにぎりが前を向く力を与えてくれました。

ささやかな幸せですが・・・うれしかったです。

ヨン様家族

2009-01-20 10:00:40 | これまでのこと
2008/6/1
話は少し戻って3度目の開頭手術を4日後に控えた6月1日私達は京セラドームに居りました。
そう言わずとしれたヨン様の「太王四神記プレミアムイベント」です。

5月に骨転移が認められ主治医から余命という言葉が出てくるようになり、
麻痺の拘縮による左肩の痛みに始まり鎖骨の腫れおよび痛み、呼吸の苦しさ、腹部の痛みまで訴えるようになり
何もかもが怖かったのを思い出します。

そんな中ヨン様の熱狂的家族である妻を連れてイベントに参加しました。
出にくい声を張り上げ動かせる右手を賢明に振る妻を見ながら場内が暗いことに感謝しました。
術前4日前の妻を快く外出させてくれる主治医の態度にいつまでこの姿を見ることができるのかという
思いから抜け出せませんでした。

しかし妻はこの後2度の開頭手術と2度の放射線治療に耐えヘルシンキでのBNCTへと
向かうことができました。
ヨン様と妻を支えてくれたヨン友にただただ感謝です。

転移?

2009-01-19 07:41:40 | 不安と絶望
2008/10/30
BNCT後の様子を見るためPETを受診する。

残存腫瘍は大きな変化は見られないが腹部に2ヶ所淡い集積らしきものが
みられる。
現時点では生理的集積なのか転移なのかの判断はできないとのこと。
1ヶ月後にPET-CTを撮って判断することになった。

仮に転移と判明しても全身に腫瘍細胞が飛んでいる以上、積極的な治療の意味はなく
それが症状を伴うことになるまで様子見をするという判断を下された。
誰にも言えず悶々と1ヶ月を過ごすことになってしまった。
脳腫瘍が完治したと思いリハビリに励んでいる妻にはとても話すことはできない。

12/4にPET-CTの予約が入った。
ここまで頑張ってきたのに、やはり祈ることしかできない・・・。

再びリハビリ入院

2009-01-16 12:30:06 | 希望
2008/10/27
BNCT後の最初の副作用が脳浮腫で3~4日後から起こるそうです。
このためHUCHから直接ヘルシンキ空港そして関空からO付属病院への入院という
強行軍を強いられたのです。

O付属病院では脳浮腫の予防にリンデロンが(ステロイド剤)処方されました。
脳の腫れの状態を診ながら漸減していくのですが結果的には時間がかかりました。
また2週間後くらいから脱毛が始まるという予想はずばり当たりました。
この半月くらい前からやっとかわいらしい髪の毛が顔をのぞかせ始めました。

そんなこんなで10/25にO付属病院を退院し本人のたっての希望でM病院にリハビリ入院しました。
自分の足で歩けるようになって、なんとか家族の負担になりたくないという思いからです。
前回の入院時は脳血管傷害と言うことでリハビリ効果は非常に高かったのですが
今回は廃用症候群という診断で本人の思いとは裏腹に現状機能の維持が目標になっていました。

昨年の8月に再々発して以来この1年半の間に家に居れたのは一月程度と長い入院生活が続きます。
しかし今回は出口が見えていると信じて有意義なリハビリを行えると思います。

経過観察

2009-01-15 07:45:43 | 希望
2008/9/30
BNCT後の経過観察のためO付属病院でMRI検査を行いました。
8/15にXナイフを照射した残存腫瘍は消失こそしていませんが確実に縮小していました。

劇的に消失することを期待していたのですが、
ここ最近は新たな腫瘍の発見か腫瘍の増大というMRIの検査結果しか眼にしていませんでしたから、
やっと前を向くことができたように思えます。

手術をしては懸命にリハビリに取り組み、その後の再発手術の結果せっかく回復した機能の後退。
そんなことを繰り返してきたことを思えば新たな希望の光が見えてきたようです。

HUCHの主治医に「私達に生きる希望を与えてください。」と懇願したあの日が遠い昔のことのような錯覚にとらわれそうです。
確かに私達が望んだ生きる希望を頂きました。
こんどこそ身のあるリハビリに取り組めるような気がします。

BNCTのこと

2009-01-14 07:29:35 | Boron Neutron Capture Therapy
2008/9/28 雑記
BNCTについては専門的なサイトが数多く見られるようになりました。
理論的には非常によくできた治療法だと思います。
論理的で説得力のある治療法ですが、それはあくまで机上論で理論と現実は
やはり少々違います。

昨日○経新聞に(他新聞にも記載されていたかも)原子炉を使わず加速器を使っての
BNCTが治験開始されるような記事が出ておりました。
日本で使える医療用の原子炉は今現在2基とも休止中ですし、新たに作ることもまた作るにしてもその環境も難しいことでしょう。

加速器でのBNCTが実現すれば治療機関も研究者も多くなり症例も格段増えてくると思われます。
今まで限られた症例の中で試行錯誤されてきた治験療法ですから関係各位の
研究は大変な努力の積み重ねであったと推察されます。
妻の症例(髄膜腫をBNCTで治療)にしてもHUCHでも3例目でしたし、髄膜腫からの
骨転移に至ってはO付属病院でも症例はありませんでした。
何が効くのか、どう治療したらよいのかを手探りの状態で試行錯誤してここまでやってこれました。

これから飛躍的な医療の進歩を夢見て日々大事に過ごしていきたいと思います。

さあ帰ろう

2009-01-13 07:41:00 | Boron Neutron Capture Therapy
2008/9/28
BNCT後は特に変化はありませんでしたが二日間にわたり照射後の諸検査と
体調管理が行われました。

照射後の数日後から脳浮腫の危険性があるため、できるだけ早く帰国することを
勧められ9/28にHUCHを退院しその足で空港に向かいました。
飛行途中での痙攣発作の可能性があるため点滴のルート確保をしたまま
抗痙攣剤などの薬剤を持っての飛行です。
万が一の場合に備えての詳細な治療経過と処置方法などのデータを誰に託すかわからないまま携えて出発しました。
(機内で万が一の場合は機内アナウンスで医師の呼び出しになります・・・もちろんいらっしゃればの話ですが)

それも杞憂に終わり無事に日本の地を再び踏めたことは感無量でした。
空港より再びO付属病院へ直行し経過観察で再入院しました。
病棟の看護師さんたちに笑顔で迎えられやっと緊張感がゆるんでいくのを感じることができました。

さあ勝負はこれから・・・これからです。