2009/2/21
昨年末に退院して早2ヶ月が過ぎようとしています。
入院中は失われた機能を回復していく喜びがありました。
出来ないことよりも出来るようになることに目が向いていたようです。
自宅で療養する今は毎日の生活の中で出来ないことに対する苛立ちを感じることが
多くなったような気がします。
やはり看護師さんに介護されるのと家族に介護されることの精神的な負担が
違うのでしょうね。
以前にどこかで妻のために時の商人から時間を買うようなCMを見たことがあります。
私はどれだけの時間を妻のために得ることが出来たのでしょう。
器にどれほどの砂が残っているのでしょう。
焦りと苛立ちと今ある喜びが入り交じった複雑な時間が過ぎていきます。
先日のMRIの画像に新たな腫瘍らしきものなのかノイズなのか判然としないものが映し出されていました。
しかし主治医は再度の検査の指示は出しませんでした。
仮に再発を見つけたとしてももう治療の術はなかったんですね。
どれほどの時間が残されているのかわかりませんが私たちの生活はそこにしかないのを再認識させられました。
いつまで二人で見つめ合っていけるのでしょうか。
ゆっくりとですが確実に砂は落ちていきます。
昨年末に退院して早2ヶ月が過ぎようとしています。
入院中は失われた機能を回復していく喜びがありました。
出来ないことよりも出来るようになることに目が向いていたようです。
自宅で療養する今は毎日の生活の中で出来ないことに対する苛立ちを感じることが
多くなったような気がします。
やはり看護師さんに介護されるのと家族に介護されることの精神的な負担が
違うのでしょうね。
以前にどこかで妻のために時の商人から時間を買うようなCMを見たことがあります。
私はどれだけの時間を妻のために得ることが出来たのでしょう。
器にどれほどの砂が残っているのでしょう。
焦りと苛立ちと今ある喜びが入り交じった複雑な時間が過ぎていきます。
先日のMRIの画像に新たな腫瘍らしきものなのかノイズなのか判然としないものが映し出されていました。
しかし主治医は再度の検査の指示は出しませんでした。
仮に再発を見つけたとしてももう治療の術はなかったんですね。
どれほどの時間が残されているのかわかりませんが私たちの生活はそこにしかないのを再認識させられました。
いつまで二人で見つめ合っていけるのでしょうか。
ゆっくりとですが確実に砂は落ちていきます。